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道場

道場(どうじょう)は、武道稽古を行う施設である。

歴史

江戸時代

道場という言葉は本来、梵語のbodhi-manda(菩提樹下の金剛座)の訳語で、仏道修行の場を指す。現代でもこの用法は残り、修行僧を受け入れている寺院は「道場」と呼ばれる。江戸時代の初め頃に武術の稽古場のことを指す事例も出てきたが、一般的には「稽古場」と呼ばれていた[1]

戦国時代の末期は、例えば上泉信綱柳生宗厳居城におもむき教授するなどのように、師範は全国を廻って弟子のところに訪ねており、稽古場は個人屋敷を利用するなど専門の施設はなかった。ある程度戦乱が治まると、宮本武蔵との戦いで有名な吉岡流などのように定住して稽古場を持つようになっていったものと思われる。

屋外や土間を稽古場とすることが多かったが、江戸時代中期以降、剣術では竹刀稽古柔術では乱取り稽古が中心になっていったため、板張りや畳の稽古場が整備されるようになった。江戸など人口の多い地域、例えば江戸三大道場などでは入門者が多数に上り、それまでの個人的な小さい稽古場から大きな稽古場へと変化した。また各()においても藩校に稽古場を併設する藩が多かった。

この頃の稽古場は師範が弟子の稽古を総見する床があり、そこに日本神話から、「剣の神、武の神」とされた「鹿島大神宮」(タケミカヅチ)、「香取大明神」(経津主神)の二柱の神名を書いた掛軸が掛けてあった。

明治・大正・昭和前期

明治時代以降、剣道柔道の稽古場を「武道場」と呼ぶようになり、「武」を略して「道場」と呼ぶことが一般的になった[1]1899年明治32年)、大日本武徳会京都武徳殿を造営し、その後各府県に大日本武徳会支部として武徳殿が整備された。また、学校教育に剣道、柔道が採用されたことにより、学校に道場が設けられた。学校によっては道場の事を「格技室」と呼ぶ事もある。

1936年昭和11年)、文部省主催の体育運動主事会議において、「道場ニハ神棚ヲ設クルコト」という答申が行われ、学校の道場への神棚設置が義務化された[1]。神棚は江戸時代の伝統的な道場には無く、この頃から国家神道の影響を受けて設置されるようになったものである[注釈 1]

太平洋戦争敗戦後、占領軍指令により国家神道が廃止され、また学校教育への武道が禁止されたことに伴い、1946年(昭和21年)1月12日に大日本武徳会から理事長・藤沼庄平名義で都道府県支部長宛に「神殿、神棚等撤廃ニ関スル件」が発せられ、神棚は撤去された。ただし現代においても神棚を祀っている道場は少なくない。また、日章旗を掲げている道場もある[注釈 2]

昭和後期・平成

現代では都市過密化や地価の高騰などにより、個人が道場を所有することは難しくなり、体育館雑居ビルの一室を借りている例も多い。

警察では柔道剣道逮捕術が必修とされていることから、各都道府県警察署警察学校警察本部内全てに道場が完備され、全国で見ると数え切れないほどの道場数になる。警察署が柔剣道教室を開き、道場を小中学生に開放していることも多い。

養成道場

上述の通り「道場」自体が武道関連の人材を養成する場をあらわす名称であるが、ここから派生して「養成道場」と名乗る講習セミナー等が以下の通り存在する。

脚注

注釈

  1. ^ このことについて武道史研究者の中村民雄は、「『道場』は極めて近代的なものであることが分かろう」と述べている[2]
  2. ^ 日本武道館は、いかなるイベントの場合でも日章旗を降ろしてはいけないことになっている。

出典

  1. ^ a b c 日本武道学会剣道専門分科会編『剣道を知る事典』122-123頁、東京堂出版
  2. ^ 日本武道学会剣道専門分科会編『剣道を知る事典』123頁、東京堂出版

参考文献

関連項目

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