教行寺(きょうぎょうじ)は、兵庫県西宮市名塩一丁目にある浄土真宗本願寺派の寺院[1]。名塩御坊(なじおごぼう)とも称する[1][2]。
歴史
文明7年(1475年)に蓮如によって創建されたとされる[1]。
蓮如は文明7年(1475年)に吉崎御坊を離れ、しばらく摂津国川辺郡広根(現在の兵庫県猪名川町広根)の最徳寺[3]にとどまって地域に教えを広めていた[1]。このとき、有馬郡名塩の村民に請われて名塩を訪れ、村内の中山に草堂を立てて念仏の道場とした[1][2]。蓮如が村民に残した「形見のお名号」は寺宝として伝えられている[1]。その後、文明8年(1476年)に蓮如は摂津国嶋上郡富田(高槻市)に教行寺(富田教行寺)を創建、のちに八男蓮芸をその住持とした[1]。
名塩村民は、草堂を仏閣として住持を迎え、常に法要を聴受したいと蓮如に願い出た[2]。山間の村であるために寺の維持が難しいことが案じられたが、村人は全村を挙げて檀家となり寺を支えることを約束したという[2]。こうした熱心な働きかけに応えて、蓮如は名塩道場を改めて名塩教行寺とし、蓮芸に住持を兼任させた[1]。のちに蓮芸は富田教行寺を長男の(実誓)に委ねて名塩教行寺に移った[1]。蓮芸は名塩で没し、次男の(賢勝)が第二世となった[1]。名塩は寺内町[4]として発展することとなった((塩瀬村 (兵庫県)#名塩)参照)。
元和3年(1617年)に現在地に寺地を移す[1]。一時「広教寺」に名を改めたが[1]、富田教行寺が教如(東本願寺)に属したため、寛永11年(1634年)に准如(西本願寺)は第四世准超に命じ、寺号を教行寺に戻させた[1]。現在の本堂は宝暦11年(1761年)、第七世湛然の時代に建立された[1]。
住持
備考
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac “名塩御坊教行寺の歴史”. 教行寺. 2019年11月23日閲覧。
- ^ a b c d e f “塩瀬”. 環境学習都市・にしのみやエココミュニティ情報掲示板. 西宮市. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “第15話 広根の繁栄”. 猪名川町. 2019年11月23日閲覧。
- ^ “寺内町”. 世界大百科事典内の寺内町の言及(コトバンク所収). 2019年11月23日閲覧。
- ^ “【百六十四】長州下向 その一 建立されたばかりの興正寺の兼帯所、清光寺へも”. 興正寺. 2019年11月23日閲覧。
- ^ a b “中山摂観”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(コトバンク所収). 2019年11月23日閲覧。
- ^ a b “上中啓三アドレナリン実験ノート”. 事典 日本の地域遺産(コトバンク所収). 2019年11月23日閲覧。
外部リンク
- 名塩御坊 教行寺
- 西宮市北部にある蓮如上人創建の寺 名塩御坊教行寺のブログ