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東急こどもの国線

こどもの国線(こどものくにせん)は、神奈川県横浜市緑区長津田駅と同市青葉区こどもの国駅を結ぶ鉄道路線である。横浜高速鉄道が(第三種鉄道事業者)として線路を保有し、東急電鉄が(第二種鉄道事業者)として旅客の運送を行う。1997年までは社会福祉法人こどもの国協会が施設を所有していた。

こどもの国線
こどもの国線で運用される
横浜高速鉄道Y000系電車
(2007年9月13日、恩田駅付近)
基本情報
日本
所在地 神奈川県横浜市緑区青葉区
起点 長津田駅
終点 こどもの国駅
駅数 3駅
路線記号 KD
路線色 青色
開業 1967年4月28日 (56年前) (1967-04-28)
所有者 横浜高速鉄道
運営者 東急電鉄
車両基地 東急電鉄長津田検車区
使用車両 使用車両の節を参照
路線諸元
路線距離 3.4 km
軌間 1,067 mm
線路数 単線
電化方式 直流1,500 V
架空電車線方式
閉塞方式 車内信号閉塞式
保安装置 (ATC-P)
最高速度 65 km/h[1]
(テンプレートを表示)
停車場・施設・接続路線
(凡例)

路線図駅ナンバリングで使用される路線カラーは青色、路線記号はKD

路線データ

  • 管轄:横浜高速鉄道(第三種鉄道事業者)、東急電鉄(第二種鉄道事業者)
  • 路線距離:3.4 km
  • 軌間:1,067 mm
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線(直流1,500 V)
  • 閉塞方式:車内信号閉塞式(ATC-P
  • 最高速度:65 km/h[1]

歴史

日本軍田奈弾薬庫跡地の丘陵に1965年昭和40年)に開園した「こどもの国」へのアクセス路線として、1967年(昭和42年)4月28日に開業した。開業当初は(スタフ閉塞方式)だった。

弾薬輸送を目的として1942年(昭和17年)に敷設された[2]、長津田駅から旧・田奈弾薬庫への引き込み線を活用しているが、営業路線への転換や建設に当たって東急が支援している[3]。建設計画時にはこどもの国駅からは現在の緑山スタジオ・シティ、三輪緑山付近を経て小田急小田原線鶴川駅までの延伸案や、同線玉川学園前駅への延伸案があったが、こどもの国協会法の制定審議過程で延伸案は否案された[3]

開業初期には大井町駅からの直通臨時快速列車や小学生の遠足などの団体列車の運行もあった。

当初より社会福祉法人(1981年まではこどもの国協会法〈現廃止〉に基づく法人)こどもの国協会が施設を保有し、東急に運転管理を委託する形で営業されていたが、1987年(昭和62年)4月1日地方鉄道法に代わる鉄道事業法施行により、協会が第三種鉄道事業者、東急が第二種鉄道事業者となる。

1989年平成元年)1月26日からはワンマン運転が開始され、車両の扉の横に「ワンマン」のシールを貼っていた。

1986年頃から沿線の大規模な宅地化[4]が進み、沿線人口の増加によって通勤需要が高まった。しかし、通勤需要をも担う通常の鉄道路線として営業を行うには公益法人としての目的から逸脱するため、こどもの国協会は1997年(平成9年)8月1日付で第三種鉄道事業を第三セクター横浜高速鉄道に譲渡した。

横浜高速鉄道は、同年10月から改良工事に着手。11月10日から、こどもの国が休園し休園日ダイヤとなる月曜日に、初電と終電を除いて列車を運休した[5]。その間は代行バスを走らせ、こどもの国駅の駅舎を建て替え、(ロングレール)化を行った。さらに行き違い可能な恩田駅を新設し、2000年(平成12年)3月29日から全時間帯運行し沿線住民の通勤需要も担う通常の鉄道路線として営業を開始した。東急ではこれを「通勤線化」と呼んだ[6]。また、通勤線化完成に先立ち、1999年(平成11年)8月1日からは横浜高速鉄道Y000系の営業運転が開始された。

通勤線化工事がされる前には、弾薬庫への引き込み線だった名残で線路脇に使われなくなった線路やピットが残っている場所もあったが、これらは通勤線化工事に伴いほとんどが撤去されている。

