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生涯
元和5年(1619年)、京都所司代である初代藩主・板倉重宗の長男として生まれる。寛永13年(1636年)12月29日に従五位下・長門守に叙位・任官し、寛永14年(1637年)に阿波守に遷任する。
慶安元年(1648年)に京都所司代を務める父・重宗が病に倒れたため、その看病と補佐のために京都に上る。明暦2年(1656年)12月に父が死去したため、明暦3年(1657年)3月23日に家督を継ぐ。明暦4年(1658年)4月4日に奏者番に任じられ、7月4日に寺社奉行を兼任する形で任命された。寛文元年(1661年)11月26日に全ての職を辞職し、12月13日には弟の重形に5000石と新田4000石を分与したため、板倉氏は4万5000石の大名となる。それから4日後の12月17日に死去した。享年43。跡を長男の重常が継いだ。