朝倉市(あさくらし)は、福岡県の中南部、筑後地域に位置する市である。
あさくらし 朝倉市 | |
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国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 福岡県 |
市町村コード | 40228-1 |
法人番号 | 1000020402281 |
面積 | 246.71km2 |
総人口 | 48,775人 ([編集]) (推計人口、2023年4月1日) |
人口密度 | 198人/km2 |
隣接自治体 | 久留米市、うきは市、嘉麻市、朝倉郡筑前町、東峰村、三井郡大刀洗町 大分県日田市 |
朝倉市役所 | |
市長 | 林裕二 |
所在地 | 〒838-0061 福岡県朝倉市菩提寺412番地2 北緯33度25分24秒 東経130度39分56秒 / 北緯33.42342度 東経130.66553度座標: 北緯33度25分24秒 東経130度39分56秒 / 北緯33.42342度 東経130.66553度 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
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ウィキプロジェクト |
地理
福岡県の中央部、福岡市の南東約40km、久留米市の北東約20kmの場所に位置する。市内を北西から南東へと貫く国道386号線あたりを境に、南側は盆地、北側(市域北部から北東部〜東部にかけて)は古処山をはじめとする600〜900m級の山々が連なる。この山地の中に福岡県両筑地域の水資源供給の役割を担う寺内ダム・江川ダムがある。また市域の南側には、境界にほぼ沿う形で筑後川が流れている。
市域西端部に中心商店街や中心鉄道駅が立地する。市中心部から北東約8kmの位置に旧城下町の秋月地区がある。秋月地区は「筑前の小京都」と呼ばれ、観光地となっている。朝倉都市圏の中心都市である。
国道386号の杷木地区(旧杷木町)を過ぎると、大分県日田市に入る。
隣接している市町村
- 福岡県
地名
旧杷木町のみ、従来の大字の前に「杷木」を冠する。
- 旧甘木市
- 甘木(旧甘木町)
- 菩提寺(旧甘木町)
- 下渕(旧安川村)
- 甘水(旧安川村)
- 隈江(旧安川村)
- 持丸(旧安川村)
- 千手(旧安川村)
- 長谷山(旧安川村)
- 楢原(旧安川村)
- 屋形原(旧三奈木村)
- 荷原(旧三奈木村)
- 三奈木(旧三奈木村)
- 城(旧三奈木村)
- 板屋(旧三奈木村)
- 矢野竹(旧三奈木村)
- 秋月(旧秋月町。朝倉市合併時に下秋月より改称)
- 秋月野鳥(旧秋月町。朝倉市合併時に野鳥より改称)
- 江川(旧上秋月村)
- 山見(旧上秋月村)
- 上秋月(旧上秋月村)
- 田代(旧上秋月村)
- 日向石(旧上秋月村)
- 一木(旧立石村)
- 柿原(旧立石村)
- 古賀(旧立石村)
- 小隈(旧福田村)
- 小田(旧福田村)
- 倉吉(旧福田村)
- 中寒水(旧福田村)
- 堤(旧立石村)
- 頓田(旧立石村)
- 白鳥(旧福田村)
- 平塚(旧福田村)
- 来春(旧立石村)
- 鵜木(旧蜷城村)
- 鎌崎(旧蜷城村)
- 金丸(旧蜷城村)
- 上畑(旧蜷城村)
- 相窪(旧立石村)
- 中(旧蜷城村)
- 長田(旧蜷城村)
- 徳渕(旧蜷城村)
- 八重津(旧蜷城村)
- 福光(旧蜷城村)
- 片延(旧蜷城村)
- 林田(旧蜷城村)
- 屋永(旧金川村)
- 牛鶴(旧金川村)
- 桑原(旧金川村)
- 中島田(旧金川村)
- 田島(旧金川村)
- 黒川(旧高木村)
- 佐田(旧高木村)
- 下浦(旧馬田村)
- 牛木(旧馬田村)
- 上浦(旧馬田村)
- 千代丸(旧馬田村)
- 草水(旧馬田村)
- 馬田(旧馬田村)
- 中原(旧馬田村。1949年、下浦などから分立。)
- 美奈宜の杜1〜7丁目(三奈木・田代・矢野竹より分立。年不詳。住居表示実施済[1])
- 旧朝倉町
- 古毛(旧朝倉村)
- 菱野(旧朝倉村)
- 山田(旧朝倉村)
- 烏集院(旧宮野村)
- 須川(旧宮野村)
