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楢﨑正剛

楢﨑 正剛(ならざき せいごう、1976年4月15日 - )は、奈良県香芝市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー。元日本代表

楢﨑 正剛
2010年5月25日 内閣総理大臣官邸
名前
愛称 ナラ、セイゴ
カタカナ ナラザキ セイゴウ
ラテン文字 NARAZAKI Seigo
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1976-04-15) 1976年4月15日(47歳)
出身地 奈良県香芝市
身長 187cm
体重 80kg
選手情報
ポジション GK
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1995-1998 横浜フリューゲルス 104 (0)
1999-2018 名古屋グランパス 556 (0)
通算 660 (0)
代表歴2
2000 日本 U-23 4 (0)
1998-2010[1] 日本 77 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年11月2日現在。
2. 2010年9月7日現在。
(■テンプレート)((■ノート) ■解説■サッカー選手pj

FIFAワールドカップに4大会連続で選出された。

2010年に(JリーグMVP)を獲得[2]

来歴

アマチュア

母の実家がある徳島県で誕生[3]香芝市立香芝中学校卒業後に奈良育英高校に入学し全国高等学校サッカー選手権大会でベスト4に進出した。同期のチームメイトにフットサル日本代表藤井健太がいる。

クラブ

奈良育英高校卒業後1995年横浜フリューゲルスに加入し、長期出場停止処分を受けた森敦彦に代わって新人ながら正GKとして出場した。1996年は開幕から6試合連続無失点のJリーグ記録を樹立し、クラブとしても開幕8連勝を果たすなど上位進出に貢献した(最終順位は3位)。同年の活躍によりJリーグベストイレブンに初選出された。1998年シーズン限りでのクラブ消滅が決まった後、元日天皇杯優勝で有終の美を飾り、1999年山口素弘、そしてGKコーチのマザロッピと共に名古屋グランパスエイトへ移籍した。名古屋でも移籍一年目からそれまで正GKを務めていた伊藤裕二からポジションを奪い、2000年からは2013年まで14シーズン連続でキャプテンを務めるなどチームの中心選手として活躍。2009年7月25日の対浦和レッズ戦(埼玉スタジアム2002)にて、史上初の「Jリーグ公式戦100完封」を達成した。

2010年シーズンは、初のJリーグ優勝を経験し、GK初のJリーグMVPに輝いた。

2012年11月17日の対ジュビロ磐田戦 (ヤマハスタジアム) で史上2人目のJ1通算500試合出場を達成した。また、2013年5月6日の対ベガルタ仙台戦 (豊田スタジアム) でJ1通算512試合出場を達成、伊東輝悦が持っていたJ1最多出場記録を更新した。

2013年から2015年シーズンは、リーグ戦34試合に全て出場した。

2016年シーズンは、怪我もありリーグ戦27試合の出場となり、チームも低調な成績で自身初のJ2降格を経験した[4]

2017年シーズンもレギュラーとしてプレーするも、終盤に武田洋平にポジションを奪われ、J1昇格を決めたJ1昇格プレーオフでも武田にポジションを譲る形になった[5]

2018年シーズンは、オーストラリア代表のランゲラックの加入もあり、プロ入り後初めて公式戦無出場に終わった。12月2日に行われた2018年限りで引退するライバルであった川口能活の引退セレモニーにサプライズで登場し、その際に川口から「まだ、続けてください。僕の分も頑張ってください」と引退を視野に入れていた楢崎に言葉を掛けた[6]。しかし、2019年1月8日に引退を発表[7]。奇しくも川口と同じ年にユニフォームを脱ぐことになった[8]。3月2日に名古屋とC大阪の試合前に行われた引退セレモニーでは、川口がサプライズで花束を持って登場した[9]

引退後

2019年2月15日に名古屋グランパスで、Jクラブ初のCSF(クラブスペシャルフェロー)として活動する事を発表した[10]。CSFについて公式サイトでは、「『日本のGKがさらに世界で認められる手助けをし、日本のサッカー界の発展に貢献したい』という楢崎氏の想いに弊クラブが賛同し新設した役職。後進のGK育成のために、国内外の指導・育成現場の視察などの活動を通し、日本のGKのレベルアップに貢献できる取り組みについて検討、併せて、グランパスの渉外・広報活動、ホームタウン活動にも従事する」と綴られている[11]

