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日韓戦 (サッカー)

サッカーにおける日韓戦(にっかんせん)とは、サッカー日本代表(以下「日本」)およびサッカー大韓民国代表(以下「韓国」)の両代表の間で行われる国際試合のことである。東アジアダービーマッチであり、日本では「日韓戦」、韓国では「韓日戦朝鮮語: 한일전)」と呼称される。本項目では、特に断りがない限り男子のA代表チームについて記載する。

日韓戦 / 韓日戦
初開催 1954年3月7日
チーム 日本代表
韓国代表
総試合数 81試合
16勝23分42敗
最多勝利 韓国代表 (42勝)
直近の試合 日本代表 3-0 韓国代表
2022年7月27日

概要

日本サッカー協会 (JFA) と大韓サッカー協会 (KFA) はともにアジア地区を統括するアジアサッカー連盟 (AFC) に属し、同時に東アジアサッカー連盟 (EAFF) にも所属する。

両国は海を隔てた隣国で歴史的にも密接な関係を有するため、両国代表間の試合は他の試合に比べて特殊な雰囲気を持つとされる。そのため、しばしばその政治性が問題となることもあった。2010年から2014年まで日本代表監督を務めたアルベルト・ザッケローニは、日韓戦をイタリアとドイツの試合と同等のものであると発言している[1]

2022年7月27日までに81試合が行われ、戦績は日本の16勝、韓国の42勝、23引き分けであるが[2]1993年Jリーグ創設以降は9勝10敗10引き分けと、ほぼ互角となっている。なお、23引き分けの中には公式戦によりPK戦が行われたものが4度あり、日本が3勝、韓国が1勝となっている。

歴史

初の日韓戦

日本と韓国による初めての国際試合は、1954年3月7日および3月14日に日本の東京都明治神宮外苑競技場で行われた1954 FIFAワールドカップ・予選の第1戦である[注 1]。この予選は本来ホーム・アンド・アウェー方式で行われるはずであったが、大統領(当時)李承晩が日本代表の入国を拒否し、意向を受けて韓国での開催が不可能となったため、2試合とも日本での開催となった。

史上初の日韓戦となった第1戦は日本が前半16分に先制するが、韓国が前半に2点、後半に3点を決めて1-5で韓国が勝利した。長沼健が挙げた日本の得点が日韓戦の第1号ゴール(同時にFIFAワールドカップ地区予選における日本代表の第1号ゴール)となり、一方の韓国の日韓戦の第1号ゴールは(鄭南湜)(英語版)による前半21分の得点である。この試合で記録された失点は日本の対韓国戦最多失点であり、両チームを通じた最多失点となっている(2022年6月現在)。第2戦は点差に関わらず日本が勝てば第3戦へと進めたが、2-2で引き分けて韓国がアジア代表としてFIFAワールドカップに出場した。

定期戦の時代

1972年からは日韓定期戦が開始され、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で開催された第1回定期戦は2-2の引き分け。1991年の第15回まで行われ、日本の3勝、韓国の10勝、2引き分けとなっている。

その後は定期戦の開催は中断されており、2013年には大韓サッカー協会会長の鄭夢奎が記者団に対して、日本サッカー協会と2014年10〜11月ごろに親善試合を行うことで合意しその後毎年定期戦を行っていくことを明らかにしたと報じられたが、2014年10月6日に予定していた試合は、韓国代表の洪明甫監督の辞任により延期された[3]

日韓W杯開催前

1996年2002 FIFAワールドカップの共催が決定すると、サッカーを通じて日韓関係を好転させようとする機運が高まった[4]

1997年11月1日に行われた1998 FIFAワールドカップ・アジア予選グループB第9節で、ワールドカップ出場が危ぶまれていた日本はアウェイで既に出場を決めていた韓国と対戦し、2-0で勝利した。この試合の際、韓国のサポーター集団「レッドデビルズ[4] は日本に対して「Let's Go To France Together(フランスに一緒に行こう)」と書かれた横断幕を掲示し[5]、試合後には両サポーターによるエール交換が行われた[4]