- 比良松(旧宮野村)
- 宮野(旧宮野村)
- 石成(旧大福村)
- 入地(旧大福村)
- 大庭(旧大福村)
- 上寺(旧大福村)
- 多々連(旧大福村)
- 田中(旧大福村)
- 長渕(旧大福村)
- 杷木(旧杷木町)
- 池田
- 白木
- 林田
- 穂坂
- 赤谷(旧松末村)
- 大山(旧松末村)
- 星丸(旧松末村)
- 松末(旧松末村)
- 志波(旧志波村)
- 久喜宮(旧久喜宮村)
- 古賀(旧久喜宮村)
- 寒水(旧久喜宮村)
- 若市(旧久喜宮村)
歴史
邪馬台国甘木・朝倉説
安本美典が唱える説で、甘木・朝倉地方を中心とした周辺地域の地名と奈良・大和地方を中心とした周辺地域の地名の酷似[2]から、邪馬台国の中心は甘木・朝倉にあり後に奈良・大和地方に移って大和朝廷になったとする説。この説にちなんで5月には甘木公園[3]で花の邪馬台国まつりが開催されている。
太宰府 観世音寺領
観世音寺の創建について「続日本紀」が元明天皇の詔として、「筑前の観世音寺は、近江の大津宮で、天下を統べられた天皇(天智)が、後岡本宮で天下を治められた天皇(斉明)のために、誓願して基をおかれたところである。)」(和銅2年(709)2月1日の条)と伝えていることを根拠として、開基を天智天皇とされている。
大宝2年(702) 筑前国上座郡の園地49町を施入 大宝3年(703) 筑前国上座郡把伎野他を施入
- 普門院(ふもんいん)
- 747年(天平19年)行基によって開かれたと伝えられ、麻氐良布神社の別当寺であった。空海もこの寺に入ったと伝えられる。 当院の正式な名称は広大山神宮寺普門院といい、山号は聖武天皇から賜った勅号という。
- 医王山 南淋寺
- 比叡山の僧最澄(伝教大師)は遣唐使から帰国後筑前の山々を訪ね、夜須郡の白山(現在の朝倉市秋月古処山)の麓で霊木を見出し、七体の薬師像を一刀三礼して謹刻され開眼供養を行った。最初の一体を秋月に安置する予定であったが一夜にして七体の仏様は無くなってしまったのである。
- 最澄は仏のお告げにより上座郡長渕(朝倉市長渕)に最初の一体を見つけその地に南林寺を建立した。大同元年(西暦806年)のことである。
- 延喜の荘園整理令
- 902年(延喜2年)この整理令以後の荘園を「格後の荘園」と呼び、整理の対象にした。なお、成立の由来がはっきりとしていて、かつ、国務の妨げにならない荘園は整理の対象外としている。
- 甘木の地名の由来
- 「甘木」という地名は、この寺「甘木山安長寺(かんぼくざんあんちょうじ)」に由来すると言われている。
- 920年(延喜20年)、南都よりこの地管理のため移り住んだ甘木安長(遠江守)により創建、地蔵堂には大和国の矢田寺より請来の地蔵が祀られた。 矢田寺は、大海人皇子(天武天皇)が、壬申の乱の戦勝祈願のため矢田山に登られ、即位後の白鳳4年、法相宗の僧・智通僧上に勅せられ、七堂伽欄48カ所坊を造営したのが開基。
- 杷伎駅
- 『延喜式』巻廿八兵部省には駅の設置された地名に杷伎の名が登場し、大宰府から豊後への駅の一つが設置されていたと考えられる。
- 秋月八幡宮
- 940年に朝廷に謀反を起こした藤原純友(すみとも)の追捕使としてこの地に来た大蔵春実が、神功皇后の旧地とされる宮の丘で戦運を祈願したところ、たちまち(純友の乱)を平定することができた。大蔵春実はその功績により従五位下・対馬守兼大宰大監に叙任される。946年、この地に武神の守護神として神社を建立。
- 992年 秋月荘「筥崎宮塔院所領秋月」(『石清水文書』)
武家政権時代
鎌倉時代の1203年(建仁3年)、(原田種雄)(たねかつ)が幕府より秋月庄を賜り秋月城(現在は城跡のみ)の築城を始める。それ以降、原田氏は秋月氏を名乗り、以後17代にわたって統治が続き城下町として栄える。
- 上座郡長淵荘
- 鎌倉時代初期には後鳥羽上皇の院近臣であった比叡山の僧で尊勝寺執行・尊長が領家で、後に上皇の皇子・道覚入道親王に領家職を譲ったが、承久の乱関係者の所領とされて没官され、関東御領に編入された。 承久の乱は、1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。
