来歴
1971年にデビューし、コースを問わぬ自在型であったが、八尋信夫に継いで「博多ん大将」「博多天皇」[1]との愛称で呼ばれるほど、ホームプールの福岡では圧倒的な強さを誇った[2]。1989年に当地で行われた第35回モーターボート記念で黒明良光と野中和夫を破ってSG初制覇を決めるが、GIの周年記念競走ではなかなか勝てず、43歳になった1994年の41周年で勝った[1]。1991年の第6回賞金王決定戦(平和島)では連勝で勝ち上がった新井敏司に初SGの期待が掛かる中、2コースから2号艇で出走した松田がイン逃げを決める林貢を差して勝ち、2-1の決まり手で7000円を超える配当を記録[3]。1997年前期には82勝を記録し、2019年後期に地元の後輩篠崎元志が83勝で追い抜くまで22年間も破られなかった[4] [5]。1998年には1月7日の一般戦「新春開運特選レース」[6]、7月7日の一般「山笠特選レース」[7]、8月18日の一般「お盆特選レース」を優勝[8]。お盆特選が最後の優勝となり、1999年10月26日の芦屋GI「モーターボート大賞競走」初日9Rで通算1996勝目(1号艇1コースから逃げ切り)を挙げ[9]、翌27日の2日目10Rが最後の出走となった[10]。2000年引退。
約29年のボートレーサー時代での実績は記念優勝およびGIIIが4回、SG・GI/GIIが各2度ずつ、一般戦での回数は70回など、通算優勝回数は80回の記録保持者である[11]。
引退後は解説者となり、西日本スポーツにて「松田雅文の気分は7号艇」を執筆している。
獲得タイトル
※太字はSGレース
- 1988年 - 桐生開設32周年記念競走
- 1989年 - 第35回モーターボート記念競走(福岡)
- 1991年 - 第6回賞金王決定戦競走(平和島)
- 1994年 - 福岡開設41周年記念競走
脚注
- ^ a b 福岡ボート60年 数々の名勝負|【西日本スポーツ】 - 西日本新聞
- ^ 2502 松田 雅文 (福岡) - ボートレース大村 > ボートレース殿堂・マイスター
- ^ 平和島のグランプリ&朝日杯の買い目|柳家禽太夫さんの投稿ブログ
- ^ ボートレース福岡 スマートフォンサイト:総展望
- ^ 年間勝数は、1970年1月から12月までの間に同郷の先輩岡本義則が記録した171勝が最多となる。
- ^ 1998年1月7日 福岡12R | 艇国データバンク
- ^ 1998年7月7日 福岡12R | 艇国データバンク
- ^ 1998年8月18日 福岡12R | 艇国データバンク
- ^ 1999年10月26日 芦屋9R | 艇国データバンク
- ^ 1999年10月27日 芦屋10R | 艇国データバンク
- ^ (競艇)歴代賞金王の選手を3人ご紹介!松田 雅文選手,野中 和夫選手,中道 善博選手
- ^ ボートレース大村 六十周年記念