2019年10月24日に開催されたJリーグ理事会において同年開催のJリーグアウォーズで(Jリーグ功労選手賞)の授与が決定した[12]

2020年には名古屋グランパスにて、上記の「クラブスペシャルフェロー」に加え「アカデミーダイレクター補佐」および「アカデミーGKコーチ」を兼任することとなった[13]

2021年2月18日、日本サッカー協会によるオンライン理事会の承認により、2021年度のJFAトレセンコーチに就任。全国各地域で有望な若手GKを育成していくと発表された。名古屋グランパスの「クラブスペシャルフェロー」、「アカデミーダイレクター補佐」、「アカデミーGKコーチ」とも引き続き兼任となった[14]

日本代表

日本代表には1996年に初選出され、1998年2月15日オーストラリア戦で国際Aマッチ初出場を果たした[1]。日本のワールドカップ初出場となった1998年フランス大会メンバーに初選出されるが出場機会は無かった。

フランス大会後、代表監督に就任したフィリップ・トルシエの下で出場機会を増やし、2002年日韓大会では川口能活に代わって正GKを務め、4試合全てに出場する。日本代表史上ワールドカップでの初勝ち点、初勝利(完封勝利)、初の決勝トーナメント進出に貢献した。また、この間2000年シドニーオリンピック代表にも森岡隆三三浦淳宏と共にオーバーエイジ枠で選出され全試合に出場した。

日韓大会後のジーコの代表監督就任後も代表の正GKを務め、2003年10月8日の親善試合チュニジア戦から2004年2月18日ドイツW杯アジア1次予選グループ3第1戦オマーン戦まで、7試合無失点という日本代表連続無失点記録を作った[15]。しかし、怪我で出場できなかったアジアカップにおいて楢﨑の代わりに川口が活躍し、大会後は出場機会が減り、2006年ドイツ大会では出場機会はなかった。

ドイツ大会後に代表監督に就任したイビチャ・オシムからは暫く招集を見送られていたが、クラブでの好調さを評価され2007年キリンカップのメンバーに招集され、モンテネグロ戦で24試合ぶりの先発出場を果たした。2008年のワールドカップアジア3次予選途中からは約5年振りとなる代表レギュラーとしてプレーした。

しかし2010年南アフリカ大会直前の練習試合においては、高地適用で遅れたために[16] スタメンを川島永嗣が務め、本大会でも出場機会は得られなかった。楢崎本人は日本に帰国してから、エル・ゴラッソの取材に「高山病はガセネタ。毎日練習していたし、高地にも普通に順化できた」と話している[17]

フル代表では、10年以上にわたり、楢崎と川口の二頭体制が続いた。川口が初先発した1997年2月13日スウェーデン戦から、南アフリカワールドカップ直前で、楢崎がスタメン落ちする前の試合である2010年5月23日韓国戦まで、2人のどちらかが先発した国際Aマッチは合計192試合に及ぶ(楢崎76試合、川口116試合)。この間に、2人以外のGKが先発した国際Aマッチは僅か24試合しか無い。

2010年9月7日グアテマラ戦(長居スタジアム)に先発フル出場(国際Aマッチ77試合目)。その後の記者会見で日本代表からの引退を表明した[18]

国際Aマッチ7試合連続無失点という日本記録を持っていたが[15]、2021年3月に権田修一によって更新された[19]

