法政大学(ほうせいだいがく、英語: Hosei University)は、東京都千代田区富士見2-17-1に本部を置く日本の私立大学。1880年創立、1920年大学設置。大学の略称は法大(ほうだい)。
法政大学 | |
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大学設置 | 1920年 |
創立 | 1880年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人法政大学 |
本部所在地 | 東京都千代田区富士見2-17-1 北緯35度41分44.3秒 東経139度44分26.4秒 / 北緯35.695639度 東経139.740667度座標: 北緯35度41分44.3秒 東経139度44分26.4秒 / 北緯35.695639度 東経139.740667度 |
キャンパス | |
学部 |
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研究科 |
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ウェブサイト | https://www.hosei.ac.jp/ |
概説
大学全体
法政大学は、1880年4月設立の東京法学社(のち東京法学校)[1] および1886年設立の東京仏学校を前身とする、私立総合大学である。現総長は廣瀬克哉。
明治初期の頃、近代国家にふさわしい制度づくりの必要性や、自由民権運動が高揚する時代背景などから、近代的な法治システムや権利義務等を教育する、フランス法系の私立法律学校として創設された。これは法学部へと発展した日本最古の私立法律学校である[2]。
また、1920年に大学令準拠の旧制私立大学に昇格した一校であり、東京六大学の一校でもある(東京六大学野球連盟も参照)。現在では、15学部・大学院17研究科を擁する総合大学となっており、スーパーグローバル大学に選定されている[3]。
本部キャンパスは、東京都千代田区に所在する。旧江戸城外堀や皇居、北の丸公園、靖国神社付近に立地しており、都心の緑地に囲まれている。昭和期には郊外へと校地を広げ、現在は東京都内の市ケ谷・小金井・多摩に3キャンパスを有する。
一般入試の実志願者数では、2019年・2020年・2022年に日本一となっている[4]。
創立者のほかに、初代教頭のギュスターヴ・エミール・ボアソナード (Gustave Émile Boissonade) と初代総理(総長)の梅謙次郎を学祖とする。
理念・目的
- 自由な学風と進取の気象
建学以来「自由な学風と進取の気象」を校風としている。「自由と進歩」は1880年の「東京法学社開校ノ趣旨」に述べられており、「進取の気象」は法政大学校歌に謳われている。また、戦後これらの伝統にヒューマニズムの精神を加味した3つの指針「独立自由な人格の形成」、「学問を通じたヒューマニティの昂揚」、「日本人の社会生活の向上に寄与する人材の育成」を定めている。その後、「開かれた大学、開かれた精神」や「自立型人材の育成」を基本理念としながら、大学運営を行ってきた。そして、2016年に大学憲章を定めたうえで、次のようなミッションを掲げている[5]。
「 | 1. 本学の使命は、建学以来培われてきた「自由と進歩」の精神と公正な判断力をもって、主体的、自立的かつ創造的に、新しい時代を構築する市民を育てることである。 | 」 |
教育・研究
前身の東京法学社は、私立法律学校特別監督条規に基づいて帝国大学総長の監督下にあった、日本最古の私立法律学校として知られる。(五大法律学校)の中でも最も早く設立されたものであり、これが現在の法学部のルーツである[2]。また、経済学部が東京帝国大学や京都帝国大学そして慶應義塾大学に次いで4番目に設立され(1920年)[注釈 1]、経営学部も神戸大学や明治大学に次いで3番目に設立されており、多くの伝統学部が存在する。さらに1947年に日本最初の大学通信教育課程を開設[6] した他、1952年には中央労働学園大学の社会学部(日本の大学で初めて設立された社会学部)を吸収合併[7]。1995年にも日本最初の夜間博士後期課程を開設している[8]。
企業側へ学生を派遣し、短期就職させるインターンシップも他大学に先立ち早くから始動させている。また、生涯設計や就職活動などに対する意識をいち早く形成させる目的の「キャリアデザイン学」を開講しており、学部の枠を超えて1年次から教養科目として履修できる。2011年に公務員および法曹を目指す学生を支援するための「公務人材育成センター」を設置して公務員講座・法職講座を開講[9]、2014年には「高度会計人育成センター」を設置して会計専門職講座を開講している[10]。
国際社会で活躍できる人材を育成するための「グローバル教育センター」を2014年に開設しており、各学部のカリキュラムに連動した海外留学制度や国際ボランティア・国際インターンシップなどの様々な国際教育プログラムを整備している。学内においては、交換留学生と所定の条件を満たした日本人学生を対象に英語でゼミを行う「交換留学生受入れプログラム (ESOP)」を市ヶ谷キャンパスで開講しているほか、全学部の学生を対象に授業をすべて英語で行う「グローバル・オープン科目」や、ネイティブスピーカー講師による英語スキルの養成などを目的とした「英語強化プログラム (ERP)」、ネイティブスピーカーと英語で自由に会話できる「Gラウンジ (Global Lounge)」を、市ヶ谷・多摩・小金井の全キャンパスに設けている[11]。
2003年より教育の質を向上させることを目的としたファカルティ・ディベロップメント(Faculty Development、通称FD)プログラムを実施している。具体例としては、授業の満足度等を学生が評価する「学生による授業評価アンケート」を年2回行っている。2008年には総長室に「大学評価室」を付置し、自己点検・評価のための情報収集・調査・分析などを行っている。
沿革
(沿革節の主要な出典は公式サイト[12])
草創期の歴史
東京法学社から東京法学校へ
法政大学の前身である東京法学社は、1880年(明治13年)4月、当時の神田区駿河台北甲賀町に設立された[13]。
フランス法の流れを汲む金丸鉄・伊藤修・薩埵正邦・堀田正忠・元田直ら7名[注釈 3] の法律家・司法省関係者によって創立されたもので、「教師を聘し、専ら我国の新法を講義し、又仏国法律を講義す」る講法局と、「上告、控訴、初審の詞訟代言を務め、又代言生を陶冶す」る代言局で構成されていた。つまり、学内に弁護士事務所を置いて、学生に弁護士業務を体験させるリーガル・クリニックを備えた現代の法科大学院の原型といえる。
しかし、同年5月に「代言人規則」(現在の弁護士法に相当)が改正され、代言人組合以外に「私に社を結び号を設け営業を為したる」代言人は懲戒の対象となったため[14]、代言局での実務教育は続行できなくなった[15]。そのため、東京法学社は講義中心の通常の法律学校としての性格を強め、薩埵が中心となって1880年(明治13年)9月12日に「開校」。翌1881年(明治14年)5月に講法局が独立して東京法学校と改称した。
1883年(明治16年)には、ボアソナードが初代教頭に就任。パリ大学から招聘された日本政府の法律顧問で、不平等条約の撤廃のため日本の近代法整備に大きく貢献した。その功績から「日本近代法の父」[16][17][18] と呼ばれている。その後、1886年(明治19年)に帝国大学特別監督学校となり、1888年(明治21年)には文部省令第3号「特別認可学校規則」[19] により特別認可学校となった[20]。
仏学会・東京仏学校の設立
1886年(明治19年)4月に、辻新次(初代文部次官)・古市公威(帝国大学工科大学初代学長)・長田銈太郎(宮内省式部官、明治天皇の通訳)・山崎直胤(内務省初代県治局長)・平山成信(後の枢密顧問官)・寺内正毅(後の第18代内閣総理大臣、元帥陸軍大将)・栗塚省吾(後の大審院部長判事)の7名が、フランス学の普及を目的とした教育機関設立を計画。
同年5月に(仏学会) (La Société de Langue Française) が組織され(初代会長は辻新次)、11月に同学会が神田区小川町の東京法学校の正面に東京仏学校を設立した(初代校長は古市公威)[21]。
同校は1885年(明治18年)に旧東京大学に統合された官立の仏法系学校・司法省法学校の後身校的な性格をもち、フランス語で教授する法律科を有し、政府からは手厚い資金援助を受けていた。
また仏学会の会員には、名誉総裁に伏見宮貞愛親王、閑院宮載仁親王、小松宮依仁親王(後に東伏見宮)、名誉会員に徳川昭武(第15代将軍徳川慶喜の弟、水戸藩第11代藩主)、徳川篤敬(水戸徳川家第12代当主)、鍋島直大(佐賀藩第11代藩主)、蜂須賀茂韶(徳島藩第14代藩主)、太田資美(掛川藩第7代藩主)、大木喬任(元老院議長、枢密院議長)、山田顕義(司法大臣)、ボアソナード、アッペール等が名を連ね[22]、彼ら会員からの支援も受けながら東京仏学校は設立・運営された[23]。
なお、当時の文部官僚トップで東京仏学校設立の中心人物であった辻新次と、当時の司法省刑事局長で後に東京法学校の校長に就任した河津祐之は、1872年(明治5年)頃の文部省において箕作麟祥のもとで学制の起草にあたっていた元同僚であり[24]、両者とも仏学会の創立会員である。
当初はフランス学を教授することを目的としていたが、法律科の設置以降は法律学校としての性格を強め、1888年(明治21年)に文部省令第3号「特別認可学校規則」[19] により特別認可学校となった[25]。
東京法学校と東京仏学校の合併
フランス法系の結集を図るため、1889年(明治22年)5月の仏学会臨時総集会において、東京法学校と東京仏学校の合併ならびに和仏法律学校への改称が決議され、9月9日に同校が正式に発足した[26]。
初代校長には、当時の司法次官(司法官僚トップ)で日本における「法律の元祖」[27] といわれる箕作麟祥が就任。以後、日本の現行諸法典を創った法典調査会の中心人物が校長に就任している。その中でも、「日本民法典の父」[28] といわれる梅謙次郎は、20年間にわたり学監、校長、初代総理として、本学の発展に大きく貢献した。
梅が校長を務めていた1903年(明治36年)に法政大学と改称(専門学校令準拠)。その後、1920年(大正9年)に日本の私立大学では慶應義塾大学・早稲田大学についで、最も古い段階で大学令に基づく大学となった(詳しくは旧制大学参照)。そして、1949年(昭和24年)より新制大学となって今に至っている。
年表
明治
- 1880年(明治13年)
- 1881年(明治14年)5月 - 講法局が独立し東京法学校と改称(主幹薩埵正邦)。
- 1883年(明治16年)9月 - 初代教頭にボアソナード(旧民法・旧刑法・治罪法(刑事訴訟法)起草者、日本政府顧問)が就任。修業年限を3年とする。
- 1884年(明治17年)3月 - 神田区小川町に移転。
- 1885年(明治18年)
- 6月 - 最初の卒業生8人を出す[30]。
- 9月 - 東京法学校の(通信教育機関)(中央法学会)設立。
- 1886年(明治19年)
- 1887年(明治20年)10月 - 校友会を設立[32]。
- 1888年(明治21年)
- 3月 - 五大法律学校連合大討論会に参加。同討論会は1890年7月まで13回開催された[33]。
- 5月 - 東京法学校、普通科と法律科を設置、補習科を廃止。
- 6月 - 認可生・員外生・傍聴生の制度を新設。
- 1889年(明治22年)
- 1890年(明治23年)
- 6月 - 現在の市ケ谷キャンパスにほど近い、麹町区富士見町6丁目16番地の九段上校舎に移転。
- 7月 - 第1回衆議院議員総選挙で旧東京法学校卒業生2名(山田東次・田辺三五郎)当選。
- 1892年(明治25年)12月 - 第3回帝国議会で民法・商法施行延期法案可決(仏法派に打撃)。
- 1893年(明治26年)12月 - 和仏法律学校、司法省指定学校となる。
- 1895年(明治28年)3月 - ボアソナードがフランスに帰国(翌月和仏法律学校(名誉教頭)に推挙)。
- 1896年(明治29年)4月 - 和仏法律会を設立。