- 正応元年(1288年)、元寇に対する九州御家人の対する恩賞として分配されたが、余りにも多くの御家人間で分割されたために、1人あたり3-5町規模しか与えられず、 実際の支配は困難であり、ほとんど不知行と化していった。後に博多崇福寺に寄進された地域もあったとされているが、その後の動向は不明である。
- 甘木山安長寺と博多承天寺
- 安長寺は、正安年間(1299-1301)、博多承天寺の住職・蔵山順空和尚(諡号は円鑑禅師)が現在の禅宗に改宗したという。この時期に甘木山安長寺の住職を兼務。博多承天寺は寛元元年(1243年)、官寺となっている。
- 黒川院
- 正慶2年(1333)12月、後伏見天皇第6皇子・長助法親王が彦山の座主(ざす)として入御され、その館を上座郡黒川村につくり「黒川院」と称した。この長助法親王(助有法親王)から舜有法主まで(天正15年)14代の座主が黒川に館を構えた。1578年(天正6年)12月に黒川院は秋月種実により焼き討ちされ灰燼に帰した。 15代の忠有法主以降、館は彦山に移された。
- 新田鎮実(にった しげざね)
- 鎮実の父である氏景の代で大友氏幕下となる。大友義鎮(宗麟)より偏諱を受けて鎮実と称し、筑前国上座郡内に知行を与えられる。元亀年中に義鎮の命令により戸次道雪、立花宗茂附添となり、立花山城籠城戦で奮戦し、感状を与えられる。
- 天正15年(1587年)、九州平定で下向した豊臣秀吉による国割の結果、筑前上座郡の所領を失って大友氏を去り、同年中に立花宗茂に仕える。
- 九州平定以降
- 1587年(天正15年)、九州に攻め込んだ豊臣秀吉の軍勢の前に敗れ、秋月氏は日向国高鍋に移封された。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの功により、黒田長政が筑前国の領主となる。秋月には叔父の黒田直之を配した。直之は秋月城や町割りを整備した。その後1623年(元和9年)、福岡藩を統治していた黒田長政の遺言により、長政の三男黒田長興が秋月に5万石で分封され秋月藩が成立、城下町を立て直した。以後は黒田氏による統治が明治時代の廃藩置県まで続くこととなる。
- 廃藩置県により秋月県が誕生、県庁所在地となったがすぐに福岡県に統合され、県内の一都市となった。その後、明治政府の打ち出した政策に強い不満を抱いた士族により、1876年10月24日熊本藩で起きた神風連の乱に呼応する形で10月27日に秋月の乱が起こった。
近現代における行政区域の変遷
- 1889年4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の町村が発足。
- 1893年12月27日 - 【町制施行】秋月村 → 秋月町
- 1896年2月26日 - 郡制施行により、上記町村はすべて朝倉郡に属する。
- 1909年6月15日 - 【新設合併】大庭村・福成村 → 大福村
- 1939年4月17日 - 【町制施行】杷木村 → 杷木町
- 1951年4月1日 - 【新設合併】杷木町・松末村・久喜宮村・志波村 → 杷木町
- 1954年4月1日 - 【新設合併・市制施行】甘木町・秋月町・上秋月村・安川村・立石村・福田村・馬田村・蜷城村・三奈木村・金川村 → 甘木市
- 1955年3月10日 - 【編入】高木村 → 甘木市
- 1955年3月31日 - 【新設合併】朝倉村・宮野村・大福村 → 朝倉村
- 1962年4月1日 - 【町制施行】朝倉村 → 朝倉町
- 2006年3月20日 - 【新設合併】甘木市・朝倉町・杷木町 → 朝倉市
昭和28年西日本水害
1953年6月に九州一帯を襲った集中豪雨により筑後川が各所で氾濫。現朝倉市域では、特に大福、蜷城一帯の全家屋が浸水した[4]。
平成29年7月九州北部豪雨
2017年7月5日に九州北部を襲った記録的な集中豪雨では市内の黒川地区にある北小路公民館では降り始めからの累加雨量894mm、24時間雨量829mmに達するなど市内各地で記録的な豪雨となり、市内各地で土砂崩れや河川の氾濫による浸水が発生し、市内で34人が死亡、2人が行方不明となったほか、住宅の全壊・大規模半壊372件、その他国道386号を中心とする道路等の生活基盤施設や農地なども多くの被害を受けた[5]。
朝倉市では同年度末に復興計画を策定、現在も復興・復旧事業が進められている。
