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日高三岡駅

日高三岡駅(ひだかみつおかえき)は、北海道日高支庁沙流郡日高町字三岩にかつて存在した、日本国有鉄道(国鉄)富内線廃駅)である[1]事務管理コードは▲132314[3]

日高三岡駅
ひだかみつおか
Hidaka-Mitsuoka
日高岩内 (4.7 km)
(4.4 km) 日高町
所在地 北海道沙流郡日高町字三岩
北緯42度50分44秒 東経142度24分59秒 / 北緯42.84556度 東経142.41639度 / 42.84556; 142.41639
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 富内線
キロ程 78.1 km(鵡川起点)
駅構造 地上駅
(ホーム) 1面1線
開業年月日 1964年昭和39年)11月5日[1]
廃止年月日 1986年(昭和61年)11月1日[2]
備考 富内線廃線に伴い廃駅[1]
(テンプレートを表示)
1977年の日高三岡駅と周囲約500m範囲。上側が日高町方面。上方写真外に三岡橋があり、集落は右手沙流川対岸にある。仮乗降場スタイルの鉄骨コンクリート製の簡易型で、ホーム上日高町側に開放型の待合所を有していた。周囲には一軒の民家と畑が見えるが、現在では道路以外全て原野に戻っている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

歴史

駅名の由来

地名より。小海線三岡駅と重区別するため旧国名の「日高」を冠した[6][7]

当初この辺りの南側を三菜頃(サンナコロ)、北側を岡春部(オカシュンベ)と言い、その二集落の間に所在したため其々の頭文字から三岡、(旧国名)の「日高」を冠した。なお、三菜頃は後に更に南側の岩内と統合し三岩になり、岡春部は富岡になった。

駅構造

廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の東側(日高町方面に向かって右手側)に存在した。転轍機を持たない棒線駅となっていた[7]

開業時からの無人駅で駅舎は無かったが、ホーム北側出入口附近にホームに屋根が掛けられた形の待合所を有していた[7]

駅周辺

山の中の駅であった[7]

駅跡

2011年(平成23年)時点では熊笹が生い茂る雑草地となっており、はっきりした位置の特定が難しい状況となっていた[9]

また、駅跡の日高町方の国道横にコンクリートで塞がれたトンネルの坑口、それに続いて擁壁落石防止用フェンスが残存していた[9]。このトンネルは1999年(平成11年)時点では塞がれておらず、「トンネル事故感知センサー」の実験に使われていた[10]

隣の駅

日本国有鉄道
富内線
日高岩内駅 - 日高三岡駅 - 日高町駅

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、866頁。ISBN (978-4-533-02980-6)。 
  2. ^ a b “日本国有鉄道公示第109号”. 官報. (1986年10月14日) 
  3. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、229頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  4. ^ 「日本国有鉄道公示第527号」『官報』、1964年10月31日。
  5. ^ 「通報 ●富内線振内・日高町間の開業について(営業局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1964年10月31日、6面。
  6. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、127頁。(ASIN) B000J9RBUY。 
  7. ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)108ページより。
  8. ^ a b 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)11ページより。
  9. ^ a b 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社2011年9月発行)92-94ページより。
  10. ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVII』(JTBパブリッシング2000年1月発行)66ページより。

関連項目

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