人物・エピソード

  • かつては海外移籍志望を持っていた[20]。2004年にはリーガ・エスパニョーラアトレティコ・マドリードが楢崎獲得に乗り出していると報道されたが[20]、実現には至らなかった。
  • シドニーオリンピック準々決勝のアメリカ戦で味方選手と衝突、流血しながら最後までプレーを続けた(試合後に病院に直行。左眉付近が骨折していることが判明した)がPK戦で敗れる。これには後日談があり、アテネ五輪の日本代表監督を務めた山本昌邦が五輪代表のキャンプでアデレードの同じ会場を訪れた際、選手たちに「あれが楢崎が血を流してまで守ろうとしたゴールだ。しっかり目に焼きつけておくように」と語った逸話がある[21]
  • 横浜フリューゲルスへの思い入れが強い。ライバルの川口能活が当時横浜マリノスにいたこともあり、フリューゲルス合併後に統合チーム(横浜F・マリノス)へ所属するという見方はほとんどなかった。「『前所属・横浜フリューゲルス』を消したくないので、できるならもう移籍したくない」という発言をしている[22]。その発言通り、2018年に引退するまで移籍することはなかった[23][24]
  • 2010年、楢崎が代表引退を発表した際、労う意味やその頃名古屋グランパスが優勝を目指していたことがあり、当時では珍しいディフェンスの選手のチャントを作ることになった。同年9月12日、アウェイ、モンテディオ山形戦。当日に、朝早く集まったサポーター達で作ったのである。当初は「楢崎正剛 名古屋の誇り 代わりは居ない お前が一番 そうさ俺らの守護神」だったが、「楢崎正剛」の発音から、歌いやすいように「名古屋」と「俺ら」を入れ替えた[25]

所属クラブ

ユース経歴
  • 香芝市立三和小学校
  • 香芝市立香芝中学校
  • 1992年 - 1994年 奈良育英高校
プロ経歴

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 (リーグ杯)(オープン杯) 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1995 横浜F - J 23 0 - 2 0 25 0
1996 23 0 14 0 2 0 39 0
1997 1 24 0 7 0 5 0 36 0
1998 34 0 0 0 5 0 39 0
1999 名古屋 J1 25 0 4 0 5 0 34 0
2000 30 0 2 0 2 0 34 0
2001 28 0 6 0 1 0 35 0
2002 30 0 0 0 3 0 33 0
2003 28 0 6 0 2 0 36 0
2004 26 0 0 0 2 0 28 0
2005 32 0 0 0 1 0 33 0
2006 24 0 2 0 2 0 28 0
2007 29 0 4 0 2 0 35 0
2008 30 0 2 0 1 0 33 0
2009 26 0 0 0 3 0 29 0
2010 34 0 0 0 0 0 34 0
2011 24 0 2 0 3 0 29 0
2012 32 0 1 0 4 0 37 0
2013 34 0 6 0 1 0 41 0
2014 34 0 6 0 2 0 42 0
2015 34 0 6 0 0 0 40 0
2016 27 0 3 0 1 0 31 0
2017 J2 29 0 - 0 0 29 0
2018 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
通算 日本 J1 631 0 71 0 49 0 751 0
日本 J2 29 0 - 0 0 29 0
総通算 660 0 71 0 49 0 780 0

その他の国内公式戦

国際大会個人成績
年度 クラブ 背番号 出場 得点
AFCACL
2009 名古屋 1 6 0
2011 6 0
2012 7 0
通算 AFC 19 0

その他の国際試合

代表歴

出場大会など

試合数

  • 国際Aマッチ 77試合 0得点 (1998年 - 2010年)[1]


日本代表国際Aマッチ
出場得点
1998 2 0
1999 3 0
2000 9 0
2001 1 0
2002 10 0
2003 12 0
2004 9 0
2005 4 0
2006 0 0
2007 1 0
2008 12 0
2009 6 0
2010 8 0
通算 77 0

主な受賞歴

横浜フリューゲルス
名古屋グランパスエイト/名古屋グランパス
  • 1999年 天皇杯優勝
  • 2010年 Jリーグ優勝

個人

  • (Jリーグ最優秀選手賞) ((2010年))
  • Jリーグベストイレブン ((1996年)、(1998年)、 (2003年)、(2008年)、(2010年)、(2011年))
  • Jリーグ優秀選手賞 (1997年、1998年、1999年、2000年、2002年、2003年、2004年、2008年、2010年、2011年)
  • (Jリーグ功労選手賞) (2019年)

