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浜亮太

浜 亮太(はま りょうた、1979年11月21日 - 、本名:濱 亮太、読み同じ)は、大阪府茨木市出身。日本男性プロレスラー、元大相撲力士血液型O型。大日本プロレス所属。

浜 亮太
Ryota Hama
プロフィール
リングネーム 浜 亮太
本名 濱 亮太
ニックネーム 圧殺料理人
身長 176cm
体重 225kg
誕生日 (1979-11-21) 1979年11月21日(43歳)
出身地 大阪府茨木市
所属 大日本プロレス
スポーツ歴 大相撲
トレーナー カズ・ハヤシ
武藤敬司
デビュー 2008年11月3日
(テンプレートを表示)

1994年から2008年まで大相撲八角部屋所属の力士として活動した。四股名北勝嵐(ほくとあらし)、最高位は幕下6枚目。

力士時代は身長175cm、体重188㎏ プロレスラー転向後は、公称体重225㎏[1]。2016年3月18日放送のさんまのコンプレッくすっ杯では、体重が225kgであると公表した。体重では、日本出身プロレスラー史上最重量となる。

経歴

大相撲時代

1994年、大相撲の八角部屋に15歳で入門し、1995年7月場所に濱の四股名で初土俵を踏む。1997年11月場所から北勝嵐と改名し、3場所全休で序二段まで下がった1999年7月場所で序二段優勝、2001年9月場所には幕下優勝を飾り、翌11月場所では自己最高位の東幕下6枚目に昇進した。頭でぶちまかす突き押し相撲を得意とした。一方で膝のケガが多く、たびたび休場を繰り返した。

周囲からは期待されたが2008年5月場所に引退した。断髪式には横綱白鵬、大関の琴光喜、さらに北勝嵐の親友でもある若天狼も駆けつけた。

プロレス時代

全日本プロレス

2008年、プロレスラーに転向を決意し、7月に全日本プロレスに入門。頭を丸めて1日目から練習生として入寮し電話番や料理番をこなしたという。結局、浜は入寮直後からちゃんこ番の専任となり、選手寮では「ちゃんこは浜が毎日作るけど、その代わりに掃除当番は免除」という扱いになった[2]

7月14日、社長の武藤敬司と共に入団会見に出席し、「体重があるのに動ける吉江豊選手が目標です」と語った。

武藤は浜の性格について「歳も歳だし、ゆっくりしていられないね。」と語り、努力次第でデビューも近いかもしれないと浜のことを心配しそうに語っていた。

そして11月3日の両国国技館大会という大きな舞台でのデビューが決定、更にその相手が元横綱のであることを発表。この破格の待遇に期待の大きさが窺えた。さらに体重を200㎏まで増量し、今までは丸坊主がそのまま伸びたような新人らしい髪型だったが、デビューに向けて大金星を狙えるようにと金髪のパンチパーマというヘアスタイルにした。

デビュー戦では曙の巨体を投げきるなど奮闘した。その甲斐もあってか、浜も翌日の会見では武藤と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦への出場が発表された。デビュー直後の抜擢は、1992年大会の秋山準と並び異例の早さであった。

11月16日の台湾大会では、ランニングボディ・プレスで早くも浜の角界出身の先輩でもある荒谷望誉からプロ初勝利を挙げた。

浜は最強タッグが始まる前まではタッグマッチの経験が全く無く、全敗も予想されたが3勝4敗・勝ち点6の成績を残した。その1勝の中には浜の師匠でもあるカズ・ハヤシからフォールを奪うなど、活躍も見せた。敗れた試合でも先輩選手達から後1歩のところまで苦しめるなど、圧倒的なインパクトと存在感を残した。

2009年3月14日の両国大会ではデビュー戦の相手を務めた曙とタッグを結成し、ゾディアック&ジョー・ドーリングの「ブードゥータワーズ」と対戦。試合はVOODOO-MURDERSによる度重なる反則に苦しめられ、惨敗を喫した。

4月にはチャンピオン・カーニバルに参戦、開幕戦ではゾディアックを新技の「リョウタハマー」で下し、さらに太陽ケアにも勝利して2勝3敗でチャンピオン・カーニバルを終えた。

2009年9月23日、後楽園ホールにて曙とタッグを組み、鈴木みのる&NOSAWA論外組を破り、第82代アジアタッグ王座を獲得。そして12月10日、プロレス大賞・最優秀タッグチーム賞と新人賞を受賞。17日には曙とのタッグチーム名を「SMOP」(スーパー・メガトン・オオズモウ・パワーズ)にすることを発表した。