なお、恩田駅付近には長津田車両工場があり、東急電鉄と横浜高速鉄道に所属する全車両の整備と、地方に譲渡される車両の改造などを行っている。

通勤線化反対運動

こどもの国線の通勤線化計画に対して沿線の長津田付近の一部住民が反対運動を起こし、 1990年12月に「東急こどもの国線沿線住民会」(以下「住民会」)を結成[注釈 1]、横浜市や東急に対して交渉を行った[8][9]

通勤線化反対の主な理由は長津田付近にある急カーブによる騒音・振動だが[注釈 2]、東急側も沿線住民に配慮し、カーブでのさらなる速度低下やレールウレタンを貼り付けるなどの対策を行った[8][9]

反対運動を展開していた「住民会」は代替案として、騒音・振動の少ないガイドウェイバスLRTの採用を主張していたが、こどもの国線は長津田車両工場への出入庫路線でもあり、東急の鉄道路線と統一的・一体的に運行する必要があるため却下されている[8][9]

年表

  • 1967年昭和42年)4月28日 - 開業。
  • 1980年(昭和55年)7月2日 - 車両が初代3000系列から7200系アルミ車に置き換わる[10]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 鉄道事業法施行により、東京急行電鉄が第二種鉄道事業者、こどもの国協会が第三種鉄道事業者となる。
  • 1989年平成元年)
    • 1月17日 - 車両が7200系アルミ車からワンマン運転に対応した7000系(7057 - 7052)に置き換わる[11]。これはワンマン運転に先駆けて、乗務員の習熟運転を行うためで、車掌も乗務していた[12]
    • 1月26日 - ワンマン運転開始[12]
  • 1990年(平成2年)12月 - こどもの国線通勤線化計画に反対する「東急こどもの国線沿線住民会」が結成される[8]
  • 1997年(平成9年)
    • 8月1日 - こどもの国協会が第三種鉄道事業を横浜高速鉄道に譲渡[6]。こどもの国駅無人化。
    • 10月 - 通勤線化のための改良工事開始。
    • 11月10日 - 改良工事のため休園ダイヤ時の列車を全面運休し、バス代行開始[5]
  • 1999年(平成11年)8月1日 - Y000系運転開始。
  • 2000年(平成12年)3月29日 - 通勤線化[6]。恩田駅開業[6]。休園ダイヤ廃止。

運行形態

 
多客期に4両編成で運行されるこどもの国線

通勤線化後

運行時間帯は平日が5時台 - 24時台、土休日は6時台 - 23時台であり、列車本数は平日の朝夕の混雑時間帯は最大10分間隔、平日の日中、土休日の終日は20分間隔のパターンダイヤである。また後述する「休園日ダイヤ」も通勤線化によって廃止され、こどもの国の開園の如何に関わらず通常の平日、土休日ダイヤに統一されている。ゴールデンウィーク夏休みなどの多客期には、日中の運転間隔を通常の20分間隔から10分間隔にして運転本数を増やすなど、利用状況に応じた対応をしている。急行列車の運転は行われていない。

通勤線化前

通勤線化前は純粋なこどもの国へのアクセス路線という位置づけで、運転時間帯はこどもの国の開園時間に合わせ、全日8時台 - 18時台となっていた[6]。休日ダイヤの方が本数が多いうえに列車間隔も不均等で、天候やこどもの国の利用状況に応じて運転される「不定期列車」が数多く設定されていた。また、こどもの国の休園日である毎週月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)は「休園日ダイヤ」という毎時1本程度運転のダイヤであり、この「休園日ダイヤ」にも、通常の休園日に用いられる「平日休園日ダイヤ」と、元日など限られた日しか用いられない「休日休園日ダイヤ」の二種類が存在した。

また途中の交換設備(恩田駅)がなかったため、1本の列車が往復する運行しかできず、ゴールデンウィークや夏休みなどの多客期には、大井町線用の5両編成の列車を走らせて対応していた。この場合はワンマン運転を取りやめ、車掌が乗務していた。

