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文化のみち二葉館

文化のみち二葉館(ぶんかのみちふたばかん)は、愛知県名古屋市東区にある展示施設。

文化のみち二葉館
Cultural Path Futaba Museum
文化のみち二葉館
2022年令和4年)6月)
情報
用途 博物館
設計者 あめりか屋[1]
施工 あめりか屋[1]
建築主 福沢桃介
管理運営 アクティオ株式会社(指定管理者[2]
構造形式 木造一部鉄筋コンクリート造、瓦葺[3]
敷地面積 2,487.64 m² [2]
※主屋のみ
建築面積 372.52 m² [3]
※主屋のみ
延床面積 498.72 m² [3]
※主屋のみ
階数 2階[2]
開館開所 2005年平成17年)2月8日[2]
所在地 461-0014
愛知県名古屋市東区橦木町3丁目23番地
座標 北緯35度10分49.4秒 東経136度55分7.2秒 / 北緯35.180389度 東経136.918667度 / 35.180389; 136.918667座標: 北緯35度10分49.4秒 東経136度55分7.2秒 / 北緯35.180389度 東経136.918667度 / 35.180389; 136.918667
文化財 国の登録有形文化財
指定・登録等日 2005年2月9日
備考 新設された書庫棟および附属施設を含まず。
(テンプレートを表示)

1階では、大広間のステンドグラスや川上貞奴の生涯を紹介するパネルとあわせて、主に女優として活躍していた頃の資料、愛用の品など生活の様子を展示している。

2階では、郷土ゆかりの文芸資料室として、近代文学の祖こと、坪内逍遙をはじめ、城山三郎(直木賞)、小谷剛(芥川賞)、江夏美好(田村俊子賞)、春日井建(迢空賞)など名古屋を中心とする郷土ゆかりの文学者および文芸作品を、資料やパネルで紹介。年に4回、特別企画展を開催している。

概要

「電力王」と呼ばれた実業家福澤桃介と日本の女優第1号である川上貞奴が、1920年大正9年)から1926年(大正15年)までの6年間を共に暮らした旧邸宅である。

桃介が貞奴と居住するために住宅専門会社「あめりか屋」に依頼し建設されたもので、当時あった場所が東二葉町(現・白壁三丁目)であったことや、和洋折衷建築の斬新な外観やその豪華さから「二葉御殿」と呼ばれていた。

しかし、桃介が隠居のため東京へ戻ると貞奴も拠点を東京に移し、しばらくの間は東京と名古屋を行き来する生活を送っていたが、1937年昭和12年)には貞奴によって敷地や建物が東西に分割処分された。このうち建物の東半部は取り壊されたが、西半部は大同製鋼(現・大同特殊鋼)の取締役であった川崎舎恒三に売却され増改築がなされた。

その後、大同特殊鋼の所有となり「大同特殊鋼二葉荘」として使用されていたが、2000年平成12年)2月に株式会社大同ライフサービスから寄付を受けた名古屋市が現在地へ移築復元し、2005年(平成17年)2月8日文化のみちの拠点施設「文化のみち二葉館」として開館した。館内には川上貞奴に関する資料や坪内逍遥城山三郎小谷剛など郷土ゆかりの文学資料が展示されている。また、開館翌日の2月9日には主屋と蔵が国の登録有形文化財に登録された[4][5]

利用案内

  • 開館時間:10:00 - 17:00
  • 休館日:毎週月曜日(祝日の場合はその翌日)、年末年始
  • 入館料:200円、中学生以下無料

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b “旧川上貞奴邸のうつりかわり”. 文化のみち二葉館. 2015年2月7日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h “文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)”. 名古屋市. 2015年2月7日閲覧。
  3. ^ a b c “旧川上貞奴邸 復元工事”. 伝統技法研究会. 2015年2月7日閲覧。
  4. ^ 国指定文化財等データベース(旧川上貞奴邸主屋)
  5. ^ 国指定文化財等データベース(旧川上貞奴邸蔵)
[脚注の使い方]

関連項目

外部リンク

  • 文化のみち二葉館
  • 文化のみち二葉館(旧川上貞奴邸)(名古屋市HP)
  • あいち文化財ナビ
  • 愛知の公式観光ガイド AICHI NOW 文化のみち二葉館
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