なお、この「Together(一緒に)」という単語は、その後2002年のワールドカップ共催にあたって出版された両国の選手(中田英寿および洪明甫)の共同作業による著書[6][7] や、Voices of KOREA/JAPANによる同大会公式テーマソングのタイトルの中にも表れている。

通算戦績

  日本勝ち 引き分け   韓国勝ち
  日本
PK勝ち
90分
引き分け
  韓国
PK勝ち
16 23 42
3 19 1

開催地別成績

  日本 開催地   韓国
  日本 中立地   韓国
試合数 32 26 23 試合数
勝数 8 3 5 敗数
引分数 8 12 3 引分数
敗数 16 11 16 勝数

Jリーグ設立前後の変化

  日本勝ち 引き分け   韓国勝ち
  日本
PK勝ち
90分
引き分け
  韓国
PK勝ち
7
(勝率13%)
13 32
(勝率62%)
1 12 0

 

  日本勝ち 引き分け   韓国勝ち
  日本
PK勝ち
90分
引き分け
  韓国
PK勝ち
9
(勝率31%)
10 10

(勝率34%)

2 7 1

A代表対戦一覧

※下記のうち1968年AFCアジアカップ・予選および、1988年AFCアジアカップでの対戦は日本代表Bのため、1998年アジア競技大会U-21日本代表のため、"日本側は"国際Aマッチとしていない。
対戦日時   日本 結果   韓国 大会 会場
1 1954年3月7日 竹腰重丸 1 - 5 李裕灐 1954 FIFAワールドカップ・予選 明治神宮外苑競技場  日本
2 1954年3月14日 竹腰重丸 2 - 2 李裕灐
3 1956年6月3日 竹腰重丸 2 - 0 - メルボルンオリンピック アジア地区予選 後楽園競輪場  日本
4 1956年6月10日 竹腰重丸 0 - 2
延長
-
5 1959年9月5日 竹腰重丸 0 - 0 - ムルデカ大会1959 敗者復活戦 第3試会 ムルデカ・スタジアム  マラヤ連邦
6 1959年9月6日 竹腰重丸 1 - 3 - ムルデカ大会1959 プレーオフ
7 1959年12月13日 竹腰重丸 0 - 2 - ローマオリンピック アジア地区予選 後楽園競輪場、  日本
8 1959年12月20日 竹腰重丸 1 - 0 -
9 1960年11月6日 高橋英辰 1 - 2 - 1962 FIFAワールドカップ・アジア予選 ソウル  韓国
10 1961年6月11日 高橋英辰 0 - 2 - 後楽園競輪場、  日本
11 1962年8月30日 高橋英辰 0 - 1 - 第4回アジア競技大会 ジャカルタ  インドネシア
12 1963年8月13日 長沼健 1 - 1 - ムルデカ大会1963 グループステージ 第4戦 ムルデカ・スタジアム、  マラヤ連邦
13 1967年8月1日 長沼健(B) 2 - 1 - AFCアジアカップ1968予選 台北、  台湾台北市立競技場
14 1967年10月7日 長沼健 3 - 3 - メキシコシティオリンピック アジア地区予選 国立霞ヶ丘競技場陸上競技場  日本
15 1969年10月12日 長沼健 2 - 2 - 1970 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選 ソウル、  韓国
16 1969年10月17日 長沼健 0 - 2 -
17 1970年8月2日 岡野俊一郎 1 - 1 - ムルデカ大会1970 グループステージ 第2戦 ムルデカ・スタジアム、  マレーシア
18 1970年12月18日 岡野俊一郎 1 - 2
延長
- 第6回アジア競技大会 バンコク  タイ
19 1971年10月2日 岡野俊一郎 1 - 2 - ミュンヘンオリンピック アジア地区予選 ソウル、  韓国
20 1972年7月26日 長沼健 0 - 3 - ムルデカ大会1972 決勝トーナメント 準決勝 ムルデカ・スタジアム、  マレーシア
21 1972年9月14日 長沼健 2 - 2 - 第1回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
22 1973年6月23日 長沼健 0 - 2 - 第2回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
23 1974年9月28日 長沼健 4 - 1 - 第3回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
24 1975年8月9日 長沼健 1 - 3 - ムルデカ大会1975 グループステージ 第5戦 ムルデカ・スタジアム、  マレーシア
25 1975年9月8日 長沼健 0 - 3 - 第4回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