- 1898年(明治31年)
- 11月 - 学校組織を財団法人に改める。
- 12月 - 理事・幹事制新設。
- 1899年(明治32年)
- 4月 - 五大法律学校懸賞討論会を開催(1908年まで年1回開催)。
- 6月 - 高等科を開設。
- 11月 - 図書閲覧室を開設。『法学志林』創刊。
- 1900年(明治33年)9月 - 台湾協会学校が九段上校舎を借用(翌年まで)[34]。
- 1903年(明治36年)8月 - 専門学校令により法政大学と改称[注釈 6]、予科・大学部・専門部・高等研究科を設置。校長を総理と改称。初代総理に梅謙次郎(民法・商法起草者、東京帝国大学法科大学長、内閣法制局長官、文部省総務長官)就任。
- 1904年(明治37年)4月 - 専門部実業科を新設。清国留学生のための法政速成科を設置。
- 1907年(明治40年)
- 2月 - 実業科を商科と改称。
- 12月 - 学友会を結成。
- 1908年(明治41年)
- 4月 - 法政速成科の学生募集停止。
- 5月 - 大学部を法律科と政治科に分離、専門部に政治科を設置。
大正
- 1913年(大正2年)6月 - 総理を学長と改称、松室致(第17・21代司法大臣、検事総長、枢密顧問官、貴族院勅選議員)が学長に就任.。
- 1915年(大正4年)4月 - 野球部が正式に発足。中野(新井薬師)にグラウンドを開設[注釈 8]。
- 1917年(大正6年)4月 - 東京六大学野球連盟の前身である三大学(早慶明)リーグに野球部が加盟、四大学リーグ(早慶明法)結成、神田橋グラウンドを借用[注釈 9]。
- 1918年(大正7年)
- 1919年(大正8年)
- 1920年(大正9年)4月 - 法政大学設立認可(学長・松室致)。法学部(法律学科・政治学科)・経済学部(経済学科・商業学科)、専門部(法科・政治科・商科)設置。
- 1921年(大正10年)
- 4月 - 富士見町4丁目の第一校舎竣工。ヴィルヘルム・ゾルフ駐日ドイツ大使が竣工記念に来校[38]。
- 専門部が一部・二部制となる。
- 1922年(大正11年)
- 1923年(大正12年)
昭和
終戦前
- 4月 - 学部主任制度を学部長制度に改める。
- 1934年(昭和9年)
- 1935年(昭和10年) - 12月、高等文官試験対策に特化した高等研究科を設置。
- 1936年(昭和11年)
- 3月 - 大蔵省より官有地(現在の外濠校舎付近の土地[53])1,108.99坪を払い受ける[54]。
- 4月 - 大学予科を川崎市木月(現在の法政大学第二中学校・高等学校所在地)に移転し、富士見の大学敷地(現在の市ケ谷キャンパス)内に法政中学校(現:法政大学中学校・高等学校)を設立[54]。
- 1937年(昭和12年)4月 - 高等師範部に歴史地理科を新設。
- 1938年(昭和13年)2月 - 人民戦線事件で法大関係者からも検挙者が出る(ただし全員無罪[注釈 15])。
- 1939年(昭和14年)
- 1940年(昭和15年)4月 - 法文学部英吉利文学科・独逸文学科・仏蘭西文学科・国文学科・哲学科・心理学科・社会学科を文芸学科・文政学科に改組。
- 1941年(昭和16年)
- 1月 - 学友会を報国会と改称。
- 9月 - 予科図書館落成。
- 1943年(昭和18年)
- 1944年(昭和19年)
- 2月 - 『法学志林』休刊(1949年復刊)。
- 4月 - 法政大学航空工業専門学校設立(木月校舎)。
- 7月 - 教科研事件で検挙された城戸幡太郎教授を即時解職[56]。
- 1945年(昭和20年)
終戦後
- 1951年(昭和26年)
- 1952年(昭和27年)
- 4月 - 麻布校舎に社会学部を設置[注釈 17]。工学部が麻布校舎に移転。野上記念法政大学能楽研究所設立。
- 5月 - 血のメーデー事件で法政大学の学生が死亡[72]。
- 1953年(昭和28年)
- 2月 - 53年館(大学院校舎)竣工。
- 3月 - 財団法人日本統計研究所(前身は日本銀行国家資力研究所)が本学へ移管される。
- 4月 - 木月教養部から法・文学部2年生が市ケ谷に移転[73]。
- 10月 - 53年館内に図書館大学院分室を設置[74]。
- 1954年(昭和29年)4月 - 木月教養部から経済学部2年生が市ケ谷に移転(木月は1年生のみとなる)[75]。
- 1955年(昭和30年)
- 2月 - 55年館竣工。
- 4月 - 社会学部が麻布校舎から市ケ谷に移転。55年館地下食堂(富士見食堂)が開店。
- 5月 - 能楽研究所が文学部付置研究所となる。
- 1956年(昭和31年)
- 2月 - 法政大学消費生活協同組合設立認可。
- 9月 - 海外留学派遣制度発足(翌年度から実施)。
- 1957年(昭和32年)3月 - 58年館敷地(靖国神社所有地)1070.36坪を購入[76]。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 4月 - 経営学部経営学科を設置。有沢広巳が総長に就任。
- 12月 - 工学部移転用地を購入(現在の小金井キャンパス)。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)4月 - 文学部第一部史学科・地理学科開設、文学部第二部史学科・地理学科学生募集停止。
- 1962年(昭和37年)
- 1963年(昭和38年)
- 1964年(昭和39年)
- 1月 - 55年館地下の富士見食堂が廃業し、生協食堂となる[82]。
- 3月 - 小金井キャンパス竣工、工学部が麻布校舎から移転。
- 4月 - 法政大学計算センター(現・情報メディア教育研究センター)開設。
- 12月 - 町田校地(現在の多摩キャンパス)購入開始(〜1967年)。
- 1965年(昭和40年)
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)
- 2月 - 大原社研麻布分室を設置。
- 3月 - 総長公選制が実現し、渡辺佐平が総長に就任。
- 1968年(昭和43年)
- 4月 - 工学部電気工学科に電気電子専攻、計測制御専攻を増設。
- 5月 - 中村哲が総長に就任。
- 1969年(昭和44年)
- 1970年(昭和45年)
- 7月 - 町田プロジェクトチーム結成。
- 8月 - 市ケ谷キャンパスで東京教育大学生リンチ殺人事件が発生。
- 10月 - 市ケ谷キャンパスに鉄柵設置(1992年撤去)、新館・六角校舎を解体。
- 1971年(昭和46年)
- 4月 - 他学部聴講制度開始。
- 9月 - 経営学部で電算機実習開始。
- 12月 - 能楽研究所が麻布校舎に移転。
- 1972年(昭和47年)6月 - 法政大学沖縄文化研究所設置(麻布校舎内)。
- 1973年(昭和48年)
- 8月 - 学生会館竣工。
- 12月 - 法政大学社会労働問題研究センター設置(1986年大原社研に吸収)。
- 1974年(昭和49年)7月 - 町田開発本部設置。
- 1975年(昭和50年)
- 1月 - 市ケ谷総合体育館竣工。
- 11月 - 法政大学ロンドン分室をロンドン大学に設置(現在のヨーロッパ研究センター)。
- 1976年(昭和51年)
- 1977年(昭和52年)
- 1月 - 町田市への校舎移転に反対する学生らの抗議運動が激化。後期試験の一部日程が変更、中止される[89]。
- 4月 - 東京都、町田校地開発を許可。国際交流センター設置。
- 5月 - 法政大学ボアソナード記念現代法研究所設置。
- 1978年(昭和53年)3月 - 町田校地第一期工事地鎮祭を行う。
- 1979年(昭和54年)
- 3月 - 一般推薦入学制度決定(翌年度入試から実施)。
- 11月 - 奨学金留学制度開始。
- 1980年(昭和55年)
- 1981年(昭和56年)
- 1982年(昭和57年)
- 8月 - ロンドン大学ロイヤルホロウェイ校と学術交流協定を締結。
- 9月 - 経済学部・社会学部教授会、町田移転案を承認[注釈 23]。
- 11月 - 北京大学と学術交流協定を締結。
- 12月 - シェフィールド大学(イギリス)、カール・マルクス経済科学大学(ハンガリー)と学術交流協定を締結。
- 1983年(昭和58年)4月 - フンボルト大学(東独)と学術交流協定を締結。
- 1984年(昭和59年)
- 1985年(昭和60年)
- 3月 - 短期大学部廃止。
- 4月 - 比較経済研究所が多摩キャンパスに移転。
- 6月 - 上海外国語学院と教員交換に関する覚書調印。
- 日本統計研究所が多摩キャンパスに移転。
- 1986年(昭和61年)
- 1987年(昭和62年)10月 - パリ第一大学と学術協力協定を締結。
- 1988年(昭和63年)
- 4月 - 能楽研究所が文学部付置から離れて再び独立研究所となる。
- 6月 - 多摩キャンパス城山地区の造成工事完了。
- 10月 - 自主マスコミ講座を創立。
平成
- 1989年(平成元年)11月 - 理事らによる川崎第2グラウンド売却に絡む7億円詐欺発覚[92][93]、さらに校友会の金権体質が露わになる(翌年5月)[94]。
- 1990年(平成2年)
- 3月 - 戦没者学生への卒業証書授与式を挙行。
- 12月 - 法政大学経営倫理綱領を制定。
- 1992年(平成4年)
- 9月 - 市ケ谷図書館にビジュアルコーナーを設置。
- 10月 - 92年館(大学院棟)竣工。
- 1993年(平成5年)
- 4月 - 工学部物質化学科・電子情報学科・システム制御工学科を新設、8学科編成となる。
- 7月 - 市ケ谷再開発プロジェクト・チームおよびカリキュラム改革プロジェクト・チーム(準備会)発足。
- 1994年(平成6年)
- 5月 - 「21世紀の法政大学」審議会発足。
- 11月 - 小金井キャンパスに南館竣工。
- 1995年(平成7年)3月 - 53年館解体(~5月)[注釈 25]。
- 1996年(平成8年)
- 3月 - スポーツハウス96(石岡)竣工。
- 4月 - 社会学部応用経済学科廃止、社会政策科学科新設。多摩地域社会研究センターを設立(2003年地域研究センターに改組)。
- 9月 - 市ケ谷再開発調整委員会発足。
- 11月 - 多摩キャンパス図書館を地域住民に開放。
- 1997年(平成9年)
- 10月 - 名誉博士規程を制定。計算センターを計算科学研究センターに改組。
- 11月 - 市ケ谷再開発第1期工事着工。
- 1998年(平成10年)
- 2月 - スポーツハウス98(石岡)竣工。
- 3月 - 法政Vブリッジ(多摩)竣工。
- 10月 - 法政大学エクステンションカレッジ創設。
- 1999年(平成11年)
- 3月 - 多摩キャンパスに16号館-EGG DOME-竣工。
- 4月 - 国際文化学部・人間環境学部を設置。
- 6月 - 総合大学で初めてISO 14001取得。
- 2000年(平成12年)
- 3月 - 市ケ谷キャンパスにボアソナード・タワー竣工。現代法研究所、能楽研究所、沖縄文化研究所、産業情報センターが同タワー内に順次移転。小金井キャンパスに西館竣工。
- 4月 - 現代福祉学部・情報科学部を設置。工学部1年生が小金井キャンパスに移転[95]。
- 5月 - 情報技術(IT)研究センター開設。
- 2001年(平成13年)
- 1月 - 法政大学アメリカ研究所開設。
- 4月 - 経済学部に国際経済学科を新設。
- 2002年(平成14年)
- 4月 - 社会学部にメディア社会学科を新設。
- 10月 - 法政大学国際日本学研究所開設。
- 2003年(平成15年)
- 3月 - 第一・第二教養部廃止。
- 4月 - キャリアデザイン学部設置、経営学部に経営戦略学科と市場経営学科を新設、文学部に心理学科を新設。
- 2004年(平成16年)
- 3月 - 小金井キャンパスにマイクロナノテクノロジー研究センター竣工。
- 4月 - 大学院法務研究科(法科大学院)・イノベーションマネジメント研究科設置、工学部にシステムデザイン学科を新設。
- 12月 - 市ケ谷キャンパス学生会館を解体。