歴代市長
行政
市長
- 林裕二(2期目)
- 任期: 2026年4月22日
議会
- 定数:18人
- 任期:2023年4月30日
消防
- 甘木朝倉消防本部・消防署
- 朝倉出張所
- 東部分署
警察
- 朝倉警察署(旧甘木警察署)
地域
人口
朝倉市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 朝倉市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |
■紫色 ― 朝倉市 ■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |
朝倉市(に相当する地域)の人口の推移 | ||
総務省統計局 国勢調査より |
地域圏・経済圏
朝倉市の市域は、一部を除いたほぼ全域が旧筑前国に属しており、福岡県の公式的な地域圏としては福岡地域圏に分類されるが、反面、市内の鉄道(西鉄甘木線)が久留米方向へ向かって整備されており久留米市を中心とする筑後地域圏に含まれる要素も多い。また、自動車のナンバープレート(陸運支局の管轄)も「福岡」ではなく「久留米」となっており、郵便番号も筑後地区に多い830番台の番号(838-XXXX) となっている。朝倉市のうち旧甘木市、朝倉町域は福岡都市圏の5%(通勤圏)に属する。
教育
高等学校
中学校
- 市立
- 甘木中学校
- 南陵中学校
- 秋月中学校
- 十文字中学校
- 比良松中学校
- 杷木中学校
小学校
- 市立
- 甘木小学校
- 立石小学校
- 福田小学校
- 蜷城小学校
- 秋月小学校
- 馬田小学校
- 金川小学校
- 三奈木小学校
- 大福小学校
- 朝倉東小学校
- 杷木小学校
- 久喜宮小学校 (2018年3月閉校、2018年4月より杷木小学校に統合)
- 志波小学校 (2018年3月閉校、2018年4月より杷木小学校に統合)
- 松末小学校 (2018年3月閉校、2018年4月より杷木小学校に統合)
産業
朝倉市に工場を置く主な企業
- 株式会社ブリヂストン 甘木工場
- 麒麟麦酒(キリンビール)株式会社 福岡工場(キリンビアパーク福岡)
- マルヱ醤油株式会社 朝倉工場(本社はみやま市、朝倉工場では味噌の製造のみ)
- 三和シヤッター工業株式会社 九州工場
朝倉市に本社を置く主な企業
- 株式会社篠崎(日本酒・焼酎の製造・販売)
- オーケー食品工業株式会社
- 株式会社ドラッグストアモリ
- サイタホールディングス
- 筑前あさくら農業協同組合
交通
- 空港は福岡空港が最寄り。
鉄道
甘木鉄道: 甘木鉄道甘木線(基山駅でJR鹿児島本線と、小郡駅で西鉄天神大牟田線と接続。福岡市方面へのメインルート)
西日本鉄道: 西鉄甘木線(宮の陣駅で西鉄天神大牟田線と接続。久留米市方面へのメインルート)
バス
路線バス
- 朝倉市の中心部に甘木バスセンターと営業所(西鉄バス二日市甘木支社)、旧杷木町の中心部に杷木発着所と営業所(日田バス杷木営業区)を置き、市内で運行している。
- 西日本鉄道が運行する[40][41][400]番は朝倉市内を北西から南東に貫く朝倉街道(国道386号およびその旧道)に沿って経由し、福岡市・筑紫野市と朝倉市を結ぶ路線で、西鉄バス二日市・日田バス(400を除く)への管理委託路線である。甘木バスセンターを経由する。
- ほかに杷木発着所を拠点として西鉄バス久留米が無番の路線を運行しており、杷木から東峰村に向かう路線と、杷木からうきは市の旧浮羽町の中心部である浮羽発着所を経て旧浮羽町南部の山間部へ向かう路線があり、うち1路線は日田市の旧前津江村域まで運行する。
- 日田バスはかつて独自の路線が日田市から乗り入れていたが、2020年4月30日を以って廃止され、現在は先述の西日本鉄道の路線の管理委託のみを行っている。
- 甘木観光バス
- 2001年に西鉄が当時の甘木市内のローカル路線を廃止した際に路線を引き継ぎ路線バスに参入、運行を開始したが、朝倉市が発足した後は路線の廃止が相次ぎ、現在では甘木駅を拠点とする秋月地区、久留米市田主丸町、筑前町(太刀洗駅)への路線と、市中心部を循環する甘木市街地循環線のみを運行している。
