概要
平安時代の昌泰年間(898年~901年)に僧侶・(昌住)が編纂したとされる。現存する漢和辞典としては最古のもの。
892年(寛平4年)に3巻本が完成したとされるが、原本や写本は伝わっていない。3巻本をもとに増補した、12巻本が昌泰年間に完成したとされ、写本が現存する。12巻本には約21,000字を収録。
また、和訓をつけた漢字だけを抜き出した抄録本も伝わっている。
長く忘れ去られた書物であったが、18世紀後半に村田春海によって再発見され[1][2]、1803年に刊行された(享和本)。しかしこれは抄録本であり、後により原本に近い天治元年(1124年)の写本が発見された(天治本)。古い和語を多く記しており、日本語の歴史研究上できわめて重要である。また、平安時代になると失われた上代特殊仮名遣のうちコの甲乙を区別していることでも知られる[3]。
構成
漢字を160の部首に分類し、巻頭に部首の一覧を付している。部首内の漢字は規則的に配列されてはおらず、同じ部首を持つ熟語では、二文字をひとつの項目として扱っている。読みを反切で示してから、字義を類義の漢字で説明するほか、万葉仮名で和訓を付けているものもある。天治本の場合、和訓の付いた字は3,000字以上ある。
本居宣長は『玉勝間』の中で「あつめたる人のつたなかりけむほど、序の文のいと拙きにてしるく」「其字ども多くは世にめなれず、いとあやし」(巻14)という酷評をしているが、著者は部首分けの上で部類立ての(字類)のようなものを構想していたとみられ、配列上の混乱は彼の独創性の裏返しであったと見られている[4]。
影印本
- 『天治本新撰字鏡 増訂版』 - 京都大学文学部国語学国文学研究室編、臨川書店
脚注
注釈
出典
参考文献
関連文献
外部リンク
- 『新撰字鏡』抄録本、狩谷棭齋自筆書入本、江戸時代、奈良女子大学奈良地域関連資料画像データベース