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日本のストリートファッションとは、日本におけるストリートファッションのことで、1990年代から2000年代初頭にかけてはその前衛的で独自なスタイルから世界的に注目された。ストリートファッションとは都市部などにおいて若者のあいだから生まれきたファッションのこと[1]。
日本のストリートファッションについては1997年に青木正一が創刊した日本のストリートファッション誌『(FRUiTS)』に2010年代半ばに休刊するまでに多くのストリートスナップが掲載されている[2][3][4]。2019年のGoogleの今年の検索のファッション分野において「原宿ファッション」が5位になるなど、まだ海外でも根強い人気を示している[5]。
歴史
1940年代
日本においては第二次世界大戦後に、アメリカ製の派手な原色の服を着たパンパンことストリートガールが誕生した[6]。当時のパンパンについては田村泰次郎の小説『肉体の門』に描写されている[6]。1946年には伊東茂平のスタイルブックなどの雑誌が発売され、(洋裁ブーム)の端緒を開いた[6]。1940年代後半には「戦後派」を意味するフランス語の「アプレゲール」から、アメリカを意識したファッションの若者たちを「(アプレ族)」と呼称し、アメリカンスタイルは一般の女性にも普及した[6]。
1950年代
1950年には男性ファッション誌『(男子専科)』が創刊される[7]。1951年にナイロンのストッキング、1952年に透明なビニールのレインコートが発売されるなど、新しい素材を使ったファッションが誕生し始める[7]。1953年にはラジオドラマの大ヒットをうけて公開された映画『君の名は』の影響から(真知子巻き)が流行、翌年には『ローマの休日』『麗しのサブリナ』が公開されオードリー・ヘプバーンのスタイルを真似たりするシネマファッションが流行した[7]。1955年には戦後のジャズブームの延長でマンボブームが起こる[7]。1956年には石原慎太郎の小説『太陽の季節』が芥川賞を受賞し、石原裕次郎の出演した映画『太陽の季節』や『狂った果実』が公開され、彼らのスタイルを真似た太陽族が生まれた[7]。1950年代後半になると初期のエルビス・プレスリーの音楽が代表的なロカビリーブームが起き、またジャズ喫茶、うたごえ喫茶などが流行した[7]。また革ジャンに白いマフラーでバイクに乗ったカミナリ族が生まれたのもこの頃である[7]。女性向けにはウエストの締め付けがない(サックドレス)が流行、洋裁で自分で作る時代から既製服の時代に移りつつあった[7]。
1960年代
1960年代は高度経済成長を迎え、戦後生まれのベビーブーム世代の若者たちがファッションの中心となっていった[8]。初頭には六本木から生まれた(六本木族)、1964年には銀座のみゆき通りから生まれたみゆき族など、特定の都市を中心としたファッションムーブメントが起こるようになる[8]。1964年の東京オリンピックを境にして街並みが様変わりし、原宿には自動車に乗った若者があふれるようになった((原宿族))[8]。1966年にはビートルズが来日、グループサウンズがブームとなり、スパイダースやタイガースなどが奇抜な衣裳で人気を呼んだ[8]。1960年にマリー・クワントが考案したミニスカートは世界的な流行をみせ、日本では1967年のツイッギーの来日をきっかけにブームとなり、当時の女性にとっては革命的ともいえる意識変革を促した[8]。1960年代後半には学生運動が盛り上がりをみせ、ジャンパー、ジーンズにヘルメットを着用してゲバ棒を持つスタイルが生まれた[8]。安保闘争の敗北などで挫折した者の一部はヒッピーとなった[8]。民族調やサイケデリック調などはヒッピー文化によるものである[8]。
1970年代
大阪万国博覧会で幕を開けた1970年。パンタロン、ホットパンツ、ミディ、マキシ、ジーンズなどボトムズに革命。重ね着ブーム(レイアード)。ヒッピームーブメントからのフォークロア。1970年『anan』創刊、1971年『non-no』創刊によるアンノン族。暴走族が社会問題化(ツッパリ)。ニュートラ(ニュー・トラディショナル)。1975年『JJ』創刊。1976年『POPEYE』創刊。アウトドアから(ヘビーデューティー)、(サーファールック)。映画『アメリカン・グラフィティ』から、(フィフティーズ)スタイル。1979年、竹の子族。ハマトラ(横浜系ニュートラ)。
1980年代
