森 一哉(もり かずや、1974年4月17日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ミッドフィールダー。
来歴
徳島市立高校から慶應義塾大学に進学し、同大学ソッカー部でプレー。1997年に卒業すると、同年にプロ化した川崎フロンターレの創設時メンバーとなったが[1]、ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)への出場経験はなく、この1年間で現役を引退した[2]。現役引退後は、1999年から川崎の下部組織で指導者を歴任し、主にジュニアユース(中学生)世代の指導に当たった[3]。
2014年より、風間八宏監督の下でトップチームのコーチに就任した[4]。
2017年、前年まで川崎の監督だった風間が名古屋グランパスの監督に就任すると、森は名古屋のヘッドコーチに就任[5]し、2019年9月23日に風間が解任されたことに伴い契約解除された[6]。
2020年、東京ユナイテッドFCの監督に就任した[7]。2020年11月13日、2020年シーズンをもって退任すると発表された[8]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 1997年 川崎フロンターレ
個人成績
指導歴
- 1999年 - 2016年 川崎フロンターレ
- 1999年 スクール コーチ
- 2000年 ジュニアユース コーチ兼スクール コーチ
- 2001年 サッカースクールマスター
- 2002年 U-13 コーチ
- 2003年 U-14 コーチ
- 2004年 U-15 監督
- 2005年 U-13 監督
- 2006年 U-14 監督
- 2007年 U-15 監督
- 2008年 U-13 監督
- 2009年 - 2011年 U-15 監督
- 2012年 - 2013年 U-13 監督
- 2014年 - 2016年トップチーム コーチ
- 2017年 - 2019年9月 名古屋グランパス
- 2017年 - 2019年9月 トップチーム ヘッドコーチ
- 2020年 東京ユナイテッドFC 監督
- 2021年 - 2023年4月 南葛SC 監督
脚注
- ^ “川崎フロンターレ 選手・スタッフプロフィール 1997年シーズン”. 川崎フロンターレ. 2022年4月17日閲覧。
- ^ 1997年シーズンに森がつけていた背番号25は、1998年には鹿島アントラーズから期限付き移籍で加入した鬼木達に引き継がれた。後に鬼木とは2014年から2016年まで、風間監督の下で共にトップチームコーチを務めた。
- ^ 2005年から2007年まで担当した1992年度生まれの選手の中には、後に横浜F・マリノスでJリーグ得点王を獲得した仲川輝人がいた。
- ^ 森一哉U-13監督 トップチームコーチ就任のお知らせKAWASAKI FRONTALE、2014年1月10日
- ^ 『2017シーズン コーチングスタッフ体制のお知らせ 』(プレスリリース)名古屋グランパス、2017年1月5日2019年9月27日閲覧。 。
- ^ 『コーチングスタッフ体制変更のお知らせ 』(プレスリリース)名古屋グランパス、2019年9月23日2019年9月27日閲覧。 。
- ^ 『森一哉氏 監督就任のお知らせ ~総監督には共同代表の福田雅が就任~ 』(プレスリリース)東京ユナイテッドFC、2019年12月25日2020年1月16日閲覧。 。
- ^ 『森一哉監督 退任のお知らせ』(プレスリリース)東京ユナイテッドFC、2020年11月13日2021年1月5日閲覧。 。
- ^ 『森一哉氏、新監督就任のお知らせ』(プレスリリース)南葛SC、2020年12月7日2021年1月5日閲覧。 。
- ^ 『森一哉監督 契約解除のお知らせ』(プレスリリース)南葛SC、2023年4月11日2023年4月13日閲覧。 。