- 2005年(平成17年) - 会計大学院設置、法学部に国際政治学科を新設、経済学部に現代ビジネス学科を新設、スポーツ・サイエンス・インスティテュートを設置、イノベーションマネジメント研究科(経営大学院)設置、FDキャリアセンターおよびキャリアセンター発足。
- 2006年(平成18年)
- 3月 - 法政大学学生運動の一斉検挙
- 4月 - 市ケ谷キャンパスに隣接する嘉悦学園女子中学校・高等学校の敷地4,895m2[96] と校舎を購入しキャンパスを拡張、富士見坂校舎利用開始。工学部に生命機能学科を新設、グローバル学際研究インスティテュート (IGIS) 開講。
- 2007年(平成19年)
- 3月 - 市ケ谷キャンパス(学生会館跡地)に外濠校舎が竣工。小金井キャンパス再開発を開始。
- 4月 - 工学部の一部学科を改組しデザイン工学部を設置。
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)4月 - スポーツ健康学部設置。静岡サテライトキャンパス開設。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 4月 - 東日本大震災の影響によりこの年の学位授与式・入学式を中止、小金井キャンパスの北館・管理棟が竣工。
- 2012年(平成24年)
- 3月 - 二部(夜間課程)を廃止。
- 2013年(平成25年)11月 - 東京六大学で初となる女性総長(田中優子)を選出。
- 2016年(平成28年)9月 - 市ケ谷キャンパスに富士見ゲート竣工。
- 2018年(平成30年)
- 2019年(平成31年)3月 - 市ケ谷キャンパスに大内山校舎竣工。大原社研創立100周年・合併70周年記念シンポジウムを開催[99]。
令和
- 2020年(令和2年)
- 4月 - HOSEIミュージアム (Hosei University Museum) 開館。
- 新型コロナウイルス感染症流行の影響により、学位授与式と春季入学式を中止。
- 2021年(令和3年)
主要な歴代校舎
- 小川町校舎
神田区小川町1番地に所在した建坪が316.5坪のレンガ造りの校舎[102]。東京法学校時代の1884年(明治17年)から使用された[103]。レンガ造りの旧勧工場(内国勧業博覧会を日常化した百貨商品販売所)の建物を買い取って内部を改築したもので[103]、建物の前の半分が教務室、食堂、寄宿舎、奥の半分が約300人収容の講堂を中心とした教室であった[104]。その頃の学校としては、かなり人目を引く規模の校舎であったという[104][注釈 26]。この新校舎の購入に際しては、ボアソナードが私財を投じたといわれ[105][106]、校舎の前面には、当時の大審院院長であった玉乃世履の揮毫による「東京法学校」の大文字の額が掛かっていた[104]。
なお、東京法学校はこの校舎の向かいにあったもう1棟のレンガ造り建坪144坪の建物[107] も所有していたが、こちらは仏学会 (La Société de Langue Française) に賃貸され[108]、1886年(明治19年)の東京仏学校開校時の校舎となった。また、この東京仏学校の校舎は、仏学会からさらに夜間のみ東京物理学校(現・東京理科大学)に賃貸され[108](転貸借)、東京法学校と東京仏学校が合併に向けて動き出した1888年末に東京物理学校に売却された[109](同校が1906年に神楽坂に移転するまで使用)。
- 九段上校舎
卒業記念写真(1890年)
和仏法律学校時代の1890年(明治23年)に九段上[注釈 27] に竣工した建坪が255坪の木造2階建ての校舎[110]。設計は、エコール・サントラル・パリ (École Centrale Paris) を卒業し、同時期(1890年前後)に帝国大学や一高から五高までの校舎も手掛けた山口半六[111]。
6つの講堂、事務室、応接所、書籍閲覧室などが設けられ[110]、教員や学生たちからは「梧桐の校舎」と呼ばれて親しまれたが[111]、大正期には手狭になったため[注釈 28]、1918年(大正7年)に富士見町4丁目12・13番地(現在の市ケ谷キャンパスの所在地)を買収し[112]、新校舎を建設することになった[注釈 29]。そして1921年に第一校舎が竣工し、移転した[112]。旧九段上校舎は1923年に大東文化学院(現・大東文化大学)に売却され[40]、同学院校舎として1941年まで使用された[113]。
- 旧第一校舎
水面に映る旧第一校舎ほか
1921年(大正10年)に旧江戸城外堀沿いの富士見町4丁目12・13番地(現在の市ケ谷キャンパス)に竣工した木造モルタル3階建ての校舎。
3階 | 小教室4、中講堂(合併授業用)、大講堂 |
2階 | 小教室(十数室) |
1階 | 学長室、教員室、事務室、学生控室など |
3階の大講堂では、各種式典や講演会などが行われ、日本美術院の展覧会や学生たちによる外国語劇なども催された[39]。第一校舎の竣工記念に、ヴィルヘルム・ゾルフ駐日ドイツ大使を招待してゲーテ作のドイツ語劇『ファウスト』が上演されたほか[38]、1922年にはロマン・ロラン作のフランス語劇やオーガスタ・グレゴリー作の英語劇なども上演された[39]。また、国賓として来日[114] したフランスのジョッフル元帥が1922年2月に来校した際に、学生を励ます演説を行ったのも、この大講堂であった[39]。
1923年に発生した関東大震災での損害は軽微で[115]、授業再開も早かったため、その翌年から法政大学への入学志願者が急増することになった[116]。 戦前の法大を代表する校舎であったが、1945年5月25日から26日にかけての米軍による空襲によって焼失した[117]。
- 旧第二校舎
1922年(大正11年)に竣工した建坪が207坪の木造3階建ての校舎[112]。第一校舎に接続して建てられ[112]、大小の教室のみが設けられていた[118]。主に学部の授業に使用されたが[118]、第一校舎とともに空襲により焼失した。
- 旧第三校舎(戦後は第一校舎)
旧第三校舎講堂
法政大学擬国会
1927年(昭和2年)に竣工した鉄筋コンクリート地上4階・地下1階建ての校舎。山下啓次郎の設計によるもので、完成当時は小講堂や図書館機能を有し、名称は第三校舎であったが、戦後は第一校舎と称されるようになる。末期には国際交流センターやキャリアセンターなどが入っていた。
2007年の外濠校舎完成後に取り壊され、これを最後に市ケ谷キャンパスからは戦前の校舎が全て姿を消すことになった。2007年4月21日には第一校舎の顕彰イベントが行われ、山下啓次郎の孫にあたるジャズピアニストの山下洋輔の演奏会などが催された[119]。なお、山下洋輔の母方の祖父は元法大総長の小山松吉である。
- 旧第四校舎(戦後は第二校舎、通称「六角校舎」)
1928年(昭和3年)に竣工した鉄筋コンクリート校舎。蒲原重雄の設計によるもので、その名の通り六角形を2つ組み合わせた形をしており、内部の螺旋階段が特徴的な校舎であった。しかし日本の学生運動が激化した1970年に東京教育大学生リンチ殺人事件が発生し[120]、管理上の問題から同年10月に解体された[121]。
- 木月校舎(予科→第一教養部→第二中学・高校)
木月校舎(予科時代)の時計塔
木月校舎正門から見た時計塔
法政大学第二中・高校の旧時計塔
昭和初期には市ケ谷の校舎が手狭になったため、近隣地の取得を目指していたが[122]、東京横浜電鉄(現・東急)から川崎市木月所在の日活撮影所予定地[123](1万坪)を無償提供されることになり、この地に大学予科を移転することになった。これには校友で教授の(児玉正勝)が奔走したほか、東横社長の五島慶太が若い頃に富井政章の書生をしていた縁もあった[124]。その頃の木月は桃畑と麦畑が広がる田園地帯で、晴れた日には遥か遠くに富士山を眺めることもできた[125]。
鉄筋コンクリート3階建て、中央に時計塔の聳えた白亜の校舎は、1936年(昭和11年)10月に落成式が行われ[125]、1939年(昭和14年)までに野球場、陸上競技場、ラグビー場、プールなども順次建設され、さらに法政大学第二中学校(現在の二中高)も同地に設立された。
1945年(昭和20年)5月23日夜の空襲で時計塔校舎は無事だったが、付属の木造建築物(図書館、二中校舎、野球部合宿所など)の多くは焼失した[126][127]。終戦直後には占領軍が木月校地を一部接収し(1948年まで)[128]、二中校舎の焼け跡や校庭は軍用トラックの駐車場、菜園と化していた野球場は米軍専用球場となり、銃を持った米兵がしばしば教室を巡検した[129]。
新制法政大学の(第一教養部)が1958年(昭和33年)に市ケ谷への移転を完了した後、時計塔校舎は二中高に引き継がれ、竣工から約80年を経た2014年に、2代目の時計塔校舎に建て替えられている。
- 麻布校舎
三ノ橋の中央労働学園校舎
統合後は麻布校舎となり工学部や大原社研などもここに入居していた。
1951年(昭和26年)に法政大学と合併した中央労働学園大学から受け継いだ鉄筋コンクリート4階建て、延べ面積800坪の校舎。翌年から社会学部と工学部、法政大学第一工業高等学校の校舎となった。1955年(昭和30年)に社会学部、1964年(昭和39年)に工学部、1965年(昭和40年)に第一工業高校が移転した後は法政大学出版局や大原社会問題研究所(麻布分室)、能楽研究所、沖縄文化研究所の施設となったが、1984年(昭和59年)に売却された。
- 53年館
53年館竣工直後の市ケ谷キャンパス
中央の空き地に55年館と58年館が建設されることになる。右が53年館、左が55年館
53年館と55年館を結ぶ連絡階段
戦後間もない1953年(昭和28年)に竣工した地上6階・地下1階建ての校舎。55年館と連絡階段で結ばれ、大学院棟として使用された。設計は工学部の教授で、後に国立能楽堂なども手掛けた大江宏。当時の校舎としては斬新なガラス張りの建物であった。大江宏は「アカデミズムの府らしい重厚な建築」ではなく、ガラス張りで外光をふんだんに取り込める、当時の校舎としては画期的な建物を構想し[130][131]、「ネオン輝く大学院」[132] と報じられたが、「HOSEI UNIVERSITY GRADUATE SCHOOL」のネオンサインを見た評論家の大宅壮一からは、「HOTEL UNIVERSITY」と冷やかされたといわれる[133]。
53年館の中庭には、フランスの彫刻家フェリックス・ベヌトー作の原型から作られたボアソナード博士像が置かれた。これは、最高裁判所、外務省、フランス大使館、東京大学法学部、法政大学、明治大学、日仏会館などの後援により[134]、パリ大学に置かれている胸像と同じ原型をもとに、東京藝術大学の海野清教授らが製作した2基の胸像を、最高裁判所と法政大学に設置することになったものである[134]。1953年12月21日午前に最高裁判所で行われた胸像除幕式には、吉田茂内閣総理大臣、田中耕太郎最高裁判所長官、レオン・ジュリオ・ド・ラ・モランディエールパリ法科大学長 (le doyen de la faculté de droit de Paris) 、ダニエル・レヴィー駐日フランス大使、大内兵衛法大総長、鵜沢総明明大学長らが出席し[135]、同日午後には、ほぼ同じメンバーで法政大学においても除幕式が挙行された[135]。
53年館は老朽化のペースが予想以上に激しいことが判明したため[136]、1995年に第Ⅱ58年館とともに解体された[注釈 30]。跡地にはボアソナード・タワーが建設され、ボアソナード博士像も同タワー内に再設置されている[135]。
- 55年館
右が55年館、中央から左が58年館
1955年(昭和30年)に竣工した地上7階・地下1階建ての校舎。当時の工学部教授であった大江宏の設計によるモダニズム建築の建物で、58年館と一体になっていた。正門側から見て右側にあたり、市ケ谷キャンパス最大の教室であった511教室や、各種大・中教室(のちに小教室も設けた)、学生食堂などが入っていた。校舎としては日本最初の鉄骨高層の建築物といわれ[137][138]、また当時としては珍しかった[139] 1階から7階まで続くスロープのほか、カラー・コンディショニングなどの多くの新しい試みも実用化され[139]、58年館とともに、1958年に第10回日本建築学会賞作品賞、1960年に第1回BCS賞を受賞している。55年館の落成記念式典には、安藤正純文部大臣、島田孝一日本私立大学連盟会長らが出席した。
