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文郎国

文郎国
Văn Lang

文郎国の推定領域(黄色)。
緑色は蜀泮の治めていた南疆国

文郎国(ぶんろうこく[3]、ヴァンランこく[4][5]ベトナム語Văn Lang / 文郞)は、半ば伝説とされるベトナム史上の国家。峯州(現在のフート省ヴィエットチー市[1]を都とした[6]。中心は現在のフート省付近と推定されている[注 2]。ベトナム史上初の国家とされており[5][6]前2879年建国という考えから、ベトナム人の間では「ベトナム5千年の歴史」という言い回しが存在する。

考古学的背景

現在のベトナム北部では、青銅器文化ドンソン文化)の繁栄[7]を経て、石器や青銅器が発掘されている(フングエン文化)(英語版)が興り、その中で文郎国が形成されていったと推定される[8]

鴻龐氏と雄王

文郎国は(鴻龐氏)(中国語版)(ホンバン[5][注 3]氏、Hồng Bàng Thị)という氏族が治めたとされ[9](雄王)(英語版)(フンヴォン[5]称号であり固有名ではない[1])と呼ばれる代々の支配者[4]によって統治されてきた[6]。伝説によれば、中国神話に見られる炎帝神農の3世孫である(帝明)(ベトナム語版)の子、禄続(Lộc Tục)が南方に封じられて(赤鬼国)(ベトナム語版)を治め(涇陽王)、涇陽王と洞庭君の娘の間に崇纜(スンラム、貉龍君、雒龍君、駱龍君とも)を生んだ[10][11][12]。貉龍君(ラク・ロン・クァン)と天仙の女子・(嫗姫)(英語版)の間に百越の元となる100人の子が(伝説では卵から)生まれ、その中の長男である支艮が雄王の名を受けた((雄麟王)(英語版)[6][11][13]。初代雄王は現在のベトナム人の間では建国者としての扱いを受けている[6]

歴代雄王

 
(雄王陵)(英語版)(ベトチ市)

18代の雄王が文郎国を治めた[14](グエン・カック・トゥアン)(ベトナム語版)の『Thế thứ các triều vua Việt Nam[注 4]では、雄王18代は涇陽王を初代と数えた下記とされている[15]。なお『ベトナム史略』では、涇陽王から数えると20人の雄王がいたとしている[9]

各雄王の在位期間は伝承上のもので、日本の初期の天皇と同様に長すぎて非現実的なものが多く、考古学的に信憑性のあるものではない。

  1. 涇陽王 (Kinh Dương Vương):紀元前2879年 - 紀元前2794年
  2. 雄賢王(Hùng Hiền vương貉龍君):紀元前2794年 - 紀元前2525年
  3. (雄麟王)(英語版)Hùng Lân vương):紀元前2524年 - 紀元前2253年
  4. (雄曄王)(英語版)Hùng Diệp vương):紀元前2252年 - 紀元前1913年
  5. (雄犧王)(英語版)Hùng Hi vương):紀元前1912年 - 紀元前1713年
  6. (雄暉王)(英語版)Hùng Huy vương):紀元前1712年 - 紀元前1632年
  7. (雄昭王)(ベトナム語版)Hùng Chiêu vương):紀元前1631年 - 紀元前1432年
  8. 雄暐王(Hùng Vĩ vương):紀元前1431年 - 紀元前1332年
  9. 雄定王(Hùng Định vương):紀元前1331年 - 紀元前1252年
  10. 雄曦王(Hùng Hi vương):紀元前1251年 - 紀元前1162年
  11. 雄楨王(Hùng Trinh vương):紀元前1161年 - 紀元前1055年
  12. 雄武王(Hùng Vũ vương):紀元前1054年 - 紀元前969年
  13. 雄越王(Hùng Việt vương):紀元前968年 - 紀元前854年
  14. 雄英王(Hùng Anh vương):紀元前853年 - 紀元前755年
  15. 雄朝王(Hùng Triêu vương):紀元前754年 - 紀元前661年
  16. 雄造王(Hùng Tạo vương):紀元前660年 - 紀元前569年
  17. (雄毅王)(ベトナム語版)Hùng Nghị vương):紀元前568年 - 紀元前409年
  18. (雄璿王)(英語版)Hùng Duệ vương):紀元前408年 - 紀元前258年

領土

文郎国は交阯朱䳒(武寧)(ベトナム語版)・福禄・越裳寧海・陽泉・(陸海)(ベトナム語版)(武定)(中国語版)(懐驩)(中国語版)九真・平文・(新興)(中国語版)(九徳)(中国語版)文郎の15の部[1][14]に分かれていたとされる[9]。諸説あるが、『(嶺南摭怪)(中国語版)』では東は南海、西は(巴蜀)(中国語版)、北は洞庭湖、南は(猢猻精国)(ベトナム語版)まで広がっていたという[11]。『ベトナム史略』では南は現在のクアンチ省から北はカオバン省まで広がっていたとしている[9]