新人類。ニューウェーブ。田中康夫『なんとなく、クリスタル』。全身黒ずくめのカラス族。(ブランド志向)。DCブランド。(女子大生ブーム)。オールナイト・フジ。おニャン子クラブ。オリーブ少女。ぶりっ子。ボディコン。(渋カジ)。1980年代後半からバブル景気。インポート。
1990年代
(フレンチカジュアル)。バブル崩壊。(女子高生ブーム)。コギャル。リサイクル。(ストリートブランド)。
1998年、ユニクロのフリースブーム。(フェミ男)。アムラー、(シノラー)。
2000年代
2003年、東京のアンダーグラウンドクラブシーンに長く存在していた日本のヒップホップが、主流のファッション業界に影響を与えた[9]。音楽の人気は非常に影響力があったので、東京の若者は、特大の服を着る方法から日焼けした肌まで、お気に入りのヒップホップスターを模倣していく[10]。
(スコット・ヒューマン)のストリートスナップ『(ザ・サルトリアリスト)』が話題に[11]。
2010年代
現代日本のストリートファッション
何年にもわたってスタイルは変わっていったが、今日でも東京ではストリートファッションが目立っている。原宿(裏原宿)、 青山、銀座、お台場、新宿、渋谷などの大都市のファッション地区では、若い大人がサブカルチャーの服を着ていることが多い。
ロリータ・ファッション
ロリータ・ファッションは、その境界内に多くの異なるテーマを含み、日本のストリートファッションでより大きく、より認識しやすいスタイルの1つになり、世界中で支持を得ていく。スカートやドレスは通常、膝丈以下で着用し、ボリュームを出すためにペチコートを下に置きます。ブラウスやトップスは、ビクトリア朝またはロココ様式でレーストリムまたはフリルになっていく。靴下やストッキングの長さは、足首から太ももの高さまであり、レースをトッピングすることも可能。このファッションスタイルの着用者は、しばしばメリージェーンブーツを履く。ロリータファッションでよく知られているサブスタイルは次のとおり。
- ゴシックロリータ - 東欧とビクトリア朝のゴススタイルから大きな影響を受けた。多くの場合、暗い色と、スケルトン、コウモリ、クモ、およびティム・バートン映画のキャラクターなどの他の人気のあるゴシック「アイコン」などのモチーフで飾られたアクセサリーが特徴。ビクトリア朝の鉄の門や建築デザインもドレスプリントによく見られ、ボンネット、長方形の頭飾り、ブローチはゴシックロリータの人気アクセサリー。
- スイートロリータ(甘ロリ) - 最も子供のようなスタイルで、主に動物の赤ちゃん、おとぎ話のテーマ、そして無邪気で子供のような服装が特徴。もともとはビクトリア朝の子供服と日本で非常に普及しているカワイイ文化に触発。パステルカラーがよく使用されるが、ドレスやスカートの中には、暗い色や落ち着いた色が特徴的なものもある。大きなボウ(頭飾り)、かわいい財布、ぬいぐるみは、SweetLolitaの人気のアクセサリー。
- クラシックロリータ - このサブスタイルのテーマは、ロココ時代やビクトリア朝時代の歴史的なファッションによく似て、このルックで使用される色は通常控えめなため、このサブスタイルはより成熟した感じになる。花柄と無地が一般的ですが、より派手なプリントも前衛ではなく、小さなボウ(頭飾り)、ボンネット、長方形の頭飾り、髪のコサージュは、クラシックロリータの人気のアクセサリー。
- パンクロリータ - パンクとロリータの影響をミックスした実験的なスタイル。「ロリータのシルエット」のほとんどを維持しながら、それは時々分解されたり狂ったように見えることがある。
- コドナ、別名「ボーイスタイル」と「王子様コーデ」は、ビクトリア朝の男の子の服の影響を受けた、ロリータのより男性的な対応物。「プリンスパンツ」は、膝をカットした短いカプリスタイルのパンツで、通常は何らかのディテール(レースの縁取りの袖口など)が付いており、男性的なブラウス、シルクハット、ニーソックスなどと一緒に着用するのが一般的。 [12]
ギャル・ファッション
- コギャル
コギャルは、見た目は高校の制服をベースにしているが、スカートが短く、ルーズソックスを愛用していて、髪の毛やスカーフも染められていることが多い。kogalメンバーは時々自分自身をギャルと呼ぶ。このスタイルは1990年代に顕著にみかけたが、その後は衰退していく。
- ガングロ
日本のストリートファッションのスタイルは、1990年代初頭に日本の女の子の間で人気を博し、2000年代初頭にピークに達した。ガングロは、ギャルより大きなサブカルチャーに陥るファッション。Ganguroは通常、鮮やかな色の衣装、ミニスカート、絞り染めのサロンが含まれます。ganguroスタイルは、漂白された髪、深い日焼け、偽のまつげ、黒と白のアイライナー、ブレスレット、イヤリング、指輪、ネックレス、厚底靴で構成されていく。
