経歴
静岡県浜名郡雄踏町(現在の浜松市西区)出身[1][2]。兄が四日市公害関係の記録人の沢井余志郎。
1961年、東京外国語大学ドイツ語科を卒業[3]。同年、東映に入社[3]。マキノ雅弘に師事した[3]。
1985年、『早春物語』で第26回日本映画監督協会新人賞を受賞した[5]。
フィルモグラフィー
映画
監督
- 野菊の墓(1981年)
- Wの悲劇(1984年) - 兼脚本
- 早春物語(1985年)
- (Apartment Fantasy めぞん一刻)(1986年)
- 恋人たちの時刻(1987年)
- ラブ・ストーリーを君に(1988年)
- 福沢諭吉(1991年)
- わが愛の譜 滝廉太郎物語(1993年) - 兼脚本
- (日本一短い「母」への手紙)(1995年) - 兼脚本
- 時雨の記(1998年) - 兼脚色
- 仔犬ダンの物語(2002年)
- 17才 〜旅立ちのふたり〜(2003年)
- 蒼き狼 〜地果て海尽きるまで〜(2007年)
助監督
- 昭和残侠伝 死んで貰います(1970年)
- ポルノの帝王 失神トルコ風呂(1972年)
- 夜の歌謡シリーズ なみだ恋(1973年)
- 色魔狼(1973年)
- 0課の女 赤い手錠(ワッパ)(1974年)
- 従軍慰安婦(1974年)
- 華麗なる追跡(1975年)
- トラック野郎・爆走一番星(1975年) - 兼脚本
- トラック野郎・望郷一番星(1976年) - 兼脚本
- トラック野郎・一番星北へ帰る(1978年)
- 動乱(1980年)
脚本
- ごろつき無宿(1971年)伊藤俊也と共同
- トラック野郎・御意見無用(1975年)鈴木則文と共同
- トラック野郎・度胸一番星(1977年)鈴木則文と共同
- 麻雀放浪記(1984年)和田誠と共同
テレビドラマ
著書
受賞歴
- 第39回毎日映画コンクール 脚本賞(『Wの悲劇』)[7]
- 第26回日本映画監督協会新人賞(『早春物語』)[5]
- 第9回日本アカデミー賞 最優秀監督賞(『Wの悲劇』、『早春物語』)[8]
- 第9回日本アカデミー賞 優秀脚本賞(『Wの悲劇』)[8]
- 第17回日本アカデミー賞 優秀監督賞(『わが愛の譜 滝廉太郎物語』)[9]
- 第17回日本アカデミー賞 優秀脚本賞(『わが愛の譜 滝廉太郎物語』)[9]
- 1993年、山路ふみ子文化財団特別賞を受賞。
- 2006年4月、紫綬褒章を受章[10]。
脚注
- ^ 「静岡を舞台とした映画・小説」『中小企業静岡』2000年7月号
- ^ “鶴田浩二に木下恵介、長澤まさみ… - 気候の良い静岡県が輩出する 明るさと渋さ持つ映画人”. WEDGE Infinitiy (2010年1月2日). 2016年9月1日閲覧。
- ^ a b c “アイドル映画の撮り方 - 澤井信一郎VS金子修介 - アイドル映画って何だろう?”. 日本映画監督協会 (2003年12月25日). 2016年9月1日閲覧。
- ^ “日本映画が好き2015”. 水戸芸術館 (2015年). 2016年9月1日閲覧。
- ^ a b “日本映画監督協会新人賞”. 日本映画監督協会. 2016年9月1日閲覧。
- ^ “「Wの悲劇」の澤井信一郎監督が死去 「野菊の墓」「時雨の記」”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2021年9月6日)2021年9月6日閲覧。
- ^ “毎日映画コンクール - 39th(1984年)”. 毎日新聞. 2016年9月1日閲覧。
- ^ a b “第9回日本アカデミー賞優秀作品”. 日本アカデミー賞. 2016年9月1日閲覧。
- ^ a b “第17回日本アカデミー賞優秀作品”. 日本アカデミー賞. 2016年9月1日閲覧。
- ^ “” (PDF). 内閣府. p. 3 (2006年4月29日). 2006年8月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年5月13日閲覧。
外部リンク
- 澤井信一郎 - allcinema
- 澤井信一郎 - KINENOTE
- 澤井信一郎 - 日本映画データベース
- (澤井信一郎) - 文化庁日本映画情報システム
- 澤井信一郎 - テレビドラマデータベース
- Shin'ichirô Sawai - IMDb(英語)