地理
市川市北部に位置する、江戸川に沿った地域である。市川駅前・市川真間駅に至る通りは商業地、その他は主に住宅地となっており、地域の中央に国道14号(千葉街道)、北部に京成電鉄本線、南部にJR総武線が通る。市川の北に隣接する真間には真間川が流れる。
北は真間・国府台、東は新田、西は江戸川を挟んで東京都江戸川区北小岩、南は市川南、と接している。
地価
駅北口前の地価は、2019年(平成31年)1月1日に公表された基準地価によれば、市川1丁目7番地15号の地点で91万円/m2となっている。[4]
歴史
旧市川町の中心部に当たり、慶長年間には番所が置かれ、江戸川の官渡しの場となっていた。現在はJR総武線市川駅周辺を中心に市街地を形成しているが、かつては市川字上出口(現在の市川二丁目・三丁目の総武線と京成線に囲まれた江戸川沿いの地域)が町の中心地で、1930年代まで市川町役場が置かれた。また、二・三丁目にかけては、大正年間に松の自然林を生かした邸宅街として開発された[5]。
地名の由来
由来ははっきりしていないが、有力説として、地域の西を流れる江戸川(太日川)が当時東国一の川であったことから一の川が訛ったとする説、江戸川の河岸に定期的に川舟が集まり、市が開かれていたことに由来するという説がある。
沿革
- 1869年(明治2年) 葛飾県葛飾郡市川村となる。
- 1871年(明治4年) 廃藩置県、県の統合により印旛県葛飾郡市川村となる。
- 1873年(明治6年) 県の統合及び、郡の分割により千葉県東葛飾郡市川村となる。
- 1889年(明治22年) 東葛飾郡国府台村、真間村、市川新田、平田村と合併し、東葛飾郡市川町大字市川となる。
- 1934年(昭和9年)11月3日 八幡町、中山町、国分村と合併、市制施行。市川市大字市川となる。
- 1951年(昭和26年)12月1日 市内の大字を町に変更。それに伴い、市川より市川市市川町一丁目 - 五丁目、市川・真間より市川市根本町を新設。
- 1965年(昭和40年)7月1日 住居表示施行。市川町一丁目 - 五丁目、真間町二丁目、新田町三丁目、根本町の各一部を新町域として丁目を再編し、市川市市川一丁目 - 四丁目を新設。
- 1970年(昭和45年)9月8日 市川二丁目の総武線ガードに衝突したタンクローリーからフッ化水素が漏出。現場に出動した消防士、地域住民など60人以上が火傷による負傷[6]。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(各町名ともその一部) |
---|---|---|
市川一丁目 | 1965年7月1日 | 市川町 |
市川二丁目 | ||
市川三丁目 | ||
市川四丁目 | 市川町、根本町 |
小字
ここでは、現在の市川一丁目 - 四丁目に存在した小字を現在の町丁順に北から列挙する。
市川一丁目
- 大字市川
- 大門向(南部のみ)
- 砂河原(南部のみ)
- 八幡前
- 下出口(北東の一部のみ)
- 柳下
- 圦下(北部の一部のみ・市川駅所在地)
- 宮田(北部の一部のみ)
- 大字真間
- 大門(南部のみ)
- 大字市川新田
- 市川境(西部のみ)
市川二丁目
- 大字市川
- 寒室出口(南部の一部のみ)
- 第六天前(北西部のみ)
- 上出口(南部のみ)
- 下出口(南東の一部を除く)
- 大字真間
- 大門(西部の一部のみ)
- 寒室(南部の一部のみ。飛地)
市川三丁目
- 大字市川
- 真間下(東部の一部を除く)
- 小向(南部の一部のみ)
- 寒室出口(南部の一部を除く。国府台駅所在地)
- 上出口(南部の一部を除く。旧市川町役場所在地・旧市川町中心地)
- 下出口(南東の一部を除く)
- 大字真間
- 本田(西部の一部のみ)
- 寒室(南部の一部を除く・飛地)
市川四丁目(大字市川→根本町→市川四丁目)
- 大字市川
- 根本(北部の一部を除く大部分)
- 小向(北部の一部のみ)
- 大字真間
- 本田(西半分)
- 本寺際(西部の一部のみ)
世帯数と人口
2017年(平成29年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。