横浜公園(よこはまこうえん、Yokohama Park)は、神奈川県横浜市中区にある公園および地名。
横浜公園 Yokohama Park | |
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横浜公園と横浜スタジアム | |
分類 | 都市公園(総合公園) |
所在地 | |
面積 | 63,787m2 |
開園 | 1876年(明治9年)9月 |
設計者 | リチャード・ブラントン |
運営者 | 横浜市 |
現況 | 年中開放 |
設備・遊具 | 横浜スタジアム |
駐車場 | なし(日本大通り地下駐車場を利用) |
事務所 | 環境創造局 南部公園緑地事務所 都心部公園担当 |
事務所所在地 | 横浜市中区本町6-5-10(横浜市役所内) |
公式サイト | 横浜公園(横浜市HP) |
横浜公園 | |
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横浜公園 横浜公園の位置 横浜公園 横浜公園 (神奈川県) | |
北緯35度26分39.46秒 東経139度38分25.43秒 / 北緯35.4442944度 東経139.6403972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 横浜市 |
区 | 中区 |
町名制定[1] | 1928年(昭和3年)9月1日 |
面積 | |
• 合計 | 0.085 km2 |
人口 | |
• 合計 | 0人 |
• 密度 | 0.0人/km2 |
等時帯 | (日本標準時) |
郵便番号 | 231-0022[4] |
市外局番 | 045((横浜MA))[5] |
ナンバープレート | 横浜 |
横浜公園の位置 |
敷地内に横浜DeNAベイスターズが本拠地としている横浜スタジアムがある。面積は約63,800m2。
概要
横浜港が開港された時代、関内であったこの場所には当時港崎遊郭があった。しかし1866年11月26日(慶応2年10月21日)の大火「豚屋火事」によって焼失、明治維新の最中であったことから復興が遅れ、明治政府が樹立した後の1875年(明治8年)、在留外国人の生活環境改善を求めた条約に基づき、土木技師リチャード・ブラントン設計のもと遊廓跡地に公園、公園から港に向かって新道路が建設され、それぞれが現在の横浜公園と日本大通りとなった。なお、この折に馬車道や海岸通りも整備されている。「横浜公園」は外国人と日本人が共同で使用する公園であったことから、当時「彼我公園」(ひがこうえん)と呼ばれ園内には外人居留地運動場(野球場を兼ねたクリケット場など)も建設された。
この運動場では1896年(明治29年)5月23日には日本で最初の野球の国際試合が旧制一高ベースボール部と外人クラブの間で行われた。
1901年(明治34年)12月7日には、後に慶應義塾大学ラグビー部となる同好会(バーベリアン・敷島クラブ合同チーム[6])と、横浜の外国人スポーツクラブYC&ACが、日本初のラグビーユニオンの試合 かつ 日本初のラグビー国際試合を行った[7][8][9]。41-5でYC&ACが勝利したが、バックスの塩田賢次郎は、この国際試合で日本人初のトライを行った[10]。
1929年(昭和4年)には野球場が造られ、1936年(昭和11年)11月には公園内の横浜市から無償貸与された敷地に(神奈川県立武道館)(神奈川県学務部所管)が開館した。
1921年(大正10年)6月には横浜市内初の公立図書館として、園内の図書館建設事務所内に「横浜市立図書館仮閲覧所」を開設するも、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災で全焼し、1926年(大正15年)3月20日に再建[11]。1927年7月に野毛坂の旧老松小学校跡(現横浜市中央図書館)に移転した。
太平洋戦争後はアメリカ合衆国により、公園内の「フライヤー体育館」(FAC3618、接収期間:1952年7月26日[12]-1953年11月12日[13])および「横浜チヤペルセンター」(FAC3672、接収期間:1952年7月26日[12]-1978年6月19日[14])が接収された。
1952年(昭和27年)、公園内の野球場は当時の平沼亮三横浜市長によって「横浜公園平和野球場」(通称:平和球場)と名付けられ、プロ・アマ、大人・子供を問わない野球の親善交流試合が数多く行われた。
1953年(昭和28年)5月26日に条件つきで伊勢佐木町のアメリカ軍体育館フライヤージムの公園内移転が決まり[15]、同年12月20日にフライヤージム落成式が挙行され[15]、これを大改修して[16]、1958年(昭和33年)12月23日に横浜公園体育館が敷地内に完成した[15]。