コミュニティバス
- (朝倉地域コミュニティバス) - 朝倉町で運行されているコミュニティバスで、矢野タクシーが運行する。日祝・年末年始を除き運行。各ルートとも1日定期便2往復のほか、予約に応じて運行する1往復が設定されている。
- 朝倉・宮野コース
- 福成・大庭コース
- あいのりタクシー - 予約制(デマンド交通)乗合タクシー。甘木観光バスの廃止に伴い運行されている。
- 杷木東部線・福城線、長渕線、黒川線、矢野竹線、美奈宜の杜線 、馬田線、上秋月・安川線
- あいのりスクールバス - 小中学校のスクールバスを予約制乗合タクシーとしても運行する。
- 佐田コース・黒川コース
- 上秋月地域スクールバス混乗化事業
- うきはバス - うきは市が運行するコミュニティバスで、浮羽線が杷木を経由する。
高速バス
以下の2路線が市内の停留所に発着する。発着地は朝倉市中心部近くの大分自動車道甘木インターチェンジに併設される高速甘木(甘木バスストップ)、旧朝倉町中心部近くの朝倉インターチェンジに併設される朝倉インターバス停(朝倉バスストップ)、旧杷木町中心部の杷木発着所。
道路
- 高速道路
- 一般国道
- 主要地方道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
観光
- 秋月(重要伝統的建造物群保存地区)
- 朝倉の水車(三連水車・二連水車)
- 垂裕神社
- (恵蘇八幡宮)
- 古心寺(秋月藩黒田家の菩提寺)
- (大涼寺)
- 隠家の森
- 原鶴温泉
- (音楽館)(おんらくかん)
- 甘木歴史資料館
- 朝倉市秋月博物館(旧秋月郷土館)
- キリンビール福岡工場・キリンビアファーム
- 甘木公園
旧跡
国の史跡
- 平塚川添遺跡
- 小田茶臼塚古墳
- 堀川用水及び朝倉揚水車
- 杷木神龍石
福岡県指定史跡
祭事
- おしろい祭り
- 泥うち祭り
百選
著名な出身者
★は故人
- 飯田栄彦 - 児童文学作家、旧甘木市出身 ★
- 尾野実信 - 陸軍軍人、朝倉郡甘木出身 ★
- 豊島与志雄 - 小説家、翻訳家、仏文学者、児童文学者、旧甘木市出身 ★
- 坂本一亀(音楽家坂本龍一の父) - 河出書房編集者、旧甘木市出身 ★
- 梅ヶ谷藤太郎 (初代) - 第15代横綱、旧杷木町志波出身 ★
- 業田良家 - 漫画家、旧甘木市出身
- 樋口龍美 - 元プロ野球選手(中日ドラゴンズ)
- 坂田将人 - プロ野球選手(福岡ソフトバンクホークス)
- 水無月すう - 漫画家
- 吉瀬美智子 - 女優、元ファッションモデル
- 朝倉あき - 女優
- 加藤正夫 - 囲碁棋士、旧朝倉町出身 ★
- 井上微笑 - 俳人 ★
- えとぴりか - 歌手
- 高木渉 - プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ)
市外局番
- 0946(甘木MA。全域)
事案
脚注
- ^ “美奈宜の杜の住居表示制度について| 朝倉市”. www.city.asakura.lg.jp. 2019年6月21日閲覧。
- ^ http://yamatai.cside.com/tousennsetu/yasumotosetu3.htm
- ^ http://www.amagiasakura.net/hiratuka/hiratuka-info.htm
- ^ 「久留米全市に避難命令」『日本経済新聞』昭和28年6月27日 9面
- ^ 朝倉市復興計画(2018年3月) (PDF)
- ^ 報告第37号
- ^ “福岡・朝倉市係長、被害甚大地区で便宜か 工事単価高く設定可能、豪雨復旧工事汚職(一部有料記事)”. 毎日新聞. (2020年6月16日)2020年7月3日閲覧。
- ^ “朝倉市職員の起訴に関する市長コメント”. 朝倉市 (2020年7月3日). 2020年7月4日閲覧。
- ^ “九州北部豪雨汚職 福岡・朝倉市係長を収賄で起訴”. 毎日新聞. (2020年7月3日)2020年7月3日閲覧。
外部リンク
- 公式ウェブサイト
- 甘木朝倉観光協会 甘木朝倉観光案内
- 朝倉市アンテナ (antenna.asakura) - Facebook
- 地図 - Google マップ