使用車両

こどもの国線の車両は次の通り。

  • 初代(開業時 - 1975年):東急3000系 (デハ3405)-(クハ3866)
    • 1972年にクハ3866は(クハ3662)に取替。閑散時はデハ3405の単行運転。
    • その後デハ3405は東急車輛製造(現・総合車両製作所横浜事業所)の入換車としてこどもの国線塗装のまま1985年頃まで使用された後は解体。クハ3662は廃車後斎藤茂太が引き取り府中市の病院で施設として利用、病院の改築時に解体。クハ3866は本線復帰後車体の更新を受け、旧3000系の全廃直前にリバイバルカラー化され、1989年3月まで池上線目蒲線などで使用された。
    • 検査等の際は田園都市線所属の7200系などがこどもの国マークを掲げて代走した。
  • 2代目(1975年 - 1980年):東急3000系(3600系) デハ3608-クハ3772
    • デハ3608は1980年8月に廃車、弘南鉄道へ譲渡、1995年まで使用された。クハ3772は11月に目蒲線へ転属、その後池上線で使用され1982年9月に廃車、上田交通(現・上田電鉄)へ譲渡され、同社別所線の昇圧に伴い1986年に廃車。
  • 3代目(1980年 - 1989年):東急7200系 デハ7200-クハ7500(アルミ車体試作車)
  • 4代目(1989年 - 2000年):東急7000系(初代) デハ7057-デハ7052(ワンマン改造車)
    • こどもの国線を引退後、東急車輛製造(現・総合車両製作所横浜事業所)の入換車となる。その後、2008年からデハ7052が同社内で保存。
    • 多客期および7000系が検査入場した際は大井町線用の8000系等を使用。
    • この時まで、こどもの国発長津田行でも方向幕は「こどもの国」のまま固定表示して往復していた。長津田行で行先の「長津田」を表示するようになるのは5代目の横浜高速鉄道Y000系からである。
  • 5代目(1999年 - ):横浜高速鉄道Y000系
    • 2両編成。混雑時は2本連結した4両編成で運行されることもある。
    • こどもの国線へ新車が直接的に投入されたのはこれが初。

また、1996年には大井町線用の東急9000系9007Fが計3日間3両編成化されてこどもの国線で運用されたことがある[15]

2019年11月10日には、東急7000系が臨時運用に加わった[16]。18m車がこどもの国線で運用されるのは20年ぶりの出来事であった。

運賃

運賃は通勤線化される前より、他の東急各線とは別体系となっている。全線均一制で2019年10月1日現在、ICカード利用の場合は157円、切符購入の場合は160円(小児はそれぞれ78円、80円)である[17]。東急他路線との運賃は単純に合算となるが、田園都市線青葉台駅田奈駅つくし野駅すずかけ台駅の各駅との間は乗継割引があり、合算額から20円(小児10円)引きとなる。ICカードで乗継割引の適用を受けるには、恩田駅もしくはこどもの国駅と、田園都市線 長津田駅の自動改札機通過時刻の差が60分以内である必要がある。

また、「横濱中華街旅グルメきっぷ」、「東急線・東急バス一日乗り放題パス」、「東急線ワンデーパス」(東急全線1日乗車券、旧称「東急ワンデーオープンチケット」)は当路線も乗車可能だが、これらの乗車券(「おトクなきっぷ」)は当路線各駅では発売していないため、田園都市線長津田駅の窓口でこどもの国線乗車に用いた乗車券・ICカードを提示することで「おトクなきっぷ」を差額で購入が可能である[18]

なお、長津田駅では、田園都市線とは別改札となっている。長津田駅の当路線乗り場は改札外に位置しており、当路線に有効な乗車券であれば乗車のために出場することができる。長津田駅から乗車する場合は同駅駅舎内の券売機で乗車券を購入するか、下車駅精算(恩田駅・こどもの国駅の精算機で支払う)となる。恩田駅・こどもの国駅では券売機・改札機による出改集札が行われており、車内収受は行わない。長津田駅での集札は信用方式(「きっぷ回収箱」への投入)である。ただし前述のように当路線は均一運賃であるため不正乗車の問題が生じることはない。

