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山森 隆(やまもり たかし、安政5年9月24日(1858年10月30日) - 昭和4年(1929年)12月13日)は、政治家。衆議院議員(2期)、金沢市長(2期)。
経歴
加賀藩士の子として金沢に生まれる。1866年(慶応2年)に明倫堂に入り、その後、済々館、石川県変則中学、石川師範学校で学んだ。卒業後の、1875年(明治8年)から小学校訓導を務めた。1880年(明治13年)、金沢区会議員となり、やがて議長に選出された。1885年(明治18年)、石川県教育会議員、金沢区書記となった。
1893年(明治26年)に金沢市会議員、1898年(明治31年)に石川県会議員に選出された。また1896年(明治29年)には北陸商報という新聞を創刊している。
1902年(明治35年)、第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。1904年(明治37年)の第9回衆議院議員総選挙で再選された。
1909年(明治42年)、金沢市長に選出され、2期務めた。
参考文献
- 『新選代議士列伝』金港堂、1902年。
公職 | ||
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先代 渡瀬政礼 | (金沢市長) 第6-7代:1909年-1919年 | 次代 (飯尾次郎三郎) |