沿革
- 1872年(明治5年)に山川由良太(ゆらた)が個人として創業。
- 1954年(昭和29年)に山川酒造合資会社として設立。
- 1991年(平成3年)には株式会社に改組し、梅錦山川株式会社となった。
- 1995年(平成7年)に地ビール製造の免許を取得し、「梅錦ビール[1]」の販売を開始。
- 1996年(平成8年)に周桑郡丹原町(現・西条市丹原町)に、梅錦ガーデン丹原麦酒醸造所をオープン(2005年(平成17年)に閉鎖)。
- 2016年(平成28年)3月30日、同年3月24日に神戸市の酒造メーカー白鶴酒造が発行済みの株式を100%取得し同社の完全子会社となったことを発表[2]。社長は前白鶴酒造販売企画部長の藤原康展[2] で、創業家の山川浩一郎は相談役[2] となる。理由は当時創業家の5代目社長であった山川浩一郎に後継者がいないためであり、コンサルタント会社と相談して事業承継する企業を探していた中、白鶴酒造による子会社化の話が持ち上がった[2]。社名・ブランド名はそのまま残し、関係者約20人の雇用は継続する[2]。
概要
- 全国新酒鑑評会では金賞の常連になっている。
- 1977年から2012年まで杜氏などを務めた「現代の名工」に選ばれた山根福平が1993年と同じ年に醸造した純米吟醸原酒「1993」とヴィンテージ日本酒として登場した[3][4]。
- 主屋[5]・仕込蔵は、国の登録有形文化財に登録されている。
- 1998年8月には、梅錦山川の呼びかけで、1998年7月から高松市で3回の四国各地の地ビール生産業者らによる懇話会が開催された[6][7]。同年9月9日には4県8社による「四国地ビール協議会」が発足し、共同での宣伝活動や、共同イベントを開催し販売促進活動を進めたり、技術研修会などを実施していくことになった[6][7]。協議会事務局は梅錦山川の社内に置かれた[6]。8社の内訳は香川県(阿波うず潮ビール)、愛媛県梅錦山川((梅錦ビール))、水口酒造(道後ビール)、ファーム(清流ビール、大洲水郷麦酒)、香川県は隆祥産業((讃州麦酒))、(加ト吉観光)((こんぴら麦酒))、高知県は(土佐黒潮ビール)((土佐黒潮麦酒))、(よさこいビール)(よさこいビール)であり、1998年時点での四国の全ビール製造業者が参加した[6][7]。初代の代表幹事には山川浩一郎が就任した[6][7]。
受賞歴
- 全国新酒鑑評会
平成14酒造年 - 29酒造年[8]
- 「梅錦」金賞受賞 - 平成29年受賞
関連項目
脚注
外部リンク
- 梅錦山川株式会社
- 純粋日本酒協会
座標: 北緯33度59分21.02秒 東経133度35分38.18秒 / 北緯33.9891722度 東経133.5939389度