本庄 京三郎(ほんじょう きょうさぶろう、1868年(明治元年4月)- 1938年(昭和13年)12月[1])は、日本の実業家。
経歴
1868年、岡山県に生まれる[2]。1891年に東京法学院(現・中央大学)を卒業した[2]。
1918年5月に(甲陽土地)株式会社を設立し、甲陽園を開発し、旅館、温泉、運動場、動物園、劇場、映画撮影所(甲陽撮影所)などを設け、さらに周辺の宅地開発もおこなった。
1920年には第14回衆議院議員総選挙に岡山県第8区から無所属で立候補したが、次点で落選した[3]。
また、教育事業として1922年には関西工学専修学校(現在の大阪工業大学、学校法人としては常翔学園)の設立者・校主となり、建築家の片岡安を初代校長として創設した[2]。