出演

CM

映画

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c “楢崎 正剛”. サッカー日本代表データベース. http://www.jfootball-db.com/players_na/seigo_narazaki.html 
  2. ^ “Jリーグ2010年MVPに楢崎正剛 GK初受賞”. ORICON NEWS (2010年12月6日). 2020年8月2日閲覧。
  3. ^ 楢崎、バースデー完封だ。中日スポーツ2017年4月14日
  4. ^ 「もっとやれたはず」 守護神・楢崎、J2降格の現実に「辛いしかない」 サッカーキング 2016年11月3日付
  5. ^ 楢崎と玉田に契約延長オファー 風間監督「本当に一流」 中日スポーツ 2017年12月7日
  6. ^ 川口能活 引退セレモニーにサプライズ登場のGK楢崎正剛にエール「まだ続けてください」 スポニチ 2018年12月2日
  7. ^ 楢崎 正剛選手、現役引退のお知らせ 名古屋グランパス 2019年1月8日
  8. ^ GK楢崎、現役引退を発表 「最高のサッカー人生」もファンに勇姿見せられず「申し訳なく」 スポニチ 2019年1月8日
  9. ^ 楢崎正剛氏の引退セレモニーが開催「やっと一区切りがついた」 サッカーキング 2019年3月2日
  10. ^ 楢崎 正剛氏、名古屋グランパス クラブスペシャルフェロー就任のお知らせ 名古屋グランパス 2019年2月15日
  11. ^ 楢崎正剛氏、名古屋にて新たな役職に就任…Jクラブ初のCSFとして活動開始 サッカーキング 2019年2月16日
  12. ^ 『功労選手賞 受賞選手決定のお知らせ』(プレスリリース)日本プロサッカーリーグ、2019年10月24日https://www.jleague.jp/release/post-61275/2019年10月24日閲覧 
  13. ^ 月刊グラン』(中日新聞社) 2020年3月号 P4、18
  14. ^ 月刊グラン』(中日新聞社) 2021年4月号 P44
  15. ^ a b 日本サッカー協会編「日本代表公式記録集The Yearbook of JFA 2011」
  16. ^ 岡田監督、戦法変える! 岡崎1トップ デイリースポーツ
  17. ^ 楢崎とケネディが揃って「バッサリ」合流 エル・ゴラッソ 2010年7月10日閲覧
  18. ^ 楢崎が代表引退を表明 スポーツナビ 2010年9月7日閲覧
  19. ^ 守護神・権田、韓国シャットアウト!楢崎超えA代表歴代最多の8戦連続完封 スポニチアネックス 2021年3月26日閲覧
  20. ^ a b “”. 東京中日スポーツ. 2004年8月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年5月8日閲覧。
  21. ^ 代表のゴールを明け渡す楢崎正剛。対照的な川口の決断と、川島の課題。(2ページ目)-Number Web
  22. ^ 繰り返すな! 横浜フリューゲルスの悲劇-フットボールチャンネル
  23. ^ “【名古屋】気になる楢崎の去就動向。「前所属・横浜フリューゲルス」が残留への後押しになるか”. サッカーダイジェストweb (2016年11月12日). 2019年2月9日閲覧。
  24. ^ “楢崎引退…強かった「前所属・横浜フリューゲルス」への思い 残るは遠藤のみに”. スポーツニッポン (2019年1月8日). 2019年2月9日閲覧。
  25. ^ 楢崎の1冊. 中日新聞社. (2019年6月22日) 
  26. ^ “引退の川口能活&楢崎正剛がCM初共演 “レジェンドGKコンビ”共演は「やっぱりうれしかった」”. ORICON NEWS. 2019年4月29日閲覧。
  27. ^ “”. 金曜ロードSHOW!. 2016年6月11日閲覧。

著書

  • 「失点 取り返せないミスの後で」2010年6月4日発売 幻冬舎

関連項目

外部リンク

  • 楢﨑正剛 - Olympedia (英語) 
  • - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ (英語) 
  • 楢﨑正剛 - National-Football-Teams.com (英語) 
  • 楢﨑正剛 - Soccerway.com (英語) 
  • 楢﨑正剛 - WorldFootball.net (英語) 
  • 楢﨑正剛 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語) 
  • - FIFA主催大会成績 (英語) 
  • 楢﨑正剛 - J.League Data Siteによる選手データ 
  • 名古屋グランパスによる公式プロフィール
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