ganguroを手本にしたスタイルとして、多くの人が安室奈美恵を参考にし、日焼けした肌と染めた髪で彼女が公に出演した直後、多くの日本人の女の子が彼女の例に沿い始めた。(ヤマンバとマンバ)も参照。
ヤンキー・ファッション
1990年代以降、このファッションは人気がなく、bōsōzoku的なbōsōzokuは、見た目は、アニメ、マンガ、映画など、日本のメディアのさまざまな形で描かれ、似顔絵でさえ描かれていく。典型的なbōsōzoku部材は労働者服のツナギまたはtokko-fuku(特攻服)を着用したものとドカジャンオーバーコートやアーミー服等と漢字で書かれたスローガンから成る姿を画一的に描かれている。これらは通常前を開いた状態で着用され、下にシャツはなく、包帯を巻いた胴体と、背の高いブーツの中に押し込まれただぶだぶのズボンを見せびらかしている。
デコラ・ファッション
デコラスタイル(「デコラティブ(装飾的な)」)は1990年代後半から2000年代初頭に始まり、国内外で大きな人気を博した。原宿風ときゃりーぱみゅぱみゅのミュージカルデビュー前のファッションシーンで目立つようになった。着用者は通常、装飾のためにその色彩に固執。例えばピンクデコラ、レッドデコラ、ダークデコラ、レインボーデコラなど。無地のシャツとパーカーは、短いチュチュのようなスカートと一緒によく着用されていた。髪の毛(前髪の長い低いポニーテールがよく着用される)とメイク自体は非常にプレーンになる傾向がある。しかし、デコラの最も重要な部分は、前髪でほとんど前が見えなくなるまで、かわいいアクセサリーを何層にも重ねることで、ストッキング、レッグウォーマー、アームウォーマー、ニーソックスもさまざまなレイヤーで重ね着されていく。一般的な詳細には、ヒョウ柄やパターン化された歯科用マスクもある。その後、このスタイルの人気は低下していったが、それでも世界中で大きな支持を得ていく。
ヴィジュアル系
ヴィジュアル系は、1980年代半ばに日本のミュージシャンによって作成されたスタイルで、西洋のグラムロックやグラム・メタルに似た印象的なメイク、珍しいヘアスタイル、華やかな衣装で構成されている。両性具有もこのスタイルの人気のある側面であるが、このスタイルで最も有名で影響力のあるアーティストには、X JAPAN、LUNA SEA、Versailles、the GazettE、MEJIBRAY、Royz、L'Arc en Ciel、An Cafe、MALICE MIZER、DIAURAなどがいる。
未整理
(おしゃれ系)、(アングラ系)、(古着コーデ)、(ドーリー系)、(フェアリー系)、森ガール、(ピープス女子)
和風ファッション
日本では洋服が普及しているにもかかわらず、日本のファッションは依然として伝統的な服の影響を受けており、結婚式や卒業式などのフォーマルな機会にのみ和服を着て、日常生活では洋服を着る。
普段着として着物を着る人が大幅に減っているが、それにもかかわらず、日本の若い世代は、典型的な下駄の代わりにモダンな靴やアクセサリーを身に着けて、着物と通常着用するかんざしも、モダンなスタイルをファッションに混ぜ合わせているのを見ることができる。デザイナーの三宅一生の「TANZEN」コレクションなど、着物をインスピレーションにした現代のデザイナーもいる。
ファッション業界と人気ブランド
日本のストリートファッションは、さまざまなスタイルやジャンルのミックスマッチで知られており、すべてのファッショングループに一貫してアピールできる単一の人気ブランドはないが、ファッションに敏感な人々によって生み出された膨大な需要は、日本のファッション業界を活気あふれるものに導く。三宅一生、山本耀司、コム・デ・ギャルソンは、日本のファッションの3つの基本ブランドとよく語られる。 1980年代初頭、モノクロームカラーと最先端のデザインを多用したことで、特に日本のファッション勢力として認められていく。
1950年代には、オニツカタイガー(現在はアシックスとして知られている)のようにストリートファッションに特化したブランドがいくつか生み出される。
日本はまた、外国の高級ブランドを大量に消費していることでも知られている。 2006年のデータによると、日本は全世界の高級品の41%を消費。 [13]バーバリーのブルーレーベルは、この分野で最も成功しているものの1つである。
国際的な影響