1978年(昭和53年)、老朽化した平和球場や敷地内にあった神奈川県立武道館や横浜公園体育館などを取り壊して横浜スタジアムが建設され、また園内の老朽化した施設を更新して日本庭園や水場をあしらったモニュメント広場が整備された。公園内にあった神奈川県立武道館は岸根公園内(横浜市港北区)に移転した。
1997年(平成9年)、チューリップが横浜市中区の区花に指定されたのを期に、市民の手によって公園内にチューリップが植えられ、春先は「チューリップの咲く公園」としても有名になった。さらに2017年(平成29年)の第33回全国都市緑化よこはまフェア(愛称:ガーデンネックレス横浜2017)ではみなとガーデン会場の一つとして、「16万本のチューリップガーデン」が目玉となっている[17]。
2007年(平成19年)2月6日、文化財登録原簿(登録記念物)に登録され[18]、2009年(平成21年)2月6日には近代化産業遺産に認定された。
主な施設
交通
- JR根岸線関内駅徒歩5分
その他
日本郵便
事業所
2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[21]。
町丁 | 事業所数 | 従業員数 |
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横浜公園 | 7事業所 | 287人 |
脚注
- ^ “市・区・町の沿革”. 横浜市. 2021年8月11日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ “横浜市町区域要覧”. 横浜市 (2018年7月9日). 2021年8月11日閲覧。
- ^ “令和5(2023)年 町丁別人口(住民基本台帳による)” (XLS). 横浜市 (2023年4月7日). 2023年4月27日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ a b “横浜公園の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “日本ラグビーフットボール史 すべては同好クラブから”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
- ^ “日本ラグビーフットボール史 2人のキャンタブとその役割”. JRFU. 2023年1月15日閲覧。
- ^ “年代史 明治34年(1901)度”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
- ^ “年代史 コラム『慶應義塾創部以前の、国内におけるラグビーフットボール』”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
- ^ “日本ラグビーフットボール史 トライ1号とドロップゴール1号”. 日本ラグビーフットボール協会. 2023年1月19日閲覧。
- ^ 横浜市役所市史編纂係 編『横浜市震災誌 第三冊』、横浜市、1926年、267-273ページ
- ^ a b 同日、外務省告示第34号「在日合衆国軍に提供する施設及び区域を左の通り決定した件」
- ^ 1960年1月28日、外務省告示第6号「「行政協定に基く日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」の附表の変更に関する文書第七十八号」
- ^ 同年10月30日、防衛施設庁告示第15号「アメリカ合衆国が使用を許されている施設及び区域について、返還、使用条件変更、修正及び提供が決定された件」
- ^ a b c 横浜市体育史企画刊行委員会『横浜スポーツ百年の歩み』pp.427-431、1989年
- ^ 中区制50周年記念事業実行委員会『横浜・中区史 人びとが語る激動の歴史』p.263、1985年
- ^ 会場のご案内:みなとガーデン(第33回全国都市緑化よこはまフェア公式サイト)
- ^ 同日、文部科学省告示第16号「記念物を文化財登録原簿に登録する件」
- ^ 横浜公園日本庭園「彼我庭園」の整備について (PDF) (横浜市環境創造局)
- ^ “郵便番号簿 2020年度版” (PDF). 日本郵便. 2021年8月7日閲覧。
- ^ “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
関連項目
- 横浜公園出入口(首都高速神奈川1号横羽線)
- 横浜歌謡ショー将棋倒し事故 - 1960年3月に閉鎖した横浜公園体育館で発生した群衆事故