2010年1月2日、タッグマッチながら三冠ヘビー級王者小島聡からフォールを奪う。さらに2月7日には武藤からもフォールを奪い、試合後マイクで三冠王座挑戦をアピールした。

そして3月21日、両国国技館で小島をシャイニング・ウイザードからのリョウタハマーで沈め、三冠王座を獲得。デビュー後、1年4ヶ月18日という三冠王座史上最短挑戦試合は諏訪魔の最速戴冠(デビュー3年6ヶ月)も塗り替えるというダブル記録をも樹立した。

4月29日、TARU&ビッグ・ダディ・ブードゥ組に敗れてアジアタッグ王座から陥落し、試合後に曙と仲間割れした。5月2日には鈴木に敗れ、三冠王座からも陥落した。5月2日の試合後には諏訪魔や河野真幸らと新世代軍を結成した。

2011年、この頃「都会に疲れた」との理由で群馬県に移住する[2]

2012年2月19日、『ALL TOGETHER 〜もう一回、ひとつになろうぜ〜』ではキャプテン・オールジャパンに扮し、キャプテン・ニュージャパン&キャプテン・ノアと主要団体のキャプテン達が勢ぞろいし、トリオを結成して参戦した。

2013年6月30日の両国国技館大会を最後に全日本プロレスを退団した。その後、WRESTLE-1旗揚げに参加。

WRESTLE-1

WRESTLE-1では、食べ物を奪うレスラーや女子プロレスラーにセクハラをするレスラーを成敗している。過去には野橋太郎におにぎりを、菊タローには唐揚げを、稲葉大樹にはお菓子を食べられている。またバラモン兄弟に対しては食べようとした弁当にお告ゲルをかけられた後、バケツ一杯の水までもかけられた。

2015年12月30日、大日本後楽園大会にて神谷英慶と組んでBJW認定タッグ王座を獲得。

2016年6月30日、契約満了につきWRESTLE-1を退団、以降は大日本プロレスZERO1を中心に活動する。

大日本プロレス

2017年7月1日、当日付けで大日本プロレスに正式入団[3]

2021年1月12日、群馬県前橋市に店主を務めるうどん店「どすこいうどん浜ちゃん」をオープン。試合日と木曜定休となっているが、浜本人が手打ちしたうどんを振舞っている[4]。開業に先立ち、高崎市の「えびすこ本場所」にて修行を積み、開業後もうどん作りのアドバイスを貰っている[2]。今後は飲食店経営をメインとし、プロレスラーとしては試合数を絞る(少なくとも「全国を巡業で回るようなことはしない」)とのことである[2]

改名歴

  • 濱 亮太(はま りょうた) 1995年7月場所-1997年9月場所
  • 北勝嵐 亮太(ほくとあらし りょうた) 1997年11月場所-2008年5月場所

得意技

前述の通り、日本人レスラーとしては最重量級ではあるが、そのずば抜けた巨体を生かしながらも相撲で培ったパワーが最大の武器である。

ハマケツ
雷電ドロップと同型の技。プロレス界イチの説得力を持つ。
ぶちかまし
角界出身の浜ならではの技。
リョウタハマー
(ジャックハマー)と同型。
浜ハンマー
ビッグバン・ベイダーの得意技であるベイダーハンマー(前腕部でのパンチ攻撃)。2011年3月の両国大会で、ベイダーとタッグを組んだ際に伝授された。2011年チャンピオン・カーニバルから使用開始。
オオキドプレス
現在の浜のフィニッシャーで、いわゆるボディプレス。名前の由来は、浜が通っている整骨院の先生の名前から。コーナーから走ってボディ・プレスをすることもある。日本人最大の巨体を活かし、その巨体が上から降ってくる様は相手選手に恐怖を与え、説得力も十分にある。この技によって、台湾大会でデビュー2戦目にして先輩の荒谷から念願の初勝利を奪った。
スーパーオオキドプレス
(リバーススプラッシュ)と同型。
(エルボードロップホールド)
ドラゴンスリーパー
対戦相手の顔を自身の脂肪で覆い、呼吸を奪いながら思いっきり体重をかけて締め上げる。浜のこの技を受けた小島は、「ある意味でこの技の元祖である藤波辰爾を超えた威力がある」と述べている。

