この(存命人物の記事)には(検証可能)な(出典)が不足しています。(2019年4月) |
二代 林家 木久蔵(はやしや きくぞう、1975年〈昭和50年〉9月29日 - )は、日本の落語家。東京都出身。本名:豊田 宏寿(とよた ひろとし)。落語協会・トヨタアート所属。
来歴
玉川大学文学部芸術学科演劇専攻卒。林家木久扇の実子且つ弟子。本名の宏寿は、当時木久扇と付き合いがあった算命学の一門の師匠から、「ムネトシ」か「ヒロトシ」から付けるように云われたためで、「ムネトシ」では殿様みたいで名前負けしそうという木久扇の判断から、「宏寿」と名付けられた。
1995年10月、父である初代林家木久蔵に入門。1996年2月、前座となる。前座名「きくお」。父・木久扇の初名である「桂木久男」から取っている。
1999年11月、二ツ目昇進。2006年1月には四派の若手同士で『平成噺し座』を旗揚げし、メンバーとなった。
2007年9月21日に父から名前を譲られ(木久扇曰く「生前贈与」)、二代目林家木久蔵を襲名し[注釈 1]、真打昇進を果たした。ダブル襲名の口上で、きくお改め木久蔵は、この7年前(2000年)に木久扇がガンを患ったことに触れており、「(木久扇が)元気なうちに真打昇進できて良かった。これでいつ天国に行ってもらってもいい」と述べている。
現在は古典落語を中心に演じ、父・木久扇が師匠彦六をモチーフにした『彦六伝』を持ちネタにしている一方、自身も父をモチーフにした『木久蔵伝』を作成。2006年9月には弟弟子・ひろ木との二人会で落語を披露した。
笑点に出演している父を見て「これなら自分でもなれる」と思い、落語家を志した[注釈 2]。しかし2000年にガンを患いながらも高座に立つ父の姿を見て考えを改め、春風亭小朝の下で落語を学びなおした。
人物
血液型A型、身長179cm、趣味は熱帯魚、特技は日本舞踊、南京玉すだれ。
二代目林家三平と「プリンス二人会」を結成したほか、父親同士が笑点メンバーで元彦六門下の兄弟弟子三遊亭好楽と息子の王楽親子と共にダブル親子会を行うこともある。
笑点への出演
- 『笑点Jr.』の若手大喜利にレギュラー回答者として出演し、父林家木久扇に負けず劣らずの与太郎キャラを演じた。黄色の高座着、席順が左から3番目というのも、当時の木久扇と同じであった。2011年に『笑点Jr.』が放送終了となった後も、本家『笑点』の若手大喜利コーナーに常連回答者として出演した。
- 『笑点』の2021年7月4日放送分(第2768回)において、父の木久扇が同年5月に自宅にて転倒し右大腿骨を骨折し療養に入ったため休演したことに伴い、木久扇の推薦で本家『大喜利』に代理出演。父の着ている黄色の色紋付を借り、定席に座って大喜利に参加した[2]。2022年12月18日放送分(第2840回)では大喜利ゲスト回答者として2枠席[注釈 4]で出演し、林家たい平を挟んで4枠席で出演していた木久扇との父子共演(共に黄色の色紋付を着用)を果たした。
芸歴
出演
- BS笑点(BS日テレ)→笑点Jr.(日テレプラス)→笑点 特大号(BS日テレ) - 『若手大喜利』レギュラー。
- 2015年まで、本家『笑点』にて行われていた『若手大喜利』にも出演していた。
- 第1回輝け!オールスター合唱コンクール(2006年9月16日、テレビ東京) - 落語家合唱団として参加、テナー担当。
- 新トーキョー人の選択(2006年9月29日 - 2010年3月、NHK) - 第3回からリポーター役として出演。
- スーパーJチャンネル(テレビ朝日)月曜「木久蔵のちょいとま!」担当
- ふくわうち(2020年6月9日 - 、SBSラジオ) - 水曜パーソナリティー
- ブギウギ専務(2023年1月14日 - 1月28日、3月25日 - 4月1日 、STV) - 『落語家への道』の企画にて専務こと上杉周大が弟子入り
CM出演
- JARO日本広告審査機構(2007年9月~、父・初代木久扇と共演)
- 正式襲名を待たずに、CMは既に木久扇・木久蔵名義で放送されている。
著書
共著
いずれも父・林家木久扇との共著。
- 木久蔵流がんばらない子育て(教育評論社、2007年5月)
- 親馬鹿力のおかげです―福を呼ぶ、人の育て方(写真:ブルース・オズボーン、岩崎書店、2008年3月)
- 林家木久扇のみんなが元気になる学校寄席入門(全4巻)((こどもくらぶ)編、彩流社、2015年3月)
- 林家木久扇一門本 〜天下御免のお弟子たち〜 (木久扇と弟子たち著、秀和システム、2022年1月) (ISBN 978-4798066066)
関連書籍
脚注
注釈
- ^ これに伴い、父の初代木久蔵も「木久扇」に改名。
- ^ ちなみに、木久扇に息子の自身が入門するに当たり、母(木久扇の妻)に「『花田勝治・満兄弟』あるいは『花田満、花田勝・光司兄弟の親子』のように、弟子入りすれば、兄弟でも肉親でもないといわれるのではないか」と心配して相談したというが、「角界とは違い、国技というわけではないから、落語の師匠・弟子の関係は、そんなに型にはまったものではない」と返されたことで、父・木久扇に入門することになったとのこと。木久扇自身は、二代目木久蔵が落語家になりたいと聞いたとき、別の師匠に弟子入りさせて、自分は相談役のような立場でアドバイスすることを考えていたと語っている。
- ^ なお、コタはあくまで趣味の領域で落語を演じており、落語家として正式に入門はしていない。
- ^ 同年までレギュラーだった三遊亭円楽が座っていた。