建設されたのは戦後間もない資金的にも苦しい時期であったが、当時の大内兵衛総長の判断で着工され、511教室前の壁には大内の揮毫による「学而不思則罔 思而不学則殆」(学びて思わざれば則ち罔し、思いて学ばざれば則ち殆し 『論語』為政篇)のレリーフが掲げられていた(2019年に大内山校舎に移設)。
- 58年館
1958年(昭和33年)に竣工した地上7階・地下1階建ての校舎。大江宏の設計によるモダニズム建築の建物で、55年館と一体になっていた。正門側から見てピロティを含む左側にあたり、各種教室、学生ホール、地下商店街、学生食堂、事務室、教授室、理事室、総長室などが入っていた。竣工した年に55年館とともに第10回日本建築学会賞作品賞、1960年に第1回BCS賞を受賞しており、戦後の法大を代表する校舎であった。58年館の竣工記念行事には、元東京帝国大学総長で安田講堂などの設計を手掛けた建築家の内田祥三や、後に日本人初のプリツカー賞受賞者となる建築家の丹下健三、戦前にフランスで過ごした芸術家の岡本太郎らが参加している(右の画像はその時の写真)。岡本太郎は、完成直後の58年館を見て「私が見た世界の大学建築の中で、光線の考察や設備の点で群を抜いている」と評した[140]。
なお、53年館に隣接して第II58年館も建設されたが、こちらは53年館とともにボアソナード・タワーの建設に伴い解体された。
55年館と58年館の欠点は大・中教室ばかりで、語学やゼミなどには利用しづらいことであった[注釈 31]。この欠点を克服するために小教室中心の62年館(現・市ケ谷田町校舎)と69年館(現・法科大学院棟)が建設されることになる。
55年館と58年館は竣工から約60年を経た後に、エレメント(ディテール)、素材感、スケール等を継承した、2016年竣工の富士見ゲートおよび2019年竣工の大内山校舎に建て替えられ[141]、跡地には市ケ谷キャンパス中央広場が整備された(2021年竣工)[142]。また、この中央広場には、55・58年館の床石のパターンを模した「メモリアルコリドー」と呼ばれる通路や、柱があった位置に柱に見立てたスツール(背もたれや肘掛けのない椅子)も設置された[143]。
基礎データ
所在地
- 市ケ谷キャンパス(〒102-8160 東京都千代田区富士見2-17-1)
- 多摩キャンパス(〒194-0298 東京都町田市相原町4342)
- 小金井キャンパス(〒184-8584 東京都小金井市梶野町3-7-2)
象徴
校章
- 校章のデザインは旧制専門学校の時代から何度か変更があり、現在の校章は1930年に制定された[144]。長い伝統と永遠の真理をイメージして「大学」の二文字を亀の子型に図案化している。考案したのは当時の教授で建築家の山崎楽堂(本名 山崎静太郎)である[144]。画像は帽章。
エンブレム
- エンブレムは、校章と頭文字「H」、シンボルモチーフの組み合わせで構成されている。シンボルモチーフの羅針盤は、「その先の自分」の進む方向性を示す「進歩」の象徴、鳥の羽は、その進む方向に向かって「自由」に飛翔する強い意志の象徴であると説明されている。
校旗
- 現在の校旗は、2008年1月に改めて作られたもので初代から数えて3代目に当たる。初代の校旗は戦災で焼失し、2代目は1947年に当時の学生課長が学生自治会と相談して、学生から5銭、10銭と醵金(きょきん)を集め、校章とスクールカラーを配することを条件として高島屋に一任したもので、制作費は15,000円であった。入学式・学位授与式の際に掲揚する以外は、通常目にする機会はない。
略旗
- 縦3列にスクールカラーで色分けされ、中央に「法政」を表すアルファベットの「H」を配したシンプルなもの。中央部分にはオレンジを、その他の部分で青(青紫)を使用。通常時は大学のシンボル旗として略旗が使用されているため、法政の旗というとこれを思い浮かべる者が多い。大学スポーツの応援や、大学グッズなどにもたいていこの略旗が用いられるため、法大生や受験生の間でも「法政の旗=略旗」のイメージが強い。略旗のデザインの起源については、応援団の「団旗」によるものと考えられている。1990年にはそれまで不明瞭だった寸法が正式に縦180cm、横270cmと制定され、中央の「H」の位置をはじめとする細かな寸法も定められた。
校歌
現在歌われている2代目の校歌。
初代校歌「名大いなれ法政」は格調高い歌ではあったが、六大学の野球応援では迫力を欠いたため、学生たちからより力強い校歌を求める声が上がった。
折からの法政スピル(スピリット)運動が盛り上がりを見せる中で1929年(昭和4年)11月、応援団の学生らにより「新学生歌作成準備委員会」が結成され、活発な募金活動も行われた。
学生対象の歌詞公募では当選作がなかったため、投票により作詞を佐藤春夫(当時の予科講師)、作曲を近衛秀麿に依頼することに決定した。
しかし近衛は佐藤の歌詞では作曲できぬといい、両者の間で激しい論争が起きた。その後、佐藤は未完のまま故郷の熊野に隠退した。改訂版の歌詞は学生委員を通じて熊野から届けられ、近衛はヨーロッパへの演奏旅行に向かう最中にシベリア鉄道の車内で楽譜を書き上げた。
新校歌の後押しを受けた法政大学野球部は1930年(昭和5年)秋のリーグ戦で悲願の初優勝を成し遂げた[145][146][147][148]。
作曲家の團伊玖磨は早稲田・明治とともに法政の校歌が「六大学の校歌の中で最も優れたもの」であり、「終りの”法政 おお わが母校”を二度繰り返す部分の旋律が実によく出来ているし、又美しくもある」と評している[149]。
大学ホームページ上で試聴ができるほか[150]、多くのカラオケボックスで曲目一覧に掲載されている。また着うた・着うたフル・着信メロディでも配信されており、法政大学アリオンコール等の法政大学の合唱団や音楽サークルが楽曲を提供している。
応援歌ほか
これらの曲は法大応援団などの演奏や東京六大学野球等の応援時に聴くことができる。また、曲を収録したDVD・CD・カセットテープを大学が発行しており、法大生は機会があれば無料で入手できるほか、大学内の大学グッズショップでも購入できる。
- 学生歌
- 「青春の烽火」
- 「オレンジの園に」
- ラランカラン
- 「歩みくれば御社」
スクールカラー
- スクールカラーは「オレンジ 」と「ブルー(紫より濃い青紫) 」であり、それぞれ「暁の太陽」と「青空」を表している。印刷番号は、オレンジがDIC161(4色分解/Y100%+M60%)、ブルーはPANTONE280(4色分解/C100%+M90%)である。
シンボルマーク
組織
学部
法学部
旧制法律学校時代からの伝統を有する学部で1880年創立。日本の大学では東京大学に次いで2番目に古い歴史(私学では最古の歴史)を持つ法学部である。1922年に文学科と哲学科を加えて(法文学部)となり[153]、1947年の学部改組により再び法学部(法律学科・政治学科)となる[注釈 32]。法律学はもちろん政治学も学び、国際的に活躍できる知的人格形成を目指す。法律学科ではコースモデル制、政治学科は科目群制、国際政治学科はコース制を設定しており、他学科の講義も受講できるよう配慮している。また国際政治学科では、1年次の夏期休暇を用いてオックスフォード大学への短期留学を行っている(全員必修。他2学科からも希望参加が可能)。
文学部
1922年に夏目漱石門下の野上豊一郎・內田百閒・安倍能成らによって法文学部内に創設された(文学科)と哲学科が前身。1947年の学部改組により文学部(国文学科・英文学科・哲学科)となる[154]。少人数教育に重きを置いており、2〜3年次からの学部生全員のゼミナールへの参加が必修である。法政大学では珍しい学科間の独立傾向が強い学部で、学部生全員へ課される共通必修科目が無い代わりに、より専門性の高い研究を行えるよう配慮されている。2003年には二部文学部教育学科を発展する形で心理学科が新設された。
- 哲学科(入学定員:77人)
- 選択科目には、「現代思想系」、「芸術系」、「思想史系」、「宗教系」、「心理系」、「社会系」、「応用倫理系」、「語学系」、「言語・論理系」、「科学論系」の科目群がある
- 日本文学科(入学定員:187人)
- コース[注釈 35]
- 文学コース
- 言語コース
- 文芸コース
- コース[注釈 35]
- 英文学科(入学定員:126人)
- 文学、言語学、英語学の3分野があるが、一つに限定せず柔軟に学べるカリキュラムになっている。
- 史学科(入学定員:100人)
- 専攻[注釈 33]
- 日本史専攻
- 東洋史専攻
- 西洋史専攻
- 専攻[注釈 33]
- 地理学科(入学定員:99人)
- 「文化と歴史」、「社会と経済」、「自然と環境」の3分野で構成される。
- 心理学科(入学定員:66人)
- 専門教育科目は、学科基礎科目、展開科目、自由科目で構成。展開科目は、演習・研究法科目群のほか、「認知系」と「発達系」の科目群があり、教育の2本柱としている。
経営学部
1959年設立。日本の大学では3番目、私立大学では2番目に設置された経営学部である。経済学部内に設置されていた商業学科が前身で、戦後の好景気による経済学部進学希望者の増大に対し、より実学重視の学部を設置するべく創設された経緯がある[155]。組織・人事・会計を専門に扱う伝統の経営学科の他に、より国際的な経営戦略、専門的なマーケティング創造を目指す2003年新設の2学科がある。
2009年に創設50周年を迎え、米国の経営学者マイケル・ポーターによる特別講演など記念事業が催された。この様子は日本経済新聞にも掲載された[注釈 36]。
- 経営学科(入学定員:316人)
- 「組織」、「人事」、「会計」を学びの基本領域としている
- 経営戦略学科(入学定員:232人)
- 「国際戦略」、「経営史」、「経営分析」を学びの基本領域としている
- 市場経営学科(入学定員:213人)
- 「マーケティング」、「技術・情報」、「金融・公共」を学びの基本領域としている
国際文化学部
1999年創立。「文化」を一国ずつに考えるのではなく、国境を越えて広がる文化のイメージを捉えると同時に異文化間のコミュニケーションを考える。コース制を敷いており、2年進級時には希望のコースを選択するが、3年進級時に変更も可能。少人数教育も盛んに行われている。長期と短期を選択できる海外留学システム(Study Abroad、通称SA)に力を入れており、学部生の海外留学は必修である。
- 国際文化学科(入学定員:249人)
- 情報文化コース
- 表象文化コース
- 言語文化コース
- 国際社会コース
人間環境学部
1999年創立。日本の大学での環境学の先駆的存在。自然保護・街づくり・国際協力などを学ぶため、キャンパスを飛び出して現地へ赴く「フィールドスタディー」が特徴。コース制を実施しており、2年進級時に選択する。文系ではあるものの理系の研究も可能である。
- 人間環境学科(入学定員:333人)
- サステイナブル経済・経営コース
- ローカル・サステイナビリティコース
- グローバル・サステイナビリティコース
- 人間文化コース
- 環境サイエンスコース
キャリアデザイン学部
2003年に二部文学部教育学科を発展させる形で設立。英語の「career」という言葉をいかに捉えるのかを研究する学部で、世界規模で注目されているテーマである「キャリアデザイン」を考える。教育学・経営学・文化/コミュニティ学を融合した新しい学問体系で、その核となるのは「生き方研究」である。自身のライフコースを見つめ、深く考慮できる人材育成を目指す。2年次に領域を選択する。
- キャリアデザイン学科(入学定員:294人)
- 発達・教育キャリア領域
- 「発達と学習」、「学校教育と地域学習」、「教育と社会」という科目群がある。
- ビジネスキャリア領域
- 「個人・人間」、「集団・組織」、「産業社会」という科目群がある。
- ライフキャリア領域
- 「自己・他者・関係」、「文化マネジメント」、「多文化・グローバル社会」という科目群がある。
- 発達・教育キャリア領域
デザイン工学部