日本のストリートファッションは、アメリカの西海岸文化に影響を与えている。 [14]コム・デ・ギャルソンのようなハイエンドファッションブランドは、1980年代以降、特に他のブランドとの頻繁なクロスオーバーゲストデザインを通じて、グローバル業界で大きな役割を果たしてきた。 2008年、川久保玲は、ルイ・ヴィトン [15]およびにデザインを提供した。 [16]
(山中朋子)の作品は、2010年のロンドン・コレクションで注目された[17]
社会的動機
日本国内での個人的なファッションの選択や幅広いファッション運動との相互作用や関与を推進する社会的動機は複雑である。
第一に、日本の若者が利用できる比較的大量の可処分所得は重要で、日本の若者の多くが歴史的に他の国よりもはるかに長く両親と一緒に家に住む割合が高く、生活費を削減し、それによって衣類へのより多くの支出を可能にすることによって可能になったと主張している。 [18]
また、1960年代から1970年代にかけて、今日も続く強い若者文化の出現(特に原宿)は、新しいスタイル、ルックス、ファッションサブカルチャーの開発の多くを推進。 1980年代の景気循環の中で日本の「国民性」の重要な役割を果たした消費主義の台頭は、1990年代にこの経済的混乱が崩壊した後も、ファッションの購入に影響を与え続けていく。これらの要因により、一度に人気のあるスタイルの迅速な売上高と変動性がもたらされていった。 [19]
ファッション雑誌年表
- 1936年:『装苑』
- 1937年:『花椿』
- 1945年:『(平凡)』
- 1946年:『(私のきもの)』『(スタイルブック)』『それいゆ』
- 1947年:『ひまわり』
- 1948年:『美しい暮しの手帖』
- 1949年:『ドレスメーキング』
- 1952年:『明星』
- 1954年:『MEN'S CLUB』
- 1957年:『(服装)』
- 1960年:『ハイファッション』
- 1961年:『ミセス』
- 1964年:『平凡パンチ』
- 1968年:『Seventeen』
- 1970年:『an・an』
- 1971年:『non-no』
- 1975年:『JJ』
- 1976年:『POPEYE』
- 1977年:『クロワッサン』『MORE』
- 1978年:『(ギャルズライフ)』
- 1979年:『ホットドッグ・プレス』
- 1980年:『Popteen』『COSMOPOLITAN』『25ans』
- 1981年:『with』
- 1982年:『CanCam』『Olive』『marie claire』『Lemon』
- 1983年:『ViVi』『LEE』
- 1985年:『STREET』
- 1986年:『MEN'S NON-NO』『ピチレモン』
- 1988年:『hanako』
- 1989年:『CUTiE』
- 1991年:『SEDA』
- 1992年:『Oggi』
- 1993年:『Zipper』
- 1995年:『egg』『東京ストリートニュース!』『smart』『VERY』
- 1996年:『Cawaii!』『relax』
- 1997年:『(FRUiTS)』『nicola』『street Jack』
- 1999年:『men's egg』『ソトコト』
- 2000年:『mimi』『s-cawaii!』
- 2001年:『JILLE』『LEON』
- 2003年:『(ku:nel)』
- 2004年:『(TUNE)』『NIKITA』『(TOKYO GRAFFITI)』
- 2005年:『小悪魔ageha』『AneCan』
- 2013年:『(&Premium)』
参考文献(渡辺明日香『ストリートファッション論』「ファッション雑誌創刊年表」148-150頁。『ファッション イン ジャパン 1945-2020』「関連年表」358-363頁。『ストリートファッション 1980-2020』「年表」344-351頁。『ストリートファッション 1945-1995』「ファッション史年表」。)。
ファッション流行語
- 1947年、(ニュールック)
- 1955年の流行語「(M+W)」(Man+Woman)、ファッションのユニセックス化を指す。ショートカットやパンツスタイルが奇異なものでなくなる。
- アイビールック
- ファストファッション
- (ワークマン女子)
関連項目
出典
- ^ "ストリートファッション". 朝日新聞出版発行「知恵蔵」. コトバンクより2021年9月18日閲覧。
- ^ “『FRUiTS』創刊者・青木正一が語る原宿の歴史と未来「不協和音が街のファッションを変えようとしている」 『STREET』『FRUiTS』創刊者・青木正一”. 表参道&原宿のメディア - OMOHARAREAL (2019年4月2日). 2021年9月18日閲覧。
