本多 正勝(ほんだ まさかつ)は、江戸時代初期から前期にかけての武将。下野国小山藩、下野宇都宮藩の世嗣。官位は従五位下・出羽守。
生涯
慶長元年(1596年)、江戸幕府初期の重臣・本多正純の嫡男として誕生。
慶長16年(1611年)、叙任。徳川氏による大坂の陣にも参戦し、慶長20年(1615年)の天王寺・岡山の戦いでは首級を挙げた。
元和8年(1622年)、父・正純が徳川将軍家に対する謀反の嫌疑で改易されると、これに連座して出羽国由利郡に配流された(宇都宮城釣天井事件)。寛永元年(1624年)には出羽久保田藩主・佐竹義宣のもとへ移された。
系譜
子女は2男2女。
- 父:本多正純(1565-1637)
- 母:酒井重忠娘
- 正室:おさい - 栄春院、戸田氏鉄次女
- 生母不明の子女
- 次男:(本多正之) - 配流地の横手で出生し正好とは異母兄弟である。正純没後に成瀬正虎に引き取られ、尾張犬山で養育される。寛文4年(1664年)に赦免され、徳川家綱に拝謁、2,000石を賜り幕府旗本として家を再興した。正之には嫡子がなく跡を石川正信の三男・正芳が本多家の養子となり相続した。
- 長女:戸田氏豊正室 - 母や正好と共に戸田氏鉄のもとに身を寄せる。のち大垣へ移り住む。戸田氏鉄のもとに寓居していた戸田氏豊に嫁ぐ。氏豊の姉は徳川家光の側室・お万の方で、その縁から氏豊も幕府旗本に取り立てられる。
- 次女:野間三竹室 - 母や正好、姉と共に大垣へ移住。のち奥医師の野間成大に嫁ぐ。野間家は幕府医官として幕末まで存続する。