地理
東は南武平町4丁目・同5丁目、南は東陽町1丁目、北は南久屋町3丁目に接していた[4]。
学区
人口
国勢調査による人口の推移
歴史
地名の由来
かつて当地の東側に田があり、月見の名所であったことによるという[7]。
沿革
- 明治5年 - 廿七番町・廿八番町を設置[1]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 廿七番町・廿八番町の両町を併せ、名古屋区月見町として成立[8]。ただし、『なごやの町名』は、同月28日成立とする[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市月見町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区月見町となる[1]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区月見町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区月見町となる[1]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 全域が栄五丁目に吸収され、消滅[1]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i 名古屋市計画局 1992, p. 783.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ 国土地理院1万分の1『名古屋東南部』(1955年)
- ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 80.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 74.
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 843.
- ^ 福岡清彦 1976, p. 20.