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山王 (大田区)

日本 > 東京都 > 大田区 > 山王

山王(さんのう)は、東京都大田区町名。現行行政地名は山王一丁目から山王四丁目。郵便番号は143-0023[2]

山王
山王弁天池
山王
山王の位置
北緯35度35分30.33秒 東経139度43分31.97秒 / 北緯35.5917583度 東経139.7255472度 / 35.5917583; 139.7255472
日本
都道府県 東京都
特別区 大田区
地域 大森地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 19,466人
等時帯 (日本標準時)
郵便番号
143-0023[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

地理

東京都大田区の北東部に位置する。北辺は品川区西大井・品川区大井にそれぞれ接する。東辺はJR東海道線線路に接し、品川区南大井・大田区大森北にそれぞれ接する。南辺は環七通りに接し、これを境に大田区中央に接する。西辺も環七通りに接し、これを境に大田区南馬込に接する。北西端は大田区東馬込に接する。なお、現在、池上通り拡幅を含めた大森駅西口再開発計画がある。

町域内を南北に池上通りが通っている。町域東部は大森駅の西口にあたり、駅周辺は商店やビルが立ち並ぶ。他に池上通りやジャーマン通りなど幹線道路沿いにはビルや商店が並んでいる、そのため多くの商店街組合が形成されている。

池上通りの裏、駅前の傾斜を下ったところにある(山王小路飲食店街)は、かつてが降ると坂を上がれないことから地獄谷と呼ばれており、昭和の香りを色濃く残す飲食店が並んでいる。高台地区は、基本的に第一種低層住居専用地域に指定されており、低層住宅地となっている。

地価

住宅地の地価は、2017年平成29年)1月1日公示地価によれば、山王3-34-3の地点で59万1000円/m2となっている[4]

歴史

 
大森貝墟碑

かつては文化人や実業家政治家の邸宅が並ぶ住宅地であった。江戸時代は平間街道(現池上通り)ぞいの宿場町として新井宿(現在の中央)と称した。大森駅前の山側は将軍家の(御狩場)で低地部は田畑となっていた。

明治5年に鉄道が開通し(新橋横浜間)、大森停車場(後の大森駅)が開業(明治9年)すると、多くの外国人が移り住み、開発が始まった。また、その列車に乗車していたエドワード・S・モースがこの地域(実際は隣接する品川区大井が有力とされている)にある貝塚を発見、現在は大森貝墟の石碑が建てられている。

明治20年には大森八景園が開業し、京浜の新名所となる。その後、(大森ホテル)や(望翠楼ホテル)を中心に別荘地として栄えたが、大正12年の関東大震災後は安全利便な郊外住宅地として人気を博し、各界の名士が移り住んだほか、大森停車所もあり外国人も多く住んでいたことから、独逸学園が横浜より移転し(1991年閉校)、現在も(ジャーマン通り)の名称にその名残を残す。

明治22年に本郷より(日本帝国小銃射的協会)が移転し、約15,000坪の土地に射的場を建設。その後、敷地内にテニスコートを設置し、大正12年には「大森庭球クラブ」が開設された。射的場は鶴見に移転し、敷地の過半が住宅地として分譲されたが、テニスコートは残り、「(大森テニスクラブ)」として存続している。

また、昭和初期には時代を代表する文学者が数多く集まり、馬込文士村の一角を形成した。

かつてのお屋敷街も現在では相続等により分割され、往時を偲ばせる洋館は年々少なくなっている。

かつて山王に居住した著名人

世帯数と人口

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
山王一丁目 2,700世帯 5,240人
山王二丁目 2,741世帯 5,440人
山王三丁目 2,878世帯 5,282人
山王四丁目 1,736世帯 3,504人
10,055世帯 19,466人

小・中学校の学区

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]

丁目 番地 小学校 中学校
山王一丁目 45番 大田区立馬込第二小学校 (大田区立馬込東中学校)
その他 大田区立山王小学校 大田区立大森第三中学校
山王二丁目 1〜40番
その他 大田区立馬込第二小学校 大田区立馬込東中学校
山王三丁目 5〜23番
43〜45番
(大田区立入新井第二小学校) 大田区立大森第三中学校
その他 大田区立山王小学校
山王四丁目 1〜10番
21〜33番
その他 大田区立馬込第二小学校 大田区立馬込東中学校

交通

町域東部に京浜東北線大森駅がある(大森北に所在)。他に、大森駅から各方面通じているバス路線の利用もある。

施設

かつて存在した施設

  • (大森射的場)(現:大森テニスクラブ)(1889年~1937年)
  • (望翠楼ホテル)(1912年~1922年)- 横浜の生糸問屋若尾幾太郎が経営、文人の社交場だった[8]
  • (大森ホテル)(現:山王公園)(1922~1965年)[9]
  • (三喜旅館)
  • 八景園(遊園地)(1884年~1922年)
  • (富岡美術館)(~2004)
  • ドイツ学園(1925年~1991年)
  • ILO東京支局(望翠楼ホテル内)
  • 大日本果汁株式会社(現:ニッカウヰスキー)本店(1934年~1935年)- 設立時の最初の本店登記がされた[10][11][12][13]
  • 京成百貨店(1973年~1981年)
  • ホテルモントレ山王(1986年~2011年) - ホテルモントレ1号館。Montereyは、スペイン語でmonte〈モント〉が「山」、rey〈レ、レー〉が「王」。
  • 内外無線電機工業(家電量販店)(?年~2004年)

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b “世帯と人口”. 大田区 (2017年12月4日). 2017年12月15日閲覧。
  2. ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月15日閲覧。
  3. ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月15日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 『人事興信録 第15版 上』オ51頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年2月23日閲覧。
  6. ^ “通学区域”. 大田区 (2016年5月30日). 2017年12月15日閲覧。
  7. ^ “田園調布より歴史ある「大田区山王」富裕層に愛された街の今”. 幻冬舎ゴールドオンライン (2020年10月30日). 2022年8月2日閲覧。
  8. ^ 中村敏宏「東京ホテル建築史1868年~1939年 : その意味と多様性」『法政大学大学院紀要. デザイン工学研究科編』第2号、法政大学大学院デザイン工学研究科、2013年3月、1-7頁、doi:10.15002/00009257、ISSN 2186-7240、NAID 120005354012。 
  9. ^ 大田区ホームページ:06:新井宿
  10. ^ ニッカの語らい|ニッカワールド|NIKKA WHISKY
  11. ^ funny 一時 serious のち interesting ニッカウヰスキー柏工場地域ふれあい感謝デー
  12. ^ 竹鶴政孝を歩く(3) ニッカウヰスキー会社創立の地。
  13. ^ 大田区ホームページ わがまち新井宿 第67号 平成27年12月1日発行

参考文献

  • (人事興信所)編『人事興信録 第15版 上』人事興信所、1948年。

関連項目

外部リンク

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