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2代目
2代目 | |
本名 | 鴨田 鈴太郎 |
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生年月日 | 1901年3月30日 |
没年月日 | 1948年1月22日(46歳没) |
出身地 | 日本 |
師匠 | (5代目柳亭左楽) |
名跡 | 1. 柳亭新楽(? - 1922年) 2. 2代目柳亭春楽(1922年 - 1948年) |
活動期間 | ? - 1948年 |
柳亭 春楽(1901年3月30日 - 1948年1月22日)は落語家。本名は鴨田 鈴太郎。
5代目柳亭左楽の門下で新楽、1922年に師匠の前名の春楽を名乗る。真打は昇進したかどうか不明。左楽の門下になる前から歌舞伎の声色をやっていた模様でかなりの腕だったという。大正から昭和の終戦ころまでの声色で十分に高座を勤めた人物。
女形の声色で人気者だった(山本ひさし)と組んで掛合い噺を演じたのが好評になり初代中村吉右衛門、2代目市川猿之助、2代目實川延若などの声色を得意とした。
大正の末から昭和17年ごろまでに多くの色声のSPレコードを残している。
4代目
四代目 | |
本名 | 井口 林太郎 |
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生年月日 | 1902年8月3日 |
没年月日 | 1977年8月4日(75歳没) |
出身地 | 日本・ |
師匠 | 二代目談洲楼燕枝 (六代目雷門助六) (三代目三遊亭圓遊) 八代目桂文治 二代目桂小文治 (五代目柳亭左楽) |
名跡 | 1. 談洲楼林之助 (1921年 - ?) 2. 雷門百助 (時期不明) 3. 雷門市松 (時期不明) 4. 三遊亭圓七 (時期不明) 5. 桂文治郎 (? - 1943年) 6. 桂玉治 (1943年 - 1952年) 7. 四代目柳亭春楽 (1952年 - 1977年) |
活動期間 | 1921年 - 1977年 |
柳亭 春楽(1902年8月3日 - 1977年8月4日)は落語家。本名∶井口 林太郎。
芸歴
- 1921年 - 二代目談洲楼燕枝に入門、「林之助」を名乗る。
- 不詳 - (六代目雷門助六)門下で「百助」と改名。
- 不詳 - 「市松」と改名。
- 不詳 - (三代目三遊亭圓遊)の門下で「圓七」と改名。
- 不詳 - 八代目桂文治門下で「文治郎」と改名。
- 1943年 - 二代目桂小文治門下で「玉治」を名乗る。
- 1952年4月 - (五代目柳亭左楽)門下で「四代目柳亭春楽」と改名。
昭和30年代から本格的に高座に上がり古老としてオールドファンを楽しませていた。古きよき時代の寄席の情緒を伝える数少ない芸人の一人だった。
当代
本名 | |
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生年月日 | 1996年1月5日(27歳) |
出身地 | 日本・埼玉県新座市 |
師匠 | 柳亭楽輔 |
名跡 | 1. 柳亭楽ぼう (2018年 - 2022年) 2. 柳亭春楽 (2022年 - ) |
出囃子 | 初春 |
活動期間 | 2018年 - 2022年 |
所属 | 落語芸術協会 |
柳亭 春楽(りゅうてい しゅんらく、1996年1月5日 - )は、落語芸術協会に所属する落語家。出囃子は『初春』。本名∶田辺 康。
経歴
1996年1月5日、埼玉県新座市出身。法政大学社会学部卒業。学生時代は落語研究会に所属。
2018年5月、柳亭楽輔に入門し前座名「楽ぼう」を名乗る。9月に楽屋入りし、10月に浅草演芸ホールで初高座。演目は『たらちね』。
2022年9月21日、神田松麻呂と共に二ツ目に昇進し「柳亭春楽」に改名[1][2]。昇進披露となる新宿末廣亭9月下席に出演していたが、体調を崩したため、当面の間休席となった[3]。
芸歴
外部リンク
脚注
出典
- 諸芸懇話会、大阪芸能懇話会共編『古今東西落語家事典』平凡社、(ISBN 458212612X)
- ご存じ 古今東西噺家紳士録