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春日毎治

春日 毎治(かすが まいじ、1894年明治27年)2月17日 - 1973年昭和48年)3月16日)は、日本の政治家長野県中野市市議会議員・初代中野市市議会議長、長野県地方裁判所飯山支部調停委員[1]。下高井群繊維組合理事長[1]。終戦連絡委員長[1]

長野県下高井郡穂波村佐野(現在の山ノ内町)出身。1911年(明治44年)1月12日オーストリアテオドール・エードラー・フォン・レルヒ少佐により日本に初めてもたらされたスキー術に関して、穂波小学校で教員を行っていた大正元年(1912年)、志賀高原のある長野県下高井郡山ノ内町で初めてスキー術の指導を行った[2][1]紺綬褒章

業績

昭和29年(1954年)7月1日、1町8村(中野町、平岡村、延徳村、平野村、日野村、高岡村、長岡村、科野村、倭村)が合併して、中野市とする市町村合併協議を中野町町議会議長として先導した[1]。合併後の中野市議会議員数は1町8村合わせて総勢149名となり、あまりにも議員が多いため、合併推進法で認められた1年間の議会任期を4か月に短縮し、議員149名の総辞職を決行させた[1]。合併後の中野市議会議員数を30名の小選挙区(中野町10名、平岡村4名、延徳村4名、平野村3名、日野村2名、高岡村2名、長岡村2名、科野村2名、倭村1名)として議会運営を行う事と決議した小選挙区制導入に対して、既得権益者の猛反発を受け有権者の約6割にも及ぶ反対署名活動が起こる。中野市長は再議権を発動、議会に再考を促したが議会はこれを否決し、30名の小選挙区施行を断行した[3]。合併の労に報いる形で、昭和29年(1954年)7月5日、長野県中野市市議会の初代議長に満場一致で推挙された[1]

経歴

  • 大正元年(1912年)9月 穂波小学校に教員として勤務[1]
  • 昭和6年(1931年)長野県下高井郡中野町(現・中野市)中野スキークラブを結成。副会長に就任[1]
  • 昭和26年(1951年)長野県下高井郡中野町(現、長野県中野市)町議会の議長に就任[1]
  • 昭和29年(1954年)7月5日 長野県中野市市議会の初代議長に就任[1]
  • 昭和40年(1965年)6月12日 紺綬褒章を受章。

親族・家系

  • 春日家は北信濃の名門で松代藩真田氏より。真田氏一族以外では特例である真田六文銭家紋を下賜されている[4][5]
  • 高祖父:(春日新左衛門) - 真田家松代藩より天保9年(1838年)苗字・帯刀・家紋の使用を許される[5]天保の飢饉における松代藩内生活困窮者への救済活動に尽力する[5]
  • 曽祖父:(春日与右衛門) - 長男春日与市とともに、約12キロに及ぶ引き水工事である(屏風堰)を松代藩に一切費用を頼らず自己・有志資金のみで建造[5]
  • 祖父:春日与市 - 長野県県会議員(第1回県議選~第4回県議選)。下高井教育会長を務めた[6]
  • 伯父:(春日喜一郎) - 長野県下高井郡郡議員。長野県下高井郡穂波村村長。能書家としては山本凌亭との交流が深かった[2]。所有する田畑は60町歩(180000坪)、山林は現在の佐野の8割に達した[4]
  • 伯父:(春日勝太郎) - 春日与市の次男。生糸貿易にてアメリカ合衆国へ渡る[7]
  • 叔父:(宮崎通知) - 春日与市の三男。旧姓春日通知。長野県下高井郡平穏村村長。夜間瀬川砂防護岸工事の功労により、建設大臣より表彰される(昭和29年)。
  • 実母:(春日多可) - 春日与市の次女[8]
  • 実父:山本祐善 - 雅号は山本凌亭。南宋画家の児玉果亭門下[8]
  • 実兄:山本保 - 長野県下高井郡穂波村村長。穂波村教育委員長。雅号は山本蕙田。画家の(小坂芝田)門下。洋画家の(山本秀麿)の父[8]
  • 長男:春日通眼 - 信州中野商工会議所会頭。社団法人(信濃中野法人会)初代会長。
  • 長男の妻:(春日長) - 旧姓山本。実兄の山本弘文は経済学者、法政大学常務理事。実母の山本孝(旧姓近山孝)は犀北館皇族の宿泊をはじめ、サマランチ国際オリンピック委員会会長(当時)などの重要来賓が来館し、犀北館のグランドボールルームは、民間の会場としては初めて皇族の宮中晩餐会の会場となった。犀北館傘下であった旧野尻湖ホテル(現在は跡地のみ)は、明仁上皇上皇后美智子が皇太子・皇太子妃の頃に静養した。)創業家の近山本家出身。
  • 孫:(春日泉) - 実業家。
  • 孫の妻:(春日登志子) - 旧姓関谷。都市銀行の旧太陽銀行(現・三井住友銀行)勤務後、寿退社。実母の甥は、長野冬季パラリンピック競技大会組織委員会事務総長、長野県教育長を務めた(樋口太郎)(2002年11月秋の叙勲にて勲五等双光旭日章)。

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 『地域を築いた人びと~中野・山ノ内人物風土記~』
  2. ^ a b 『おくしなの人物風土記』
  3. ^ 『中野市誌 歴史編(後編)』
  4. ^ a b 『春日弘氏追懐録』
  5. ^ a b c d 『広報ほくしん9号』
  6. ^ 『長野県姓氏歴史人物大辞典』
  7. ^ 『地域を築いた人びと~中野・山ノ内人物風土記~』
  8. ^ a b c 『山本四代画集~山本凌亭・山本〔ケイ〕田・山本秀麿・山本嘉歳~』

参考文献

  • 住友金属工業株式会社編集『春日弘氏追懐録』財団法人日本陸上競技連盟協賛、1974年3月発行。
  • (内田恒雄)『おくしなの人物風土記』北信ローカル社、1976年4月16日発行。
  • 『長野県姓氏歴史人物大辞典』角川書店、1996年11月8日初版発行。
  • 田川光雄『地域を築いた人びと~中野・山ノ内人物風土記~』北信ローカル社、1986年11月21日発行。
  • 執筆、田中毅、監修、法政大学史学会評議員(湯本軍一)『広報ほくしん9号』北信農業共済組合、2002年1月12日発行。
  • 山本凌亭『山本四代画集~山本凌亭・山本〔ケイ〕田・山本秀麿・山本嘉歳~』竹内要出版、1973年8月発行。
  • 『中野市誌 歴史編(後編)』1981年3月1日発行、中野市発行、編集中野市誌編集委員会

関連項目

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