2007年に工学部の建築学科・都市環境デザイン工学科・システムデザイン学科を改組し、市ケ谷キャンパスへ移転して設立。「総合デザイン」を学部の核となるキーワードに設定し、学生の進路に合わせたデザイン学を構成する。美学、工学、技術から生まれる新しい「ものづくり」、「空間づくり」、「都市づくり」の教育研究を理念に置く。専門の授業は市ケ谷キャンパスから少し離れた市ヶ谷田町校舎で学ぶ。現在3学科を抱える。
- 建築学科(入学定員:132人)
- 「デザイン」、「歴史」、「構造」、「環境」、「構法」の5分野を体系的に学ぶ
- 都市環境デザイン工学科(入学定員:80人)
- 専門教育には「環境システム系」、「都市プランニング系」、「施設デザイン系」の3系統がある
- システムデザイン学科(入学定員:80人)
- 「クリエーション系」、「テクノロジー系」、「マネジメント系」の3領域をバランスよく学ぶ
GIS(グローバル教養学部)
2008年にIGISを発展させる形で設立。GISと称されることが多い。公式ホームページ・パンフレットでも初めにアルファベット表記であることが多く、今のところアルファベット表記・かな表記のどちらも正式名称として取り扱われている。学内最小の学部で、日本国内でも最小規模の学部である。その分だけきめ細やかな教育を売りにしており、ほとんどの講義は少人数で基本的に全て英語で行われる。また海外からの留学生も多く所属している。1年次の必修科目である「Global Studies」は、専任教員が毎週交替でそれぞれの専門分野と関連づけて講義されている。「芸術・文学と文化 (Arts, Literature and Culture)」、「言語学と英語教育 (Linguistics and English Education)」、「社会とアイデンティティ (Society and Identity)」、「国際関係と経済 (International Relations and Economy)」という科目群がある。
- グローバル教養学科(入学定員:100人)
- 科目群
- 芸術・文学と文化 (Arts, Literature and Culture)
- 言語学と英語教育 (Linguistics and English Education)
- 社会とアイデンティティ (Society and Identity)
- 国際関係と経済 (International Relations and Economy)
- 科目群
経済学部
1920年設立。日本の大学では東京大学・京都大学・慶應義塾大学に次いで4番目、私立大学では2番目に設置された経済学部である。学部独自の海外留学システムを備えており、国際コミュニケーション科目、外国語科目も多数存在し、よりグローバルな経済界を見据えていく。経済学だけでなく、会計やファイナンスといった商学の分野も学習が可能であり、さらには経済学に隣接する経営学と法学にも触れる。1年次からの入門ゼミと4年間の一貫教育を実施しており、現在3学科を抱える。
社会学部
1919年(大正8年)に内務省や財界によって設立された財団法人協調会をルーツとする学部で、1952年に中央労働学園大学(中労大)の社会学部を吸収合併することによって設立された私立では最古の社会学部(日本の大学では中央労働学園大学と一橋大学に次いで3番目の社会学部)。設立当初は中労大から受け継いだ麻布校舎を使用し、1955年の市ケ谷移転を経て1984年に新設の多摩キャンパスに移転した。ゼミナール活動を中心とした7コース・8プログラムで研究を進める。2年次に主専攻(コース)を1つ選び、副専攻(プログラム)を2-3個選ぶ。さらに大学から外へ出て実際に行動する「フィールド学習」を行い、フィールドトリップ、フィールドワーク、フィールドリサーチ、フィールドのメディア化のプロセスを通じて、社会の実像を見つめていく。その他マスコミ・メディア学も履修可能である。日刊ゲンダイによると学部偏差値やグーグルのビッグデータを活用した独自調査において、看板学部のひとつとされている。[3]
- 社会学科(入学定員:216人)
- 環境政策コース
- 企業と社会コース
- コミュニティ・デザインコース
- 国際社会コース
- 社会政策科学科(入学定員:316人)
- コミュニティ・デザインコース
- 人間・社会コース
- メディア社会コース
- 国際社会コース
- メディア社会学科(入学定員:210人)
- メディア社会コース
- メディア文化コース
- 国際社会コース
- プログラム
- Advanced English Program
- 諸外国語中級プログラム
- 政策リテラシープログラム
- 公務員プログラム
- 社会調査プログラム
- 社会学総合プログラム
- 情報教育プログラム
- メディアリテラシープログラム
現代福祉学部
2000年創立。福祉・臨床心理・地域づくりの3テーマを主軸に置く独自のカリキュラムで特色ある学習を目指す。東京六大学では初の本格的な臨床心理も学ぶことができる。学外での臨床現場を見学、体験を基にした研究をすることもできる。和ちゃん奨学金という学部独自の奨学金がある。インテンシヴ・イングリッシュという2年間の英語教育も行われている。創立当初は現代福祉学科のみであったが、2010年に福祉コミュニティ学科・臨床心理学科の2学科体制へと改組され、現代福祉学科は現在募集停止中である。
- 福祉コミュニティ学科(入学定員:147人)
- 専門展開科目は、「ソーシャルポリシー分野」、「コミュニティ・マネジメント分野」、「ヒューマンサポート分野」に分かれている。
- (臨床心理学科)(入学定員:84人)
- 専門展開科目は、「精神保健・福祉分野分野」、「臨床心理分野」、「教育・社会心理分野」、「認知・学習心理分野」に分かれている。
スポーツ健康学部
2009年創立。現在法政大学内で最も新しい学部である。21世紀のスポーツと健康の問題を扱い、実習・実技講義も多数備える。また、海外の最先端スポーツ健康学を理解するための英語教育にも重きを置く。コース制を敷いており、2年進級時に選択するが、各コース間の連携を強くし、学部生全員が基本となる体育学、健康科学が身につくよう考慮されている。多摩キャンパスの広いスポーツ施設を利用する。
- スポーツ健康学科(入学定員:165人)
- ヘルスデザインコース
- スポーツビジネスコース
- スポーツコーチングコース
理工学部
2008年に工学部機械工学科・情報電気電子工学科・電子情報学科・システム制御工学科・経営工学科を改組、発展させて設立。機械工学科には国内大学では極めて珍しい航空操縦学専修も存在し、飛行実習を海外ではなくホンダエアポートで行い、日本の国立・私立大学で初めて留学無しで操縦士免許を取得できるようになっている。2009年度までは福島空港で飛行実習を行っていたが、2010年度よりホンダエアポートに変更された[156]。各個人へのパソコン貸与ほか、少人数教育に率先的である。各学科や専修にとらわれない学科横断の学習も可能で、専門科目だけではなく文系教養科目での単位修得も行える。現在5学科を抱える。
- (機械工学科)(入学定員:143人)
- 電気電子工学科(入学定員:110人)
- 電気エネルギーエンジニアリングコース
- マイクロ・ナノエレクトロニクスコース
- 回路デザインコース
- 通信システムコース
- 知能ロボットコース
- 応用情報工学科(入学定員:110人)
- 情報ネットワークコース
- 人間環境情報コース
- 社会情報コース
- ユビキタス情報コース
- 生体情報コース
- 基礎情報コース
- 経営システム工学科(入学定員:80人)
- 科目群に、「数理システム分野」、「企業システム分野」、「社会システム分野」、「生産システム分野」を設置している。
- 創生科学科(入学定員:110人)
- 2011年度に設置。理論を実践に展開するフィールドとして、「物質」(量子・ナノに重点を置いて展開)、「自然」(宇宙を主なテーマとして展開)、「人間」(心理・環境・言語などを追求)、「知能」(情報の処理過程を中心に展開)という4フィールドを設定。「理系ジェネラリスト」の育成を目標としている。
生命科学部
2008年に工学部生命機能学科・物質化学科を改組、発展させて設立。生物学・生命学を軸とした専門分野を学ぶほか、先端科学を基礎とした技術研究も行う。生命機能学科には、国内大学では珍しい植物医科学専修が存在する。少人数教育を行っており、1年次から実験・実習を重視している。また、チューター制度も導入しているほか、キャリア学習にも力を入れており、外部研究機関等と連携して学習するインターンシップ科目も設定されている。2014年4月に生命機能学科植物医科学専修を改組して応用植物科学科を設置。
- 生命機能学科(入学定員:72人)
- ゲノム機能コース
- 蛋白機能コース
- 細胞機能コース
- 環境応用化学科(入学定員:80人)
- グリーンケミストリコース
- 物質創製化学コース
- 環境化学工学コース
- 応用植物科学科(入学定員:78人)
- 植物クリニカルコース
- グリーンテクノロジーコース
- グリーンマネジメントコース
- 生命機能学科(入学定員:72人)
情報科学部
2000年創立。情報の名を冠する学部の中でも本学部の研究はかなり本格的で、他大学ではたいてい4年次から参加する情報活動を1年次から参加できる「情報科学プロジェクト」がある。4年間学科生全員へノートパソコンが貸与され、自由にソフトウェアを入れたりハードウェアを拡張することもできる。2年進級次にコースを選択し、2-3年次に各コースの科目を履修する。4年次から研究室に所属して卒業研究に取り組む。現在2学科を抱える。
- コンピュータ科学科(入学定員:78人)
- コンピュータ科学コース
- コミュニケーション科学コース
- ディジタルメディア学科(入学定員:78人)
- メディア科学コース
- コミュニケーション科学コース
募集停止学部
- 工学部(2007年度まで募集)
- 二部(夜間課程)(一部学科を除き2004年度まで募集)
通信教育部
1947年に日本初の通信教育部として設立された[6]。設立当初は法学部法律学科のみの設置であったが、徐々に学部学科数を増やして現在に至る。特に地理学科は日本全国の大学の通信教育課程で唯一の存在である。現在3学部6学科と教職課程を有する。また、創立当初の通信教育部長は美濃部達吉[160] である。全国各地でもスクーリング授業を行っており、近年は2004年よりメディアスクーリングを開講するなど、多くの人が学べるような工夫が行われている。2013年4月より、社会環境の変化にともないカリキュラムが大きく変更された。
学部・学科
- 法学部
- 法律学科(1947年創立)
- 文学部
- 日本文学科(1948年創立)
- 文学コース
- 言語コース
- 芸能文化コース
- 史学科(1948年創立)
- 専門教育課程は、日本史、東洋史、西洋史の3分野で構成。
- 地理学科(1955年創立)
- 日本文学科(1948年創立)
- 経済学部
- 経済学科(1948年創立)
- 商業学科(1948年創立)
- 通学課程では経営学部に相当する。
就学コース
- 本科生
- 学部に所属。2、3、4年次の編入や、学士入学も可能。
- 選科生
- 学びたい科目を自由に選択できるコース。
- 教職生
- 教員免許状の取得を目指すコース。主に、大学在学当時に修得できなかった科目を履修し教員免許の取得を目指す者や、他教科の免許状の取得を希望する者を対象とする。
履修方法
基本的に各学部各学科とも同じ
- 単位修得試験 - 年8回、約20都市で実施。論文式である。リポートを提出すると受験することができる。リポートと単位修得試験に合格すると単位が取得できる。
- スクーリング
- 東京スクーリング - 夏期・冬期(昼間、1週間単位での履修が可能)、春期・秋期(夜間)。卒業に必要な科目のほとんどを開講している。以前は多摩キャンパスでも開講していたが、現在は原則として市ケ谷キャンパス富士見坂校舎、外濠校舎での開講(情報科目と地理学科専門科目はボアソナードタワーも使用)。他大学の通信教育部に比べると冬期スクーリングが充実しているのが特色である。
- 地方スクーリング - 全国主要8都市にて金・土・日または土・日・月に一部科目が開講されている。3日間の授業に参加することにより1科目2単位を修得できる。