タイトル歴

全日本プロレス
大日本プロレス
プロレス大賞
  • 新人賞(2009年)
  • 最優秀タッグチーム賞(2009年)(パートナーは

エピソード

  • 角界入りした時の浜の体重は80kgであった。しかし、すぐに大食漢の才能が開花し7年後には200㎏の巨漢力士になった。力士時代はフライドチキン20ピースを平らげる、焼酎のボトルを2人で一晩30本空ける[5]、30分で100個食べたら無料のギョーザ専門店では15分で完食など多くの伝説を残した。曙の証言によれば、浜はちゃんこの度に毎食、米を一升、鍋の中身を全部平らげた。昼寝の後ラーメンの大盛り4杯と味玉20個を平らげていたと言う。
  • プロレス転向後もファンから全日本プロレスの道場にギョーザ1000個が届き、料理番の浜が毎日つまみ食いして約700個を1人で食べ、更に焼肉店で肉を30人前、都内の寿司店でにぎりずしを100貫も平らげた。お陰で体重が225㎏に激増した。なお、道場の体重計は150kg以上は計測不能で、知人から紹介された都内の鉄工所で3トンまで量れる業務用のはかりに乗り、計測したらしい。
  • プロレス転向にあたって、浜の相撲時代の師匠である八角親方からは、「性格はプロレス向き。頑張って欲しい」とエールを送られた。浜の師匠の武藤はコーチ役に若手育成係でもあるカズをあて、「ガッツがある。プロレスを好きって気持ちだけじゃない」と、その肉体だけでなく精神的強さも褒めている。
  • 携帯サイト「プロレス・格闘技DX」内の全日本コーナーで、デビュー前からブログを受け持つことになった。
  • 先輩レスラー達から可愛がられているのか、よく先輩レスラーのブログに登場する。
  • 角界出身だけあって、浜のちゃんこは絶品であると伝えられている。さらに食後のデザートも欠かさないとのこと。曙は、好物が浜のちゃんこと言っている。また、浜が主催のちゃんこイベントも不定期に行われている。だが、提供するちゃんこを味見と称してつまみ食いすることが多いと言われている。
  • 余りに体が大き過ぎるため、試合中タッグパートナーの武藤に対して「邪魔だ!どけ!」と言われたことがある。
  • フジテレビのバラエティー番組『クイズ!ヘキサゴンII』スペシャル(2010年6月23日放送回)で、浜は「もし突然おデブちゃんが大勢目の前から突進してきたら」というドッキリにおデブちゃん役で参加した。この時、ターゲットの1人だった俳優上地雄輔とは浜と同学年で昔の飲み仲間らしく、現在もメールで連絡を取り合う仲らしい。
  • 2012年7月28日にBS朝日で放送された、極上空間に出演した武藤敬司によると、浜の当時の体重は230㎏あり、体重を量るには、両国国技館か動物病院しかなく、動物病院で順番待ちしていたら、浜の前が馬だったと語った。
  • 道場に入って一日でトイレの便器を壊したことがある。
  • 自身のTwitterでは、お通しと称したボリューム満点の料理の画像を多くアップしており、ツイートの最後には「ウマ杉晋作でした!」と自ら締める。
  • 群馬県前橋市にあるプロレスラーのMAZADAのお店「ステーキまさやん」の常連客である。
  • 大相撲八百長問題で引退した若天狼とは、定期的に会っている。

入場曲

* HAMA TIME * SOMOU MASTER * Meco-The Empire Strikes Back

出演

映画

CM

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “動けるデブ”で大人気、浜亮太に膨らむ期待。 - Number Web
  2. ^ a b c d 元力士でちゃんこが得意な現役プロレスラー浜亮太さんがコロナ禍に地方でうどん屋を始めた理由 - メシ通・2021年6月23日
  3. ^ スポーツライター須山浩継のツイート 2017年6月28日
  4. ^ “前橋に元力士・現レスラー「どすこいうどん浜ちゃん」浜ちゃんは225キロ”. 高崎前橋経済新聞 (2021年1月22日). 2021年2月2日閲覧。
  5. ^ 元力士でちゃんこが得意な現役プロレスラー浜亮太さんがコロナ禍に地方でうどん屋を始めた理由 メシ通 2021-06-23 (2021年7月9日閲覧)
  6. ^ “ジー×北斗の拳”. ロート製薬. 2018年12月5日閲覧。
  7. ^ 大日本プロレス BJW Officialによる2018年11月17日のツイート、2018年12月5日閲覧。

外部リンク

  • 選手プロフィール 浜亮太 - 大日本プロレス公式サイト
  • 浜亮太 (@hamachanko) - Twitter
  • 北勝嵐 亮太 - 相撲レファレンス
  • J-Athleteplus マネジメント選手 浜亮太
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