歴史
町名の由来
大正天皇の名古屋行幸の際に、同地を通ったことを記念した命名であるという[4]。
沿革
- 1911年(明治44年)1月 - 福寿火災生命保険株式会社が設立される[5]。
- 1912年(大正元年)
- 1929年(昭和4年)6月1日 - (本町)および玉屋町により、御幸本町通1~9丁目として成立[1]。
- 1936年(昭和11年)1月24日 - 2丁目に大日本野球連盟名古屋協会が設置される[8]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区御幸本町通となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区御幸本町通となる[1]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、1~4丁目が丸の内二丁目および丸の内三丁目、4〜8丁目が錦二丁目および錦三丁目、9丁目が栄二丁目・同三丁目および錦二丁目にそれぞれ編入され消滅[1]。
施設
- 豊国火災保険名古屋支店
1丁目
- 東海銀行茶屋町支店
脚注
- ^ a b c d e f 福岡清彦 1976, p. 26.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 1307.
- ^ 名古屋市会事務局 1961, p. 368.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 195.
- ^ 名古屋市会事務局 1963, p. 184.
- ^ 名古屋市会事務局 1966, p. 48.
- ^ a b c 株式会社東海銀行行史編纂委員 1961, p. 53.
参考文献
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻 総合名古屋市年表(明治編)』名古屋市会事務局、1961年12月25日。(全国書誌番号):(49011381)。
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第2 総合名古屋市年表(大正編)』名古屋市会事務局、1963年3月10日。(全国書誌番号):(49011382)。
- 名古屋市会事務局 編『名古屋市会史 別巻第4 総合名古屋市年表(昭和編2)』名古屋市会事務局、1966年3月25日。(全国書誌番号):(49011384)。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN (4-04-001230-5)。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
- 株式会社東海銀行行史編纂委員 編『東海銀行史』東海銀行、1961年10月1日。