有馬 貞子(ありま さだこ、1887年(明治20年)8月6日[1][2] - 1964年(昭和39年)8月16日[2])は、日本の元皇族。元華族。有馬頼寧伯爵夫人。皇族時代の名と身位は貞子女王。
生涯
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北白川宮能久親王と側室の岩浪稲子の娘として生まれる。1895年(明治28年)10月28日、父能久親王と死別。
1902年(明治35年)11月6日付で有馬頼萬伯爵の嗣子有馬頼寧との結婚の勅許が下りた[3]。翌1903年(明治36年)2月6日、有馬頼寧に降嫁した[4]。
長男、次男に相次いで先立たれ、1957年(昭和32年)1月9日には夫頼寧とも死別した。
小説家として活躍した三男の有馬頼義には『母 その悲しみの生涯』と題し、貞子を題材とした著作がある。
血縁
脚注
注釈
出典
参考文献
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
外部リンク
- 『(保科武子)』 - コトバンク