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梅川 昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 1979年1月28日)は、日本の殺人、強盗犯。シリアルキラー。大竹市強盗殺人事件及び三菱銀行人質事件を起こした。
来歴
広島県佐伯郡小方村(現・大竹市)で生まれる(当時父46歳、母42歳)。姉もいたが、梅川が生まれる前に夭折。幼少時代を極貧の中で過ごす。8歳時に父親が脊髄を患い歩行困難となり退職、母親は梅川が小5の時、離婚して家を出て行く。
梅川は父親の郷里・香川県大川郡引田町(現・東かがわ市)に連れて行かれ、現地の小学校に転入。だが父親は長男でありながら家督を継がずに若くして家出をしていたので梅川一族に冷遇される。それに憎悪を抱いた梅川は一年後に家出し、別れた母親を頼って、生まれ故郷の大竹市内に逃げ帰る。
工場の炊事婦として朝から深夜まで働く母親の元で梅川は放任状態となり、中学時代には喫煙、暴行等での補導が度重なり外泊も頻繁になる。広島工業大学附属工業高等学校(現在の広島工業大学高等学校)へ進学したが授業に出席することは稀で、オートバイを盗んで逮捕され、入学わずか四ヶ月で退学させられる。
悩んだ両親は何年かぶりに再会し、復縁することで梅川の更生を図る。しかし、独り暮らしを始めた梅川はアパートの家賃や遊興費捻出のため、15歳の時、以前アルバイトをした大竹市内の土建業者宅に強盗目的で侵入し、社長の義妹(当時21歳)を刃先が折れるほど刃物でメッタ刺しにして殺害し、現金や通帳などが入った金庫を奪い逮捕され、山口の特別少年院へ送致収容される。供述において梅川は「(金を盗るのに)邪魔だから殺した」「他の奴らはぬくぬくと暮らし、何で俺だけが貧乏して苦しまないかん」と述べたという。梅川の少年院行きを命じた広島家庭裁判所は、審判の最後に「少年の病質的人格は既に根深く形成されていて、容易に矯正しえないものである。少年が今後、社会に出れば同様の多種の非行を繰り返し、再び犠牲者が出る可能性があると思料される。だが少年であるがゆえに処罰しえない」と補足し、結局この審判が後の事件による犠牲者を生むこととなった。
1979年1月26日に三菱銀行人質事件を起こし、銀行員と警察官を2人ずつ殺害した後、1月28日に突入した大阪府警察本部警備部第二機動隊零中隊に射殺された。30歳没。
人物
梅川は何度か女性と交際し、犯行寸前まで同棲していた女性もいた。嫉妬に狂った梅川が女性を全裸にした上で玄関の外へ放り出したのは1度や2度ではなかった。
参考文献
- 麻生幾 『封印されていた文書(ドシエ)』 新潮文庫、2002年
梅川をモデルにした作品
- TATTOO<刺青>あり - 主人公の竹田明夫(演・宇崎竜童)は梅川をモデルにしている。