- メディアスクーリング - インターネット上でオンデマンド放送を利用し受講するスクーリング。前期(4月〜7月)と後期(10月〜1月)に分けて行われ、受講期間中は好きな時に繰り返し受講可能(一部科目を除く)であり、最後に大学内で行われる教室授業・試験を受けると1科目2単位を修得できる。
- 週末スクーリング - 土・日・祝日に市ケ谷キャンパスにて行われるスクーリング。3日間の授業に参加することにより1科目2単位を修得できる。一部の科目は大阪からサテライトキャンパスで受講できる。
- 放送大学で修得した単位は原則として最大10単位までスクーリングの単位として認定することができる。そのときは放送大学の特別聴講学生として入学する必要がある。
- 卒業論文 - 文学部は必修。法学部、経済学部では2013年度から選択科目に変更となった。卒論指導の回数や内容については学部・学科により違いが見られる。
その他
- 取得できる免許・資格
- 教育職員免許
- 中学国語、高校国語(文学部日本文学科)
- 高校商業(経済学部商業学科)[注釈 37]
- 中学社会、高校地理歴史・公民(上記以外の学科)
これら3資格の取得には通年スクーリングの受講が必要である。
- 測量士補(地理学科を卒業かつ指定の科目を履修済みの者のみ国土地理院に申請可)
大学院研究科
大学院は、1951年に人文科学研究科と社会科学研究科に修士課程を設置したことに始まる[8]。2017年4月現在、15研究科・31専攻・3インスティテュートおよび専門職大学院の法科大学院(法務研究科)と経営大学院(イノベーション・マネジメント研究科)を擁している。
社会人への門戸が広いことが特徴で、1995年に日本最初の夜間(博士後期課程)を開設[8]、2008年には社会人大学院の政策創造研究科を開設した。現在、9専攻で昼夜開講、8専攻で夜間開講している。
- 法学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 法律学専攻
- 政治学研究科
- 人文科学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 国際文化研究科(修士課程、博士後期課程)
- 国際文化専攻
- 修士課程は昼夜開講制
- 国際文化専攻
- 経済学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 経済学専攻
- 修士 (M.A.) プログラム
- 昼夜開講制
- 博士5年 (Ph.D.) Ψプログラム
- 昼夜開講制
- 修士 (M.A.) プログラム
- 経済学専攻
- 社会学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 社会学専攻
- 社会学コース
- 市ケ谷キャンパスと多摩キャンパスで昼間開講。
- メディアコース
- 市ケ谷キャンパスで夜間開講
- 社会学コース
- 社会学専攻
- 経営学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 経営学専攻
- 昼間コース
- 夜間コース(法政ビジネススクール)
- 企業家養成コース
- 国際経営コース
- 人材・組織マネジメントコース
- マーケティングコース
- アカウンティング・ファイナンスコース
- 経営学専攻
- キャリアデザイン学研究科(修士課程のみ)
- キャリアデザイン学専攻
- 夜間大学院
- キャリアデザイン学専攻
- 公共政策研究科(修士課程、博士後期課程)
- 公共政策学専攻
- 公共マネジメントコース
- 市民社会ガバナンスコース
- 夜間大学院
- サステイナビリティ学専攻
- 夜間大学院
- 公共政策学専攻
- 政治学/公共政策研究科
- 連帯社会インスティテュート(修士課程のみ)
- 夜間大学院
- 連帯社会インスティテュート(修士課程のみ)
- 政策創造研究科(修士課程、博士後期課程)
- 人間社会研究科
- 福祉社会専攻(修士課程のみ)
- 臨床心理学専攻(修士課程のみ)
- 人間福祉専攻(博士課程のみ)
- スポーツ健康学研究科(修士課程のみ)
- スポーツ健康学専攻
- 理工学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 情報科学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 情報科学専攻
- デザイン工学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 建築学専攻
- 修士課程のコース
- 選抜1年コース
- 建築系学部・学科の在学者とその卒業生である社会人の中から、特に優れた成績または業績を有する者が対象。
- 総合2年コース
- キャリア3年コース
- 非建築系学部または学科の卒業生が対象。
- 選抜1年コース
- 修士課程のコース
- 都市環境デザイン工学専攻
- 修士課程のコース
- 総合2年コース
- キャリア3年コース
- 都市環境デザイン工学系ではない学部・学科の卒業生が対象。
- 修士課程のコース
- システムデザイン専攻
- 昼夜開講制
- 建築学専攻
- 情報科学/理工学研究科(修士課程、博士後期課程)
- 総合理工学インスティテュート (Institute of Integrated Science and Technology)
- 英語学位プログラム
- 総合理工学インスティテュート (Institute of Integrated Science and Technology)
- 専門職大学院
- 法務研究科(法科大学院)
- 法務専攻
- イノベーション・マネジメント研究科
- イノベーション・マネジメント専攻(経営大学院)
- 法務研究科(法科大学院)
学部・研究科・通信教育部以外の大学組織
- 法政大学大原社会問題研究所(通称「大原社研」「オイサー・オルグ」)
- イオンビーム工学研究所
- 情報メディア教育研究センター
- 法政大学沖縄文化研究所
- 体育・スポーツ研究センター
- ボアソナード記念現代法研究所
- 野上記念法政大学能楽研究所
- 日本統計研究所(前身は大蔵省の国家資力研究室)
- 比較経済研究所
- イノベーション・マネジメント研究センター
- 国際日本学研究所・国際日本学研究センター
- サステイナビリティ実践知研究機構 地域研究センター
- サステイナビリティ実践知研究機構 エコ地域デザイン研究センター
- サステイナビリティ実践知研究機構 サステイナビリティ研究センター
- サステイナビリティ実践知研究機構 マイクロ・ナノテクノロジー研究センター
- サステイナビリティ実践知研究機構 江戸東京研究センター
- アメリカ研究所
- ヨーロッパ研究センター(ロンドン/チューリッヒ)
- 環境センター
- FD推進センター
- 言語文化センター
- 市ヶ谷リベラルアーツセンター
- 学習環境支援センター
- 自然科学センター
- 入学センター
- 学生センター
- ボランティアセンター
- キャリアセンター
- グローバル教育センター
- 総合情報センター
- 教職課程センター
- 法政大学史センター
- 多摩地域交流センター
- 公務人材育成センター
- 高度会計人育成センター
法人の事務機構
- 総長室
- 法人本部
- 卒業生・後援会連携室
- 人事部
- 経理部
- 環境保全本部
- 施設部
- 事業室
- 環境センター
- 教育支援本部
- 学務部
- 入学センター
- 多摩事務部
- 小金井事務部
- 大学院事務部
- 通信教育部事務部
- 中学高等学校事務室
- 第二中・高等学校事務室
- 女子高等学校事務室
- 学生支援本部
- 学生センター
- 保健体育部
- キャリアセンター
- 国際学術支援本部
- 研究開発センター
- 国際交流センター
- 総合情報センター事務部
- 図書館事務部
- サステイナビリティ研究所事務室
- 地域研究センター事務室
- マイクロ・ナノテクノロジー研究センター事務室
- グローバル人材開発センター事務室
- ハラスメント相談室
- 監査室
法政大学図書館
法政大学の図書館は1899年(明治32年)和仏法律学校時代に創設され[161]、その歴史は100年を超える。創設以来、多くの法大生や教授の研究を支えてきた。1929年から1931年には第二代図書館長として野上豊一郎が就任している[162]。
1945年(昭和20年)5月の空襲で市ケ谷の旧第一・第二校舎は焼失したが、図書館が入っていた旧第三校舎は焼失を免れ、終戦後の12月からは一般市民対象の日曜開館を実施した[163]。
昭和20年代から30年代にかけて協調会文庫や三木清文庫、和辻哲郎文庫などを受贈・購入することによって、蔵書の質・量は充実していったが[164]、新図書館の建設は様々な理由で先送りにされ、一部の蔵書を麻布校舎に分置せざるを得ない状況が続いたが[165]、1981年の80年館(図書館・研究棟)竣工と1984年の多摩図書館開館によってようやく書庫不足の問題は解消し、閲覧環境も大幅に改善されるに至った[166]。
現在、図書館は市ケ谷・多摩・小金井の各キャンパスにそれぞれ存在しているが、全ての学生が3キャンパスの図書館を利用することができる。所蔵資料数は165万冊(2009年4月現在)[167] で日本の大学中6位。法政大学生であれば、自宅のパソコンからも図書の予約が可能。毎日数回3キャンパスの図書館を回る「図書配達車」を運行しているため、所属キャンパスに希望の資料が無くてもスピーディーに入手できる。
各館では、図書館や法大教授が所有する歴史的に貴重な史料も定期的に展示されている。また卒業生や各キャンパス所在地の周辺住民、山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム加盟大学生も登録を行えば利用可能である(山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム加盟大学生は市ケ谷館のみ利用可能、小金井と多摩の両館は利用不可)。
なお、1988年には小金井キャンパスの図書館長を工学部長が兼務することとなった。2004年4月1日には新たに図書館規程が制定され、規定により市ケ谷キャンパス図書館に3館を統括する館長が置かれるようになったほか、館長の所属しない他2キャンパスの図書館には副館長を置くこととなった。
各館概要
- 市ケ谷館
- 80年館2階〜地下4階と富士見坂校舎1階に位置する。2階には多くの閲覧スペースを設けているほか、個人自習用の机も多数設置している。地下は閉架書庫となっている。富士見坂校舎の閲覧室とは連絡通路で連絡している。
- 市ケ谷キャンパスからやや離れた市ヶ谷田町校舎内には田町別館も設けている。
- データベース利用コーナー、ガイダンスルーム、マイクロ資料室、共同読書室、閲覧室(自習室)、パソコン・電卓持ち込み閲覧室、学生ラウンジ、屋上庭園、リサイクル図書棚、ラーニングコモンズ(旧富士見坂閲覧室、討論等も可能なフリー学習スペース)などの施設がある。
- 小金井館
- 事務管理棟、南館、西館内にそれぞれ位置する。閲覧室の机には全てに情報コンセントが備えられているほか、学生証を提示することで入室できる洋書庫、さらには自由に入室できる地下書庫がある。ライブラリ施設にはグループ視聴可能なスペースも設けている。
- メディアライブラリ、閲覧室(自習室)、洋書庫などの施設がある。
- 多摩館
- 3号館に位置する。法政大学図書館では最大の面積規模を誇り、吹き抜けを利用した開放的で明るい雰囲気である。
- ガイダンスルーム、オープンパソコンエリア、共同読書室、視聴覚室、マイクロ室などがある。
法政大学出版局
大学総長を会長とした、法政大学の出版部に当たる一般財団法人。詳しくは法政大学出版局の項を参照。
セミナーハウス等
詳しくは付属施設の項を参照。
- 富士セミナーハウス
- 石岡総合体育施設
大学関係者と組織
大学関係者組織
学友会
全法大生が所属する組織で、法政大学総長を会のトップに置く。構成員は法政大学に在籍する全学生であるが、全ての大学公認団体・サークル・部活動も学友会に登録され、所属する。その他、幹部組織としての団体が少数所属する(以下の所属構成で挙げる団体以外にも数団体所属している)。学内で開催されるイベント等のほか、野球部が東京六大学野球で優勝した際に行われる優勝パレードも学友会が主催している。
