松平 忠雅(まつだいら ただまさ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名。出羽国山形藩2代藩主、備後国福山藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。官位は従四位下・左近衛少将。親藩奥平松平家3代。
経歴
天和3年(1683年)9月24日、松平清照の長男として誕生。病弱であった清照に代わって入嗣した叔母婿の忠尚を差し置き、忠雅が祖父・忠弘の養嗣子として元禄5年(1692年)に家督を継いだ。
元禄13年(1700年)、山形より福山へ移封する。10年後の宝永7年(1710年)には伊勢桑名藩へ移封する。山形・福山各藩の治世はいずれも短期間のため、記録がほとんど残っていないが、桑名の地では忠雅以降、7代が113年に亘って治めた。この間、桑名藩政の改革や藩校進脩館の基礎を築くなど、評価は高い。
系譜
父母
正室
- 類 ー 毛利綱広の娘
側室
- 永林院 ー 関口氏
- 松平定重の娘[要出典]
子女
脚注
外部リンク
- 福山城(福山城博物館)
- 桑名歴史案内