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松本芳翠

松本 芳翠(まつもと ほうすい、明治26年(1893年1月29日 - 昭和46年(1971年12月16日)は、愛媛県伯方島生まれの日本書家日本芸術院会員。本名・英一。字・子華。別号・樗盦・二葉・栖霞山人・來吉齋。法号・書海院徳藝芳翠大居士。

略歴

一門に、(中平南谿)、津金寉仙、(中台青陵)、(谷村憙斎)、(曽根翠苑)、(山田松鶴)らがいる。

書風

隷書
いわゆる八分隷ではなく、古隷を土台にした独創性溢れる洒脱な書風。魅力的な書風だが、隷書の学書が出来ていないと単なる「デザイン隷書」に陥ってしまう危険性がある。
楷書
唐代の楷書を取り入れ、端整で秀麗な楷書は「芳翠流」といわれ今なお新鮮さを持って受け継がれている。時には鄭道昭風に、また時には六朝風と同一の書体で様々な作風で魅了した。代表作に「雄飛(大鵬一舉九萬里)」八尺作品があるが、現在所在不明である。
行書
いわゆる行楷であり、王羲之のような点画の(連綿)を殆どおこなわない。強いて古人の書風に近いのは張瑞図である。すべての点画が直線で構築され、時に繊細に時に暴れた書風を放出し、観る者を圧倒する。また、墨色と潤渇の難易度が極めて高く、芳翠自ら創意を重ねた書体であったためか弟子にも習うことを禁じ、自らの書風を模索するよう指導したと言う。
草書
どんなに作品にし難い詩文でも、華麗な作品にしてしまう「剛腕」を発揮するのが芳翠の草書であろう。孫過庭の「書譜」を土台にあらゆる古典を渉猟し、研鑽を重ねた草書は六十代を迎えて凄絶さを増す。隷草雑体作品「拈華微笑」や仮名の(ちらし書き)を応用した「猿橋」といった新機軸を発揮したものや、大字作品を精力的に発表するなど草書ファンは多い。

節筆の研究

「書譜」を挙げ、フシ状の筆のつっかかりを「節筆(せっぴつ)」と命名したのは芳翠である[2]

著書など

  • 書道入門 書海社 1933
  • 楷書の習ひ方 大日本出版社峯文荘 1939 (書道実習講座)
  • 楷書唐詩帖 大日本出版社峯文荘 1941 (国民書道講座)
  • 草書指針 初等篇 駸々堂書店 1942
  • 草書指針 応用篇 駸々堂書店 1942
  • 行書指針 初等篇 駸々堂書店 1942
  • 行書指針 臨書篇 駸々堂書店 1942
  • 草書指針 臨書篇 駸々堂書店 1942
  • 行書指針 応用篇 駸々堂書店 1942
  • 草書唐詩帖 大日本出版社峯文荘 1943 (国民書道講座)
  • 書道入門 日新社 1952
  • 玄霊帖 駸々堂 1952
  • 陸遊長歌行 五禾書房 1959 (昭和十六人集)
  • 臨池六十年 二玄社 1962
  • 芳翠古稀心画 二玄社 1965
  • 九成宮醴泉銘 二玄社 1986 (臨書手本 3)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『朝日新聞』1960年3月3日(東京本社発行)朝刊、1頁。
  2. ^ 小松茂美編『日本書道辞典』 二玄社、1987 p.252

関連項目


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