- ^ “世界のストリートでファッションを収集してきた青木正一がみる未来”. hey MAGAZINE. 2021年9月18日閲覧。
- ^ “Fruits: future-pop fashion”. (Dazed) (2016年1月12日). 2019年7月28日閲覧。
- ^ “Year in Search: 検索で振り返る 2019”. Google. 2022年5月25日閲覧。
- ^ a b c d アクロス編集室 1995, p. 16-33.
- ^ a b c d e f g h アクロス編集室 1995, p. 34-73.
- ^ a b c d e f g h アクロス編集室 1995, p. 76-129.
- ^ Takatsuki, Yo (2003年12月17日). “Japan grows its own hip-hop”. BBC News
- ^ Condry, Ian. Hip-hop Japan: Rap and the Paths of Cultural Globalization. Durham, NC: Duke University Press, 2006.
- ^ “ザ・サルトリアリストの東京滞在中ドキュメンタリーが公開に”. FASHIONSNAP.COM (2011年9月6日). 2021年9月18日閲覧。
- ^ “”. 2012年3月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月13日閲覧。
- ^ Japan External Trade Organization| Japan is the world's most concentrated source of revenue for luxury brands 2009-03-02 at the Wayback Machine.
- ^ http://liftmeupwardrobe.co.uk/2013/07/19/fashion-sensei/
- ^ http://www.style.com/stylefile/2008/08/rei-kawakubo-puts-her-stamp-on-louis-vuitton/
- ^ http://www.vogue.co.uk/news/2008/04/03/comme-des-garcons-for-handm
- ^ “Designer profile : Cabinet by Tomoko Yamanaka”. London Fashion Week (2011年9月21日). 2011年12月11日閲覧。[]
- ^ Letter from Tokyo: Shopping Rebellion – What the kids want
- ^ Godoy, Tiffany (December 2007). Vartanian, Ivan. ed. Style Deficit Disorder: Harajuku Street Fashion Tokyo. San Francisco: Chronicle Books LLC. ISBN (9780811857963) 2018年3月14日閲覧。
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参考文献
- アクロス編集室編『ストリートファッション 1945-1995 - 若者スタイルの50年史』PARCO出版、1995年4月10日。ISBN (4891944196)。
- 『ストリートファッション論 : 日本のファッションの可能性を考える』渡辺明日香著、産業能率大学出版部、2011年、ISBN (978-4382056480)
- 『新装改訂版 日本のファッション - 明治・大正・昭和・平成』(城一夫)/(渡辺明日香)/渡辺直樹著、青幻舎〈ビジュアル文庫〉、2014年、ISBN (978-4861524271)
- 『ファッション イン ジャパン 1945-2020 - 流行と社会』島根県立石見美術館/国立新美術館編著、青幻舎、2021年、ISBN (978-4861527814)
- 『ストリートファッション 1980-2020 - 定点観測40年の記録』アクロス編集室編、PARCO出版、2021年、ISBN (978-4865063677)
関連文献
外部リンク
- ファッション イン ジャパン 1945-2020―流行と社会
- 神戸コレクション
- 東京ガールズコレクション
- 東京fashion.com
- スタイルアリーナ
- ファッションプレス