- 所属構成
- 法政大学総長
- 法政大学体育会
- 法政大学第二体育会
- 法政大学応援団
- 自主法政祭実行委員会
- 市ケ谷、多摩、小金井の各キャンパスサークル管理団体
- 全ての大学公認サークル
- 全ての法政大学生
法政大学校友会(旧:法政大学校友連合会)
法政大学の同窓・親睦会組織は「法政大学校友連合会」と呼ばれていた。2014年に一般社団法人化し法政大学校友会となった[168]。連合会は本部であり、その下にいくつかの組織が存在し、それらが集まって連合会全体を成している。連合会の入会資格は「学校法人法政大学」が設置している学校を卒業していることであり、大学以外(例えば法政大学高等学校)の卒業生でも所属可能である。
- 主な構成組織
- 法政大学法学部同窓会[169]
- 法政大学文学部同窓会
- 法政大学経済学部同窓会[170]
- 法政大学工学部同窓会[171]
- 法政大学経営学部同窓会
- 法政大学社会学部同窓会[172]
- 法政大学人間環境学部同窓会「いちえの会」
- 法政大学高等学校同窓会[173]
- 法政大学第二高等学校同窓会[174]
- 法政大学女子高等学校同窓会[175]
- その他就職支部、クラブ支部(約112支部)
- 地域支部(約155支部)
- 上記以外にも部・サークル活動のOB会やそれに付随する組織などが所属する。
- さらに、ニューヨーク・中国・韓国・ソウル・シンガポール・台湾にも同窓会の支部が存在する。
- 第二次世界大戦(大東亜戦争、太平洋戦争)終戦までは台湾、韓国のほかに満州国にも同窓会支部が存在していた。
大学関係者一覧
- 法政大学の人物一覧を参照のこと。
研究
文部科学省支援 研究プロジェクト
- 21世紀COEプログラム
- 日本発信の国際日本学の構築(2002年)
- 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業
- マイクロ・ナノテクノロジーによる細胞内操作技術と生体機能模擬技術の開発(2008年)
- 自治体とのネットワーク構築による政策形成の研究(2008年)
- 国際日本学の方法に基づく<日本意識>の再検討―<日本意識>の現在・過去・未来(2010年)
- 地域活性化のメカニズムと政策の研究(2011年)
- エネルギー戦略シフトによる地域再生ー原子力依存度の漸減と地域自然エネルギーの振興(2013年)
- グリーンテクノロジーを支える次世代エネルギー変換システム(2013年)
- 国際共同に基づく日本研究推進事業
- 欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究(2010年)
- 教育研究高度化のための支援体制整備事業
- サステイナブルな社会システムデザインに関する研究(2009年)
- 私立大学研究ブランディング事業
- 江戸東京研究の先端的・学際的拠点形成(2017年)
文部科学省支援 教育プロジェクト
- 大学教育・学生支援推進事業【テーマA】大学教育推進プログラム
- 高度情報処理技術者を目指す学士力の育成(2009年)
- 新たな社会的ニーズに対応した学生支援プログラム(学生支援GP)
- 「学生の力」を活かした学生支援体制の構築―クラス・ゼミ(正課教育)、クラブ・サークル(正課外教育)に次ぐ、『第3のコミュニティ』づくり―(2007年)
- 大学教育の国際化加速プログラム(長期海外留学支援)
- 「長期海外留学・学位取得支援制度」の実施(2008年)
- 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)
- 大規模私大での大卒無業者ゼロをめざす取組-学生が行う「キャリア相談実習」による職業意識の質的強化-(実践的総合キャリア教育の推進)(2006年)
- 地域の中小企業活性化と実践的体験教育-コンサルティングと課題解決教育の構築-(地域支援分野)(2004年)
- 新しい国際遠隔教育の構築に向けて-コンテンツ開発とオンデマンド教育-(IT教育分野)(2004年)
- 大学教育充実のための戦略的大学連携支援プログラム
- 全国の地域で活躍できるプロフェッショナル<まちづくリスト>育成プログラム(2009年)
- 専門職大学院等における高度専門職業人養成教育推進プログラム
- 諏訪地域「地力・知力アップ」人材育成講座(2008年)
- 社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム
- 地域づくりを担う人材の育成に向けた学び直しの遠隔授業プログラム(2007年)
- 転職・再就職希望者に対する「トータルキャリア教育」(2007年)
- 大学生の就業力支援事業
- 就業力を育てる3ステップシステム(2010年)
教育
学術機関リポジトリ
正式名称は法政大学学術機関リポジトリ。学内の教育成果や研究結果、研究論文などを電子化し、まとめた上で学外へ広く発信することを目的としており、2007年度から本格的に機能している。国立情報学研究所委託事業・次世代学術コンテンツ基盤の共同構築にも採択されている。学術雑誌の購読数の減少、それによって研究者が各々必要とする学位論文を読むことが困難になった現状、文部科学省「科学技術・学術審議会学術分科会、研究環境基盤部会、学術情報基盤作業部会」の報告などを背景として設立された。登録された教育成果や研究結果、研究論文等(同機関内では「知的生産物」と総称)は、Google・JAIRO・OAIster(ミシガン大学電子資料ポータルサイト)などから検索可能となっており、インターネット環境下の全ての人間を対象とした情報の無償公開を行っている。
登録されたデータはより多くの研究者達の目に留まりやすくなり、自らの研究結果を広範囲に発信できるほか、知の発信による社会貢献責務のある大学にとっても有意義なシステムであるとしている。
登録データは、それぞれ学術雑誌論文、学位論文、紀要、研究調査報告書、学会発表資料、レポート、プレプリント、図書、貴重書、教育資料、その他の合計11に分類される。
IGIS(グローバル学際研究インスティテュート)
2006年4月に開設。通称アイジス。学部横断型の特別プログラムで、特定の対象学部学科に所属しながら卒業所要単位の6割に当たる76単位を、IGISが独自に設置する科目から履修、単位認定を受けることができる。2008年GIS(グローバル教養学部)設置に伴い、現在募集を停止している。
指定学部学科は以下の通り。
- 文学部
- 日本文学科
- 英文学科
- 経済学部
- 国際経済学科
- 国際文化学部
- 国際文化学科
スポーツ・サイエンス・インスティテュート
略称SSI。「スポーツに優れた者の特別推薦入学試験」による入学者の学ぶ環境をより充実させるためのプログラム。将来のスポーツ文化の担い手となる人材を育成する。多くの学部学科でSSI履修が認められており、履修を希望する学生は、各学部・学科によって定められた科目と同時にSSI科目を44単位以上履修することができる。学部・学科の枠を超えた科目履修を可能にするため、e-ラーニング・システムを利用した3キャンパスを結んだ遠隔授業が行われている。
国際遠隔講座「福祉工学」
2003年度より開講。法政大学では初めての学部横断文理融合科目。法政大学の3キャンパスとアメリカ、韓国とを双方向リアルタイム遠隔講義システムで結び、講義を行う。また、外国人教員担当の授業は全て英語で行われる。
国際日本学インスティテュート
2003年度に国際日本学研究所が開設したことに伴い、国際日本学の普及・教育を目的に開設された。入学した生徒は大学院の既存専攻を横断し「国際日本学インスティテュートコース所属」となる。当初は、人文科学研究科・政治学研究科・社会学研究科などの多研究科を横断する形であったが、2011年度より人文科学研究科内に置かれ、教育的充実を図っている。
「日本」像を国際的に、国内から発信するという目的のために、多数用意されている授業カリキュラムの中から専門に合わせて自由に履修し、自己の研究テーマを国際日本学的視点から深化させ、多角的・学際的な研究を行う。「日本」を客観的に見て、世界の諸文化と比較することによって、多角的視点に立ちながら研究したい、またはそのような研究テーマを持つ者、または日本の文化を世界に発信したいと考えている者、または日本の中でも独自の文化を育んできたアイヌ・琉球等を研究対象とする者などが入学する。国際日本学周辺を専門とする研究者を養成するほか、日本文化をより深く学ぼうとする留学生や、学び直しをする社会人のために、それぞれ一般入試とは別に試験を行うなどの機会を設け、様々なバックグラウンドを持つ人のために、広く門戸を開いている。
自主マスコミ講座
自主マスコミ講座(通称「自主マス」)は、1988年に当時社会学部の助教授だった稲増龍夫と大学の職員有志が中心となって始めた、マスコミ志願者向け講座である。マスコミ向け就職対策講座としては日本の大学で最も古い歴史を持つ。
受講するには大学内の選考試験に合格しなければならない。法政大学の正課ではないにもかかわらず、その倍率は3倍近くになる。現在は、法政大学の3年生が受講できるアナウンサーコース、新聞・報道記者コース、出版コース、放送コース、広告コースに加え、2年生が受講できる2年アナウンサーコース、2年基礎コース、1年生が受講できる1年基礎コースの8コースがある。今年度[いつ?]から3年生は筆記試験がなくなり面接のみの試験となった。
2009年秋季より、2年生は、アナウンサーコース、新聞・報道記者コース、出版コース、放送コース、広告コースとコースごとへの募集と変更された。なお、コースごとに分かれての募集は秋季のみであり、春季は基礎コース(2年生)のみの募集である。
エクステンション・カレッジ
法政大学の資格取得支援として、エクステンションカレッジが設置されている。各種資格取得講座のほか、企業からの寄付講座やTOEFL・TOEICスコアアップ講座、英会話講座、コミュニケーション力養成講座、文章作成能力養成講座など多種多様な講義が存在する。
エクステンションカレッジは他大学の有料講座と同様に学外者も受講可能であり、法大生はもちろん、法大生の家族や他大学の学生、一般社会人などにも講座が公開されている。法大生に限らず、学生であれば特別優待料金で受講できるほか、一般人でも規定の条件を満たせば優待料金で受講が可能である。
対外関係
国内他大学との協定
詳細な協定大学名などは各項目を参照。
- 山手線沿線私立大学図書館コンソーシアム
- 加盟大学の学生は市ケ谷キャンパスの図書館が相互利用可能。
- 東京12大学広報連絡協議会
- 首都大学院コンソーシアム
- 大学情報サミット
- 全国私立大学FD連携フォーラム
- 相模原・町田大学地域コンソーシアム
- 大学eラーニング協議会
海外交流大学等
2023年4月現在、全部で48ヶ国265大学・機関と交流協定を結んでいる。詳しくは、海外交流協定大学・機関一覧 を参照のこと。
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地方自治体との連携
- 東京都千代田区
- 助成金
- 千代田区に関するさまざまな事象を一つの学問として学ぶ「千代田学」協定。千代田区に関する調査・研究事業に対して区が補助金を負担、区と大学が協力して千代田に関する一連の事象を学問として学び、区政の発展に寄与する目的で創設されたもの[176]。
- 東京都台東区
- 中小企業総合コンサルティングネットワーク
- 東京都三鷹市
- 事業協力協定
- 神奈川県川崎市
- 川崎市職員研修所における女性のライフバランス研修(2006年)
- 長野県原村
- 事業協力に関する協定。
- 石川県白山市
- 岐阜県飛騨市
- 秋田県仙北市
- 「法政大学地域づくり塾」開催(2007年)
- 秋田県角館町
- 福井県大野市
- 鹿児島県大口市
- 出前まちおこしシンポジウム提携
- 東京都青梅市
- 共同プロジェクト「武蔵御嶽神社および御師家古文書学術調査団」結成
- 東京都日野市
- 事業協力協定
- 岩手県陸前高田市
- SDGsの推進を目的とした協定
その他
キャンパス
市ケ谷キャンパス
- 所在地
- 敷地面積:28,679.26 ㎡