26 1976年3月21日 長沼健 0 - 2 - モントリオールオリンピック アジア地区予選 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
27 1976年3月27日 長沼健 2 - 2 - ソウル、  韓国
28 1976年8月18日 二宮寛 0 - 0 - ムルデカ大会1976 グループステージ 第5戦 ムルデカ・スタジアム、  マレーシア
29 1976年12月4日 二宮寛 1 - 2 - 第5回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
30 1977年3月26日 二宮寛 0 - 0 - 1978 FIFAワールドカップ・アジア・オセアニア予選 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
31 1977年4月3日 二宮寛 0 - 1 - ソウル、  韓国
32 1977年6月15日 二宮寛 1 - 2 - 第6回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
33 1978年7月19日 二宮寛 0 - 4 - ムルデカ大会1978 グループステージ 第1戦 ムルデカ・スタジアム、  マレーシア
34 1978年12月15日 二宮寛 1 - 3 - 第8回アジア競技大会 バンコク、  タイ
35 1979年3月4日 下村幸男 2 - 1 - 第7回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
36 1979年6月16日 下村幸男 1 - 4 - 第8回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
37 1980年3月22日 下村幸男 1 - 3 - モスクワオリンピック アジア地区予選 クアラルンプール  マレーシア
38 1981年3月8日 川淵三郎 0 - 1 - 第9回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
39 1981年6月21日 森孝慈 0 - 2 - 大韓民国大統領全斗煥)杯 釜山  韓国
40 1982年3月21日 森孝慈 0 - 3 - 第10回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
41 1982年11月25日 森孝慈 2 - 1 - 第9回アジア競技大会 ニューデリー  インド
42 1983年3月6日 森孝慈 1 - 1 - 第11回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
43 1984年9月30日 森孝慈 2 - 1 - 第12回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
44 1985年10月26日 森孝慈 1 - 2 - 1986 FIFAワールドカップ・アジア予選 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
45 1985年11月3日 森孝慈 0 - 1 - ソウル、  韓国
46 1988年10月26日 横山謙三 0 - 1 - 第13回 日韓定期戦 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
47 1988年12月6日 山口芳忠(B) 0 - 2 - AFCアジアカップ1988 ドーハ SC競技場  カタール
48 1989年5月5日 横山謙三 0 - 1 - 第14回 日韓定期戦 ソウル、  韓国
49 1990年7月27日 横山謙三 0 - 2 李会沢 ダイナスティカップ1990 北京  中国
50 1991年7月27日 横山謙三 0 - 1 - 第15回 日韓定期戦 長崎県立総合運動公園陸上競技場  日本
51 1992年8月22日 オフト 0 - 0 金皓 ダイナスティカップ1992 北京、  中国
52 1992年8月29日 オフト
(○)
2 - 2
[PK 4-2]

(●)
金皓
対戦日時   日本 結果   韓国 大会 会場
53 1993年10月25日 オフト 1 - 0 金皓 1994 FIFAワールドカップ・アジア予選 ドーハ  カタール
54 1994年10月11日 ファルカン 2 - 3 ブイショヴェツ 第12回アジア競技大会 広島スタジアム  日本
55 1995年2月21日 加茂周 1 - 1 ブイショヴェツ ダイナスティカップ1995 香港スタジアム  イギリス領香港
56 1995年2月26日 加茂周
(○)
2 - 2
[PK 5-3]

