来歴・人物
中学までは投手だったが、印旛高進学後に捕手に転向した。高校では、後に阪神タイガースに同期入団する佐藤文男とバッテリーを組む。1981年のセンバツに出場し3番打者として活躍、準決勝の上宮高戦でレフトラッキーゾーンに本塁打を打った。決勝戦ではPL学園高に敗れたが月山は超高校級捕手として注目を集めた。
元々は、早稲田大学へ進学する予定だったが、1981年のプロ野球ドラフト会議で阪神タイガースから3位指名を受け入団[1]。この後、佐藤はドラフト外で阪神に入団している。またチームメイトで1番打者の二塁手の村上信一は阪急ブレーブスに入団した。
プロでは1984年に一軍デビューした。しかし、1986年1月に選手寮の虎風荘の階段を踏み外して左肩を骨折(実際はスキーで転倒し骨折した:本人談[要出典])。更に、肝炎を患ったことで選手生命を縮め[1]、練習生扱いとなっていた翌1987年7月に現役を引退した。
現在は地元で焼肉店を経営している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1984 | 阪神 | 6 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
1985 | 8 | 14 | 13 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | .154 | .214 | .231 | .445 | |
通算:2年 | 14 | 17 | 16 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 1 | .125 | .176 | .188 | .364 |
年度別守備成績
年 度 | 捕手 | ||||
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試合 | 企図数 | 許盗塁 | 盗塁刺 | 阻止率 | |
1984 | 3 | 1 | 0 | .000 | |
1985 | 4 | 2 | 0 | .000 | |
通算 | 7 | 3 | 0 | .000 |
記録
- 初出場:1984年5月2日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場、9回裏に捕手として出場
- 初安打・初打点:1985年8月7日、対ヤクルトスワローズ15回戦(明治神宮野球場)、3回表に宮本賢治から適時打
- 初先発出場:1985年8月26日、対ヤクルトスワローズ19回戦(阪神甲子園球場)、8番・捕手として先発出場
背番号
- 41(1982年 - 1987年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 月山栄珠 - NPB.jp 日本野球機構