- 交通アクセス
- JR中央・総武緩行線・ 東京メトロ有楽町線・ 東京メトロ南北線市ケ谷駅および 都営地下鉄新宿線市ヶ谷駅[注釈 38] から徒歩7〜10分。
- JR中央・総武緩行線・ 東京メトロ有楽町線・ 東京メトロ南北線・ 東京メトロ東西線・ 都営地下鉄大江戸線飯田橋駅から徒歩約7〜10分。
- 公式には案内されていないが、 東京メトロ半蔵門線・ 東京メトロ東西線・ 都営地下鉄新宿線九段下駅からも徒歩約15分で利用可能である。
- 設置学部
- 法学部
- 文学部
- 経営学部
- 国際文化学部
- 人間環境学部
- キャリアデザイン学部
- デザイン工学部
- GIS(グローバル教養学部)
の各学部1〜4年次
- 環境
- 東京の都心にあり、山手線の中心付近に位置する。
- キャンパスの拡張や整備が行われてきた結果、現在の形となっている。千代田区富士見2丁目に所在する一続きの校地(本部キャンパス)を「富士見校地」と称し[177]、この富士見校地とその周辺の校舎で構成されている。
- 大多数の学部生が利用する校舎や施設は全て「富士見校地」内に位置し、デザイン工学部以外の学部生が周辺の校舎を利用することはあまりない。
- キャンパスは旧江戸城外濠・外濠公園・靖国神社・三輪田学園・朝鮮総連本部・東京逓信病院に隣接している。また神楽坂・北の丸公園・日本武道館にもほど近い。富士見校地(本部キャンパス)と靖国神社の間には、富士見坂校舎の名称由来ともなった「富士見坂」が存在する。
- 衆議院議員宿舎(建て替え予定[178])や朝鮮総連本部が近くにあるため、本部キャンパス東側の道路は終日警視庁麹町署の警察官が警戒に当たっている。
建築物
富士見校地
- ボアソナード・タワー
2000年に竣工した地上27階・地下4階建て、高さ122.43mの高層校舎。法政大学で最も高い建物であり、富士山や皇居、東京駅・新宿駅周辺の高層ビル群を眺望できる位置にある。名称は学内公募により決定され、ボアソナードに因んで名付けられた。スカイホール(26階にある多目的ホール)、フォレストガーデン(学生食堂)、ヘリオス(学生ホール)、小教室、各種実験室、事務室、研究室、研究所などが入る。
- 富士見ゲート
2016年に竣工した市ケ谷キャンパス正門付近にある地上6階・地下2階建ての校舎。大きな開口部を持ち、大教室や中教室のほか、カフェテリアつどひ(学生食堂)、オレンジホール(多目的ホール)、学生ホール、売店などが入る[179]。また6階には、広さ660m2の富士見屋上庭園があり、芝生などのスペースが設けられている[179]。名称は学内公募により決定され、市ケ谷キャンパス富士見校地のメインゲートになることから名付けられた[180]。
- 大内山校舎
2019年に竣工した地上8階・地下1階建ての校舎。2020年には空中渡り廊下で富士見ゲートと結ばれた。2021年に竣工した市ケ谷キャンパス中央広場に面し、中教室や小教室のほか、Gラウンジ (Global Lounge) 、各種事務室などが入る。55・58年館のデザインやスケール等を継承した校舎であり[141]、外観だけでなく校舎の内部にも、55・58年館のデザインが取り入れられている[181]。名称は学内公募により決定され、大内山庭園に隣接することなどから名付けられた[182]。
- 外濠校舎
2007年に竣工した地上8階・地下2階建ての校舎。学生会館の跡地に建設された。名称は学内公募により決定され、当校舎が外濠に面していることから名付けられた。市ケ谷キャンパスで初めてエスカレーターが導入された校舎である。
870人収容の薩埵ホール、200〜400人収容の中教室・大教室、演習室、多目的ホール、学生ラウンジ、スタディルームのほか、音楽練習室、アトリエ、コンビニエンスストアなどが入る複合施設である[183]。
ESCO事業に基づく建物で、北・西側壁面にはガラスのダブルスキン、南・東側壁面にはアルミルーバーを取り付け、熱負荷の軽減を図っている。またトイレには力を入れており、各階でデザインが異なっている。
- 80年館
1980年に竣工した地上9階・地下4階建ての校舎。大内山庭園の横に位置し、図書館(地下4階〜地上2階)、研究室、資料室などが入る。設計は鬼頭梓建築設計事務所。隣接する富士見坂に基準階を合わせているため、キャンパス中心部から見ると図書館のメインフロア(1階)が3階相当の高さにあるという特異な構造になっている。
80年館の建設にあたり、イギリスの外交官であったアーネスト・サトウの旧宅(次男の植物学者武田久吉邸[88])を購入したことから、富士見坂に面した裏門には、竣工当時の総長中村哲の筆による銘板をはめ込んだ石碑が立っている[88][184]。
- 富士見坂校舎
江東区東雲に移転した嘉悦学園女子中学校・高等学校の校地と校舎(1998年竣工)を買い取り、建物を改修し、2006年に利用を開始した地上7階・地下2階建ての校舎。従来のキャンパスと連結されたことで、市ケ谷キャンパス富士見校地の面積が拡大することになった。
名称は学内公募により決定され、キャンパスの南側にある「富士見坂」より名付けられた。小教室のほか、ステラビアホール(多目的ホール)、情報カフェテリア(PC自習室)、食堂、体育館などが入る複合施設である。2007年には、嘉悦学園時代はバスケットコートであった校庭の緑化工事が完了し、フランス式噴水庭園となった。
- 市ケ谷総合体育館
1975年に竣工した地上5階・地下1階建ての体育館。富士見坂校舎南東端に隣接しており、各種体育関係室や、柔道場・剣道場・空手場・卓球場・ボクシング場・レスリング場・フェンシング場・アリーナ等の室内体育施設、トレーニングセンターが入っている[185]。
市ケ谷キャンパスの体育授業は、基本的にこの総合体育館と富士見坂校舎体育館で行われる。地下1階のトレーニングセンターは、大学の定期健康診断を受診してトレーナーが実施するガイダンスを受ければ、一般学生も利用できる[185]。
周辺校舎
デザイン工学部や大学院の校舎、研究室や研究所などの一部の大学施設、また法人施設は、富士見校地(本部キャンパス)内ではなく、その周辺に所在している。以下にまとめて記載する。
- 市ケ谷田町校舎
富士見校地より約300m離れた、外濠の向かい側(新宿区市谷田町2丁目)にある地上5階・地下1階建ての校舎。1962年竣工の大江宏設計による62年館と通教館の2棟を、デザイン工学部の専用校舎へとリノベーションした建物であり[186]、2008年に竣工した[186]。このリノベーションにより、建築関係のスタジオや個人用ロッカー、バリアフリーに配慮したエレベーターなどが新たに整備された。地下1階には、大学生協が運営する学生食堂がある。
なお、この市ケ谷田町校舎(旧62年館)の土地は、土佐藩最後の藩主山内豊範の長子である侯爵山内豊景の所有地であった[53][62]。
- 大学院棟
1992年に竣工した地上13階・地下1階建ての大学院専用校舎。外濠の向かい側(新宿区内)にあり、外堀通りに面している。「92年館」が正式名称であったが、その後「大学院棟」に改称された。
1階のエントランスロビーには、ギリシャ文字をアポロ神殿にあしらったレリーフが掲げられている[187]。このギリシャ文字「ΓΝΩΘΙ ΣΕΑΥΤΟΝ」(汝自身を知れ)は、旧大学院棟(53年館)1階ロビーの壁上にも記されていたものである[188][187]。
- 新見附校舎
大学院棟の東側に隣接する地上10階・地下2階建ての校舎。2010年度に大学所有の土地建物となったもので、主に大学院デザイン工学研究科に加え、日本語教育プログラムの教室、文系大学院の院生研究室として利用されている[189]。
- 法科大学院棟
2004年に竣工した地上6階・地下1階建ての法科大学院専用校舎。1969年竣工の69年館を、専門職大学院法務研究科(法科大学院)の開設に合わせて改修したもので、講義室のほか、演習室、法廷教室、図書室、院生研究室(自習室)、談話室などが入る[190]。
- 新一口坂校舎
法科大学院棟の南側に隣接するビルを取得し、2006年に利用を開始した地上6階・地下1階建ての校舎。大学院政策創造研究科および専門職大学院イノベーション・マネジメント研究科(経営大学院)の校舎として利用されている[191]。
- 九段北校舎
法科大学院棟の南側かつ新一口坂校舎の東側に隣接する地上8階・地下1階建ての校舎。2018年に取得した建物で[192]、1階には2020年に開館したHOSEIミュージアム (Hosei University Museum) がある[193]。
- 一口坂校舎
2014年に竣工した地上9階建ての校舎。靖国通りと一口坂の両方に面した角地に建っており、研究室、事務部局などが入る。周辺の緑と調和するようにアースカラーを基調色としている[194]。
- 九段校舎・九段校舎別館
靖国通りに面して建つ地上10階・地下2階建ての校舎とその裏手にある校舎。法人施設となっている九段校舎には、法政大学出版局などが入る。また別館には、国際日本学研究所などがある[195]。
学生食堂
- カフェテリア つどひ
富士見ゲート3階にある大食堂。座席数は502で、運営は株式会社レパスト。外濠側、中庭側、テラス席に区分されており、外濠や中庭の景色を眺めながら食事ができる。日替わりのランチプレートやオリジナルメニュー、各種麺類などを提供している[196]。
- フォレストガーデン
ボアソナード・タワー地下1階にあるカフェテリア方式の食堂。座席数は約350で、運営は大学生協。地下1階ではあるが半地下構造のため、外濠公園の景色を眺めながら食事ができる。毎日50品目以上を提供し、ビュッフェコーナーも併設しているため、多くのメニューから選ぶことが可能である[196]。定食やプレート、季節ごとのメニューもあり、毎月テーマフェアを実施している[196]。
- 富士見坂食堂
富士見坂校舎地下1階にあるカフェテリア方式の食堂。座席数は262で、運営は大学生協。フォレストガーデンと同じく半地下構造のため、富士見坂校舎の中庭を眺めながら食事ができる。主菜、副菜、主食、汁もの、丼、カレー、麺類などから好きなものを組み合わせて利用できる[196]。
- スタッフクラブ
ボアソナード・タワー25階にあるラウンジ。丸の内〜新橋方面を眺望しながら食事ができる。授業日の昼食営業に加え、卒業生・教職員向けのパーティーや懇親会などの営業を行っている[196]。
- 市ケ谷田町校舎食堂
市ケ谷田町校舎地下1階にある食堂。座席数は268で、運営は大学生協。授業期間の昼食時間帯のみ弁当などを販売している[196]。
- オレンジカフェ (Orange Cafe)
富士見ゲート1階にある軽食堂(カフェ)。ホットドッグ、パンケーキなどの軽食や、コーヒーなどのドリンクを提供している。
- レインボーテラス
ボアソナード・タワー2階の軽食堂。業者の撤退により、2018年に休止。カレー、サンドイッチ、フライドポテトなどの軽食やドリンクを提供していた。
講堂
- 薩埵ホール
「さった」ホールと読む。外濠校舎6・7階にある870人収容の大ホール。可動式座席を収容し、アリーナとしての利用も可能である。講演会や演奏会などに利用されているが、授業が行われることもある。名称は創立者の一人である薩埵正邦に由来する。
- スカイホール
ボアソナード・タワー26階にある多目的ホール。同時通訳システムやAVシステムなどを備えており[197]、国際会議のほか、各種シンポジウムやパーティなどに利用されている。地上約120mに位置し、丸の内〜上野方面が展望できる。
- オレンジホール
富士見ゲート地下2階にある多目的ホール。名称は学内公募により決定され、スクールカラーのオレンジにちなんで名付けられた[180]。法政大学後援会の寄贈により、全体移動式の移動観覧席が導入されており、普段は倉庫に収納されているが、イベントの形式に合わせて自由にレイアウトできる[198]。また、音響設備やAV設備も有しているため、サークルや部活動の練習のほか、さまざまな発表の場として利用可能である[198]。
- ステラビアホール
富士見坂校舎地下1・2階にある244人収容の中ホール。名称は学内公募により決定された。「ステラビア」には、ラテン語で「stella=星」「via=道」という意味が込められている。普段は音楽系サークルのコンサートや練習、演劇などに利用されている。