(●)
ブイショヴェツ
57 1997年5月21日 加茂周 1 - 1 車範根 国際親善試合 FIFAワールドカップ共催記念 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
58 1997年9月28日 加茂周 1 - 2 車範根 1998 FIFAワールドカップ・アジア予選 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
59 1997年11月1日 岡田武史 2 - 0 車範根 蚕室総合運動場  韓国
60 1998年3月1日 岡田武史 2 - 1 車範根 ダイナスティカップ1998 横浜国際総合競技場  日本
61 1998年4月1日 岡田武史 1 - 2 車範根 国際親善試合 FIFAワールドカップ共催記念 ソウル、  韓国
62 1998年12月7日 トルシエ(U-21) 0 - 2 許丁茂 第13回アジア競技大会 バンコク、  タイ
63 2000年4月26日 トルシエ 0 - 1 許丁茂 国際親善試合 ソウル、  韓国
64 2000年12月20日 トルシエ 1 - 1 許丁茂 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
65 2003年4月16日 ジーコ 1 - 0 コエリョ ソウル、  韓国
66 2003年5月31日 ジーコ 0 - 1 コエリョ 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
67 2003年6月3日 ジーコ (延期) コエリョ 東アジアサッカー選手権2003 横浜国際総合競技場、  日本
2003年12月10日 ジーコ 0 - 0 コエリョ
68 2005年8月7日 ジーコ 1 - 0 (ボンフレール)(英語版) 東アジアサッカー選手権2005 大邱ワールドカップ競技場  韓国
69 2007年7月28日 オシム
(●)
0 - 0
[PK 5-6]

(○)
ピム AFCアジアカップ2007 3位決定戦 パレンバン  インドネシア
70 2008年2月23日 岡田武史 1 - 1 許丁茂 東アジアサッカー選手権2008 重慶オリンピックスポーツセンター  中国
71 2010年2月14日 岡田武史 1 - 3 許丁茂 東アジアサッカー選手権2010 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
72 2010年5月24日 岡田武史 0 - 2 許丁茂 国際親善試合 キリンチャレンジカップ 埼玉スタジアム2002  日本
73 2010年10月12日 ザッケローニ 0 - 0 趙広来 国際親善試合 ソウルワールドカップ競技場  韓国
74 2011年1月25日 ザッケローニ
(○)
2 - 2
[PK 3-0]

(●)
趙広来 AFCアジアカップ2011 アル・ガラファ・スタジアム  カタール
75 2011年8月10日 ザッケローニ 3 - 0 趙広来 国際親善試合 キリンチャレンジカップ 札幌ドーム  日本
76 2013年7月28日 ザッケローニ 2 - 1 洪明甫 東アジアカップ2013 蚕室総合運動場、  韓国
77 2015年8月5日 ハリルホジッチ 1 - 1 シュティーリケ 東アジアカップ2015 武漢体育中心  中国
78 2017年12月16日 ハリルホジッチ 1 - 4 申台龍 EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017 味の素スタジアム  日本
79 2019年12月18日 森保一 0 - 1 パウロ・ベント EAFF E-1サッカー選手権2019 釜山アジアド主競技場  韓国
80 2021年3月25日 森保一 3 - 0 パウロ・ベント 国際親善試合 日産スタジアム、  日本
81 2022年7月27日 森保一 3 - 0 パウロ・ベント EAFF E-1サッカー選手権2022 豊田スタジアム、  日本