滅亡

雄璿王の治世の前258年、文郎国は西甌(タイオウ)[注 5]蜀泮によって滅ぼされた[16][17]。文郎国併合後に蜀泮は安陽王を称し、国号を甌雒[注 6]とした[16][17]

参考文献

  • チャン・チョン・キム(ベトナム語)『ベトナム史略(ベトナム教育訓練省)(英語版)出版学寮センター。 
  • (小倉貞男)『物語ヴェトナムの歴史 一億人国家のダイナミズム』〈中公新書〉1996年。ISBN (4-12-101372-7)。 
  • 新田栄治 著「先史時代」、石井米雄; 桜井由躬雄 編『東南アジア史 I 大陸部』山川出版社〈新版 世界各国史 5〉、1999年12月20日。ISBN (978-4634413504)。 
  • (桐山昇); 栗原浩英; 根本敬 編『東南アジアの歴史―人・物・文化の交流史』有斐閣〈世界に出会う各国=地域史〉、2003年9月30日。ISBN (978-4641121928)。 
  • レイ・タン・コイ 著、石澤良昭 訳『東南アジア史』(増補新版)白水社文庫クセジュ〉、2000年4月30日。ISBN (978-4560058268)。 
  • 桃木至朗『歴史世界としての東南アジア』山川出版社〈世界史リブレット12〉、1996年12月25日。ISBN (978-4-63-434120-3)。 
  • グエン・カック・トゥアン(ベトナム語)『Thế thứ các triều vua Việt Nam(教育出版社)(ベトナム語版)、2008年。 

※日本語文献でベトナム語の綴り・漢字表記が示されていないものは、主筆者の一人であるTonbi koが中国語版Wikipedia及びベトナム語版Wikipediaを参考に補った。

出典

  1. ^ a b c d e 大越史記全書』外紀巻之一 鴻厖氏紀 雄王
  2. ^ a b キム, p. 245, 付属歴史年表
  3. ^ a b 栗原 2003, p. 47
  4. ^ a b 新田 1999, p. 37
  5. ^ a b c d コイ 2000, p. 18
  6. ^ a b c d e 小倉, pp. 14–16
  7. ^ 桃木, pp. 11–12
  8. ^ 小倉, pp. 28–29
  9. ^ a b c d キム, pp. 8–10
  10. ^ Vu, Hong Lien『Rice and Baguette: A History of Food in Vietnam』(Reaktion Books)(英語版)、2016年10月15日、49頁。ISBN (1780236573)https://books.google.co.jp/books?id=UJGEDQAAQBAJ&pg=PT49&redir_esc=y#v=onepage&q&f=false 
  11. ^ a b c 『嶺南摭怪』巻之一 鴻龐氏伝
  12. ^ 『大越史記全書』外紀巻之一 鴻厖氏紀 涇陽王
  13. ^ 『大越史記全書』外紀巻之一 鴻厖氏紀 貉龍君
  14. ^ a b (越史略)(中国語版)』巻上 国初沿革
  15. ^ トゥアン, pp. 14–15
  16. ^ a b 『大越史記全書』外紀巻之一 蜀紀 安陽王
  17. ^ a b 小倉, p. 21

注釈

  1. ^ 西暦と農暦によりずれがある。『ベトナム史略』の本文では、紀元前258年の前年である癸卯の年に滅んだとされ、小倉 1996では紀元前258年、新田 1999では紀元前257年に滅亡としている。
  2. ^ 小倉 1996では「ヴィンフー省のフングエン、ドンダウ、ゴムンの遺跡から(中略)雄王はこのヴィンフー省でヴェトナムの建国を行ったと推測されている」としている。(ヴィンフー省)(中国語版)は1996年11月26日にヴィンフック省とフート省に分割された。フングエン文化は現在のフート省ラムタオ県(キンケー社)(ベトナム語版)に、(ドンダウ文化)(英語版)はヴィンフック省イエンラック県(イエンラック市鎮)(ベトナム語版)(ゴムン文化)(英語版)は現在のフート省ラムタオ県(トゥーサー社)(ベトナム語版)にあたる。
  3. ^ 『大越史記全書』、小倉 1996およびコイ 2000ではホンバンに「鴻厖」の字を当てている。
  4. ^ 『越南各王世庶』の意か。
  5. ^ タイー族の伝承によると、西甌はこの頃南崗国となっていたともされる。
  6. ^ 小倉 1996では「甌貉」としている。
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