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浪花隊

浪花隊/浪華隊(なにわたい)は、1868年慶応4年)から1870年明治3年)まで存在した大阪治安部隊である府兵の別名。監軍の一人であった桃井春蔵が実質的に率い、撃剣師範も務めていた。大阪府警察部のルーツである。

浪花隊
創設 1868年慶応4年)
廃止 1870年明治3年)
所属政体 明治新政府
所属組織 大阪府
兵種/任務/特性 治安維持
人員 80名(発足時)
600余名(最大時)
担当地域 大阪
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概要

1868年慶応4年)1月3日に勃発した戊辰戦争鳥羽・伏見の戦い旧幕府軍新政府軍に敗れ、9日大坂城は炎上し、大坂は新政府軍に占領された。新政府軍進駐後、大坂町奉行は閉鎖され、薩摩長州芸州の藩兵が治安維持を担当したが、東下準備に忙殺され、大坂は無政府状態となった。

新政府軍は、旧幕府軍の遊撃隊頭取並であったが開戦に反対し南河内の寺に脱走していた桃井春蔵を呼び出し、協力を要請。桃井はこれを引き受け、現在の大阪市北区天満にあった川崎東照宮(建国寺)境内に道場を建て、兵に撃剣を指導した。

同年5月2日大阪府が設置されると、治安維持のために府兵局が設置され旧大坂定番与力同心を中心に府兵2小隊(1小隊40名)80名に編成された。この府兵が「浪花隊(浪華隊)」と呼ばれた。1868年明治元年)11月、桃井は府兵局の監軍4名[1]の1人に任じられ、1869年(明治2年)4月から併せて府兵の撃剣師範に就いた。

この頃、桃井は北桃谷町(現大阪市中央区)に士学館道場を再興し、高弟で浪花隊の隊員でもある秋山多吉郎(当時桃井)を師範代塾頭においた。

1869年(明治2年)、府兵は拡充され隊員は600人以上に増えたが、政府から独自の軍事的組織であるとして問題視され、1870年(明治3年)に解散した。

装備

発足時、隊員は一閑張りの(大黒帽子)、太い赤線2本入りの陣羽織(打裂羽織)、紺の股引草鞋を着け六尺棒を持っていた。後に鉄砲大砲も保有するようになり、和装から洋装(羅紗服、マンテルズボンフランス製の)へ変更された。靴が大きいため、綿を詰めて足袋を履き、上から縄で縛った。

実質的な隊長である桃井春蔵は白鉢巻、朱塗り胴、打裂羽織、銀拵え黒漆塗りの日本刀を帯び、紫の房で飾ったに乗っていた。

鼓笛隊を先頭に真赤の隊旗を立て派手に行進したため人気があったといわれ、浮世絵にも描かれている[2]

年表

脚注

  1. ^ 明治2年当時の府兵局長は十津川出身の府判事試補・(深瀬仲麿)。
  2. ^ 一珠斎国員画『浪花百景玉江橋景(大阪府立中之島図書館[1])。

参考文献

  • 月刊剣道日本』2002年6月号「剣道歴史紀行 第45回 大阪」、スキージャーナル
  • 大阪日日新聞』2008年3月8日「なにわ人物伝 -光彩を放つ- 桃井春蔵 大阪の治安に大きく貢献」
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