扇町屋(おうぎまちや)は、埼玉県入間市の地名。旧入間郡扇町屋村[4]。現行行政地名は扇町屋一丁目から扇町屋五丁目および大字扇町屋。郵便番号は358-0022[2]。単に町屋とも呼ばれる。
地理
入間市の北部に位置し、南部を小谷田、東部を(扇台)、西部は霞川を挟んで(高倉)、北部を入間市役所のある豊岡町と接する。南東の(入間向原団地)にあたる部分が飛地になっている。またゴルフ場・武蔵カントリークラブ豊岡コース内にも飛地がある。旧扇町屋宿、扇町屋村についても「扇町屋」と呼ばれるため、扇台や豊岡町も含めて扇町屋と呼ばれることもある。
霞川東岸の低地にあたり、北に隣接する豊岡地区に繋がる商業・住宅地区として利用されている。霞川を挟んだ西側の高倉とは国道16号の(和田橋)をはじめ、複数の橋で繋がっている。
河川
歴史
古くは(金子郷)[6]、(山口領)に属し[7]、鎌倉時代には旧鎌倉街道のひとつ(狭山路)が通っていた[8]。また室町時代には大火があり、この時から愛宕神社に火産霊命、別雷命を合祀して愛宕権現と呼ばれるようになった。
江戸時代初期の正保年間には石高70石の小村だったが、青梅から川越に至る街道と八王子から日光へ向かう街道の交点にあたり伝馬が整備され、宿場が発達した。江戸時代の扇町屋宿は長さ6町ほど、道幅8間余り、戸数90軒、三と八のつく日に穀物などを売る市が立ったと言われる[4]。米穀商が多く、八王子千人同心の日光行では往還の際に利用されていた[9][10]。また大山阿夫利神社への大山詣でに使われた(八王子通り大山道)(熊谷 - 丹沢・大山)の宿場町でもあった[11]。正保期には旗本・(朝比奈源六郎)領と愛宕社領の入会地が混在したが、1843年(天保14年)に天保の改革の一環で上知令により朝比奈領は上地(天領)となり、上知令を含む天保の改革自体が頓挫した後は田安徳川家の領地となった[4]。この時代の地名に上、中、下、大水久保、山王塚、古塚、金堀澤、神名久保、本宿が挙げられる[4]。また東南方7、8町離れた場所に扇町屋新田と呼ばれる新田があり、本村の持添であった。元禄6年(1693年)に本村の検地が(近山与左衛門)・(瀧野十右衛門)により、宝暦8年(1758年)に新田の検地が伊奈半左衛門によって行われた[4]。
明治時代に入ると1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に伴い、扇町屋村は(黒須村)、(高倉村)、(善蔵新田)の3ヶ村と合併して豊岡町となった[7]。この時代にも1877年頃創立された(大山敬慎講)の定宿となっていた[11]。1901年(明治34年)から1917年(大正6年)までは入間川町と青梅町とを結ぶ中武馬車鉄道が引かれ、本社が扇町屋に置かれた。1956年に豊岡町、金子村、宮寺村、藤沢村、西武町の一部(旧東金子村)の合併によって大字扇町屋は新設された武蔵町に所属した。1966年に武蔵町は入間市に移行して入間市扇町屋となった。1982年8月1日に一部の地域が(高倉)の一部と併せ(扇台)に、翌1983年11月16日にも一部の地域が(善蔵新田)・(東町)と併せ(久保稲荷)となった。また、1984年4月1日にも一部の地域が(黒須)・河原町及び1983年4月1日に狭山市から編入された入間川を併せ向陽台となった[12]。
地名の由来
愛宕神社の神体が五本骨の扇であることからこの名がつけられたといわれる[4]。
沿革
史跡
- 扇町屋上町の道標(市指定文化財)- 扇町屋下町の道祖神道標は現在の豊岡地区に属する[13]。
世帯数と人口
小・中学校の学区
行事
交通
鉄道
鉄道は地内を通っていない。西武池袋線入間市駅が最寄り駅にあたる。
バス
- 停留所
- 扇町屋
- 武蔵団地入口 -入間市駅方面のみ扇町屋に設置されている。
- 扇町屋二丁目
道路
- 国道16号
- 埼玉県道63号青梅入間線
- 町屋通り
- 会館通り
- 花みずき通り(一部)
施設
- 入間扇町屋郵便局
- 入間市立豊岡保育所
- 入間市立扇小学校
- 扇町屋公民館
- 埼玉県営入間霞川団地
- 埼玉県営入間向原団地
- 入間市営住宅霞台団地
- 狭山警察署豊岡交番
- まちや広場(公園) - 扇町屋公民館隣接地に立地
- 入間扇町屋「老人憩いの家」
- 武蔵カントリークラブ豊岡コース
- 丸大観光 - 貸切バス
- 長泉寺 - 曹洞宗の仏教寺院。江戸時代初期の建立。山号は光福山。(大袋村)(現:川越市大袋)東陽寺の末山にあたる[4]。
- 医療法人社団 白報会 入間東幸楽園[1] - 介護就き有料老人ホーム
※ 都市再生機構扇町屋団地は入間市久保稲荷に存在し、扇町屋地区にはない。
かつて存在した施設
脚注
- ^ a b “入間市の人口統計資料”. 入間市 (2017年10月3日). 2017年10月10日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年10月10日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年5月29日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『新編武蔵風土記稿巻之百五十九』、「大日本地誌大系(八)新編武蔵風土記稿 第八巻」雄山閣、1957年9月再版所収。
- ^ 霞川圏域河川整備計画の概要 河川整備の目標[](PDF)東京都建設局、2009-06-07閲覧。
- ^ 吉田東伍『増補大日本地名辞書 第六巻 坂東』冨山房、1970年6月増補(1903年10月初版)p441。
- ^ a b c 『埼玉大百科事典 第1巻』埼玉新聞社、1974年3月、p240
- ^ 埼玉県立歴史資料館編『埼玉県歴史の道調査報告書 県内鎌倉街道伝承地所在確認調査報告書』埼玉県教育委員会、1982年3月、第7図「カ」(p.17)
- ^ 大橋方長『武蔵演路 五』(『新編埼玉県史 資料編10』1979年12月、埼玉県、p628所収)
- ^ 埼玉県立博物館編著『埼玉・歴史の道50話』埼玉新聞社、2005年5月、pp98-100
- ^ a b 宮田登・宮本袈裟雄編『山岳宗教研究叢書8 日光山と関東の修験道』名著出版、1979年7月、p445。
- ^ 『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』角川書店、1988年7月増補。
- ^ http://www.city.iruma.saitama.jp/dbps_data/_material_/localhost/100kikaku/300kikaku/tokei/tokeisyo19/PDF/kyouikubunka9-20.21.pdf[] (PDF),入間市役所生涯学習課,2009-06-01閲覧。
- ^ “学校・通学区等(通学区域)”. 入間市 (2017年3月3日). 2017年10月10日閲覧。
- ^ 学生参加による〈入間〉活性化プロジェクト-平成16年度文部科学省現代的教育ニーズ支援プログラム採択- ,駿河台大学地域ネットワーク推進支援室,2009-06-01閲覧。