略歴
浦和市立高等学校在籍時に高校選手権(1965年度)優勝に貢献。大学は立教大学に進学し、川上信夫と共に1969年度の天皇杯準優勝に貢献(1970年1月1日、1-4東洋工業)した。なお、これは現在に至るまで大学勢最後の決勝進出となっている。卒業後に日本サッカーリーグ1部の新日本製鐵サッカー部に入部し中心選手として活躍した。JSL1部通算成績は114試合50得点15アシスト[2]。
日本代表としても、1970年6月4日のサウサンプトンFC戦で代表デビューを飾り、ワールドカップ西ドイツ大会予選など、国際Aマッチ4試合に出場した。
所属クラブ
- 浦和市立高等学校
- 立教大学
- 1971-1977 新日本製鐵サッカー部
個人成績
代表歴
- 日本代表初出場(国際Aマッチ):1972年9月14日 対韓国戦(国立競技場)
- 日本代表初出場:1970年6月4日 対サザンプトン(イングランド)戦(御崎サッカー場)
- 日本代表初得点:1972年9月6日 対フェレンツバロシュ(ハンガリー)戦(国立競技場)
出場大会など
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点(1972-1973)
参考文献
- 『日本サッカーリーグ全史』日本サッカーリーグ、1993
出典
外部リンク
- 日高憲敬 - National-Football-Teams.com (英語)
- 日高憲敬 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)