駅一覧

  • 全駅神奈川県横浜市内に所在。
  • 駅番号は、2012年2月上旬から順次導入された[19]
  • 恩田、こどもの国の両駅は駅員無配置(無人駅)であるが、自動券売機・精算機・筆談用ファクシミリ機などが設置され、長津田駅から遠隔操作を行っている。
  • 長津田駅は田園都市線とは別改札で本路線には改札口がない(改札省略)。自動券売機は田園都市線と共通。
駅番号 駅名 駅間キロ 累計キロ 接続路線 所在地 位置
KD01 長津田駅 - 0.0 東急電鉄  田園都市線 (DT22)(  大井町線直通列車含む)
東日本旅客鉄道  横浜線 (JH 21)
緑区 北緯35度31分55秒 東経139度29分40秒 / 北緯35.53194度 東経139.49444度 / 35.53194; 139.49444 (長津田駅(ながつたえき)
KD02 恩田駅 1.8 1.8   青葉区 北緯35度32分44秒 東経139度29分32秒 / 北緯35.54556度 東経139.49222度 / 35.54556; 139.49222 (恩田駅(おんだえき)
KD03 こどもの国駅 1.6 3.4   北緯35度33分29秒 東経139度29分12秒 / 北緯35.55806度 東経139.48667度 / 35.55806; 139.48667 (こどもの国駅(こどものくにえき)

脚注

注釈

  1. ^ 「住民会」の主要メンバーには、国労組合員として国鉄闘争に関わり、国鉄分割民営化の際に国鉄清算事業団を経て退職した元国鉄職員がいる。「東急こどもの国線沿線住民会」の文書が置かれているサイトの設置者紹介より[7]
  2. ^ 通勤線化に反対する沿線住民の理由としては他に、横浜市出資の第三セクターである横浜高速鉄道が事業主体となるため、乗客の少ないこどもの国線を通勤線化しても赤字になり、税金が投入されることになるのではないかという懸念も挙げられていた[8]

出典

  1. ^ a b 寺田裕一『データブック日本の私鉄』 - ネコ・パブリッシング
  2. ^ “” (PDF). こどもの国協会. 2022年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月13日閲覧。
  3. ^ a b 『こどもの国三十年史』池田邦二/編・こどもの国協会/出版
  4. ^ 「緑奈良地区地区計画」横浜市整備局等
  5. ^ a b  (1999年11月28日東京急行電鉄ニューリリース・インタ―ネットアーカイブ・2021年時点の版)
  6. ^ a b c d e (pdf)『こどもの国線通勤線化に伴い、同線のダイヤ改正と運賃変更を実施』(プレスリリース)東京急行電鉄、2000年3月15日http://www.tokyu.co.jp/file/000315.pdf2015年1月17日閲覧 
  7. ^ [1]
  8. ^ a b c d e 「こどもの国線沿線住民会」運動の記録 1990年~2013年(対外版増補) (PDF) 東急「こどもの国線」沿線住民会
  9. ^ a b c 東急「こどもの国線」通勤線化問題のこの5年 -「公共性」というものについて - 東急「こどもの国線」沿線住民会
  10. ^ 交友社『鉄道ファン1980年10月号「'80夏 東急ニュース」p.95。
  11. ^ 鉄道ジャーナル社『鉄道ジャーナル』1989年4月号RAILWAY TOPICS「東急こどもの国線に7000系ワンマン車」p.102。
  12. ^ a b 鉄道図書刊行会『鉄道ピクトリアル』1989年4月号「読者短信」p.112。
  13. ^ 小林和明 「東急'84--チャレンジ100キロ」『鉄道ピクトリアル』35巻1号(1985年1月号臨時増刊・通巻442号)、鉄道図書刊行会。
  14. ^ 金子智治 「東急 列車運転の興味」『鉄道ピクトリアル』44巻12号(1994年12月号臨時増刊・通巻600号)、鉄道図書刊行会。
  15. ^ 金子智治 「東急 運転の興味―2004―」『鉄道ピクトリアル』2004年7月臨時増刊号(通巻749号)特集・東京急行電鉄、鉄道図書刊行会。
  16. ^ こどもの国線多客輸送に東急7000系が使用される - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2019年11月11日
  17. ^ “運賃について(制度など)”. 東急電鉄. 2019年10月4日閲覧。
  18. ^ 世田谷線・こどもの国線からおトクなきっぷをお求めのお客さまへ 東急電鉄
  19. ^ 東急線全駅で駅ナンバリングを導入します 2012年11月19日, at the Wayback Machine. - 東京急行電鉄、2012年1月26日、2012年1月26日閲覧。

関連項目

外部リンク

  • こどもの国線 路線情報 - 東急電鉄
  • こどもの国線 各駅情報 - 東急電鉄
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