» www.Giftbox.Az - Bir birindən gözəl hədiyyə satışı
ウィキペディアランダム
毎日カテゴリ
共有: WhatsappFacebookTwitterVK

宮田用水

宮田用水(みやたようすい)は、岐阜県各務原市愛知県犬山市の県境である木曽川犬山頭首工を取水源とする農業用水である。

宮田用水
延長 9.8 km
平均流量 -- m³/s
流域面積 -- km²
水源 愛知県犬山市
水源の標高 -- m
河口・合流先 木曽川一宮市
流域 愛知県
(テンプレートを表示)
大江用水の宮田西閘門
木曽川左岸用水路の変遷。

概要

濃尾用水羽島用水宮田用水木津用水)の一つである。宮田導水路ともいう。

宮田用水自体は丹羽郡扶桑町江南市に農業用水を供給する延長10kmに満たない用水に過ぎないが、末端部で接続する大江用水新般若用水奥村用水も宮田用水の一部として扱われており[1]、これらの用水網によって愛知県尾張地方北部~西部の広い範囲を網羅している。

2006年平成18年)、濃尾用水として疏水百選に選定される。

地理

犬山頭首工にて他の濃尾用水とともに取水する。岐阜県側には羽島用水、愛知県側には木津用水と宮田用水を併せた取水口がある。犬山市木津にて木津用水と分かれ、西進する。丹羽郡扶桑町から江南市草井町までは地下のパイプラインとなっている。この間の江南市中般若町で御囲堤をくぐる。ほぼ御囲堤に沿って西進し、江南市宮田町で大江用水・新般若用水を分流する。一宮市浅井町黒岩で木曽川の支流である南派川に合流する。

歴史

「御囲堤」の構築と用水の開削

後に宮田用水および接続する各用水が整備される地域は木曽川の犬山扇状地に該当し、江戸時代以前はこの地域を木曽川の支派川が分流・合流しながら流れた。1001年長保3年)に大江匡衡が整備した初期の大江用水(現在の大江用水の最下流部)などの例はあったものの、現在のような大規模な用水路を必要としなかった。

江戸幕府が開かれると徳川家康の命により、木曽川を利用した木曽ヒノキの輸送を確保と大阪の旧豊臣勢からの防衛を目的として、1608年慶長13年)に犬山から弥富に至る木曽川左岸に約47kmにわたる連続堤「御囲堤」が築かれる。御囲堤によって木曽川から濃尾平野に流れ込む派川は締め切られ、派川の流域であった地域では用水の確保が困難になることが予想された。

木曽川に取水口を築いて用水を確保することが考えられ、葉栗郡大野村(現在の一宮市浅井町大野)に「大野杁」、般若村(現在の江南市般若町)に「般若杁」が御囲堤と同じ1608年(慶長13年)に設置される[1][2]尾張藩直営の大江用水・般若用水によって一之枝川二之枝川三之枝川への導水が行われ[3]、郡奉行(=代官)より地位が高い水奉行という役職を設置すると共に、農民に「井組」と呼ばれる管理組織を作らせて実際に運用に当たらせた。

取水門の移動

木曽川からの取水は洪水による土砂の堆積が起きると水量が減るという難点に加え、地形的な川筋の変化がもたらす河底の侵食は取水の不安定さを招き、次第に大野杁・般若杁ともに使用できなくなる。上流側に位置する丹羽郡木津村(現在の犬山市木津)の「木津元杁」から般若用水への補給も試みられるが[2][3]、十分な水量の確保には至らなかった。なお、木津元杁からは合瀬川へと繋ぐ木津用水1650年慶安3年)、合瀬川から分岐して薬師川を経由して八田川へ繋ぐ新木津用水1664年(寛文4年)に建造されている[3]

1628年寛永5年)に葉栗郡宮田村(現在の江南市宮田町)と黒岩村(現在の一宮市浅井町黒岩)の境付近に「宮田杁」、1642年(寛永19年)に宮田杁の東側に「宮田東杁」を設けざるを得なくなった[2](この水門は、現在の宮田用水と南派川の合流地点である)。この2つの杁から般若用水・大江用水に接続する新般若用水1790年寛政2年)に整備され、ほぼ同時期に奥村用水も完成した[2]

宮田用水事件

近代に入ると、1924年大正13年)に大井ダムが完成すると共に木曽川に流れる水量が減少、これに対して用水を利用していた農民が慣行水利権を主張して、(発電用水利権)を主張した大同電力と争った。結局、1939年昭和14年)に今渡ダムを建設して用水の取水量を確保することで両者に和解が成立した。

近代化と「見えない用水路」

戦後に入って、1957年(昭和32年)に国営濃尾用水事業により宮田用水の大幅改良が開始。1967年(昭和42年)に犬山頭首工が完成し、宮田・木津・羽島の3用水を濃尾用水として共同で取水し、安定取水が実現した。だが、用水に工業汚水や生活汚水が大量に排出され水質が悪化、農作物にも悪影響が出始める。

そこで、1969年(昭和44年)から国営事業により日本初の「用水路のパイプライン化(地中化)」工事が始まり農業用水路の大部分を地下化、従来の用水路は排水路に転用することになった。この工事は1988年(昭和63年)に完成し、2006年平成18年)に濃尾用水として疏水百選に選ばれた。

流域の自治体

愛知県
犬山市丹羽郡扶桑町江南市一宮市

関連項目

外部リンク

宮田用水土地改良区

脚注

  1. ^ a b “濃尾用水【のうびようすい】”. 角川日本地名大辞典 オンライン版. 2022年12月21日閲覧。
  2. ^ a b c d 愛知県 (2018年11月7日). “川筋の変遷とその痕跡-愛知県の河川の歴史-”. 2022年12月16日閲覧。
  3. ^ a b c “新川 1.圏域及び河川の概要” (PDF). 愛知県河川整備計画流域委員会. 2023年4月24日閲覧。
ウィキペディア、ウィキ、本、library、論文、読んだ、ダウンロード、自由、無料ダウンロード、mp3、video、mp4、3gp、 jpg、jpeg、gif、png、画像、音楽、歌、映画、本、ゲーム、ゲーム。