U-23代表対戦一覧

オリンピックアジア競技大会AFC U23アジアカップなどでの成績。

  U-23日本代表:6勝4分8敗
  U-23韓国代表:8勝4分6敗

# 対戦日時   日本 結果   韓国 大会など 会場
1 1992年1月27日 横山兼三[注 2] 0 - 1 クラマー バルセロナオリンピック アジア最終予選 クアラルンプール、  マレーシア
2 1995年1月14日 西野朗 0 - 1 ブイショヴェツ オーストラリア国際トーナメント グループ予選 シドニー・フットボール・スタジアム  オーストラリア
3 1996年3月27日 西野朗 1 - 2 ブイショヴェツ アトランタオリンピック アジア予選 決勝 シャー・アラム・スタジアム  マレーシア
4 1998年12月7日 トルシエ 0 - 2 許丁茂 第13回アジア競技大会 2次リーグ[注 3] バンコク、  タイ
5 1999年9月7日 トルシエ 4 - 1 許丁茂 親善試合 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
6 1999年9月27日 トルシエ 1 - 0 許丁茂 親善試合 蚕室総合運動場  韓国
7 2003年7月23日 山本昌邦 1 - 1 金鎬坤 キリンチャレンジカップ2003 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
8 2003年9月17日 山本昌邦 1 - 2 金鎬坤 親善試合 ソウル、  韓国
9 2004年2月21日 山本昌邦 2 - 0 金鎬坤 キリンチャレンジカップ2004 長居陸上競技場  日本
10 2004年7月21日 山本昌邦 0 - 0 金鎬坤 親善試合 ソウルワールドカップ競技場  韓国
11 2006年11月14日 反町康治 1 - 1 ピム 日中韓サッカーU-21代表交流戦 昌原スポーツパークメインスタジアム  韓国
12 2006年11月21日 反町康治 1 - 1 ピム 国立霞ヶ丘陸上競技場、  日本
13 2009年12月19日 西村昭宏 2 - 1 洪明甫 親善試合 昌原サッカーセンター  韓国
14 2012年8月10日 関塚隆 0 - 2 洪明甫 ロンドンオリンピック 3位決定戦 ミレニアム・スタジアム  ウェールズ
15 2014年9月28日 手倉森誠 0 - 1 (李光鍾) 第17回アジア競技大会 準々決勝[注 4] 仁川文鶴競技場  韓国
16 2016年1月30日 手倉森誠 3 - 2 申台龍 (AFC U-23選手権2016) 決勝 レフウィヤスタジアム  カタール
17 2018年9月1日 森保一 1 - 2 (金學範) 第18回アジア競技大会 決勝 (チビノン)、  インドネシア
18 2022年6月12日 大岩剛 3 - 0 (黃善洪) AFC U-23選手権2022 準々決勝 タシュケント  ウズベキスタン

脚注

注釈

  1. ^ 記録の上ではアジア予選となっているが、現在のようなアジアサッカー連盟 (AFC) に所属する国々が参加して行われる予選ではなく、日本と韓国による事実上の一騎討ちであった。
  2. ^ 監督は山口芳忠だが、横山が総監督として指揮をとった。
  3. ^ 韓国は他の参加国同様A代表だったが日本はU-21((U-23サッカー日本代表#アジア競技大会の成績)参照)。
  4. ^ 開催国の韓国がオーバーエージ3人を含むU-23だったのに対し、日本は全員がU-21だった(StartList | FB | Sports)。

出典

  1. ^ “ザック日韓戦「伊vs独と同等」/アジア杯”. スポーツナビ (2011年1月25日). 2011年8月9日閲覧。
  2. ^ “「2764日ぶりの歓喜」「3万人を沈黙させた」韓国メディアが日韓戦の快勝劇に沸く”. サッカーダイジェストweb (2017年12月17日). 2018年7月26日閲覧。
  3. ^ 10・6日韓戦は延期 韓国監督決まらず 日刊スポーツ 2014年7月23日
  4. ^ a b c “縮まる日韓の距離・若者に新しい芽”. 日本経済新聞 (1999年12月8日). 2017年9月15日閲覧。
  5. ^ “(8)仏W杯予選、友好・共存共栄の世紀へ”. 日本経済新聞 (2000年8月8日). 2017年9月15日閲覧。
  6. ^ 『中田英寿・洪明甫 TOGETHER ― 2002ワールドカップBook』講談社、2001年。(ISBN 978-4061793514)
  7. ^ 韓日サッカー対決、泥の上で始まった58年の歴史(2). 中央日報. 2012年8月10日.

関連項目

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