山崎 直方(やまさき なおまさ、明治3年3月10日〈1870年4月10日〉 - 昭和4年〈1929年〉7月26日)は、日本の(地理学者)。理学博士。日本地理学会創立者。「日本近代地理学の父」[1]と称えられる。位階および勲等は正三位・勲二等。山崎カール(山崎圏谷)の発見者。高知県出身。
生涯
生い立ちと教育
土佐藩士で土木官吏であった山崎潔水(天保2年7月22日 - 明治33年1月28日)の子として土佐国井ノ口村(高知市)で生まれる。
18歳の時第三高等中学校予科に入学し、人類学および考古学の研究を行う[2]。東京府尋常中学校、第一高等中学校を経て、帝国大学理科大学入学。岩石学を専攻する。1893年には東京地質学会(日本地質学会)の創立と機関誌『地質学雑誌』の創刊に関わる。
地理学者として
1895年、26歳で帝国大学理科大学地質学科卒業[注釈 1]。大学院に進学して小藤文次郎から指導を受ける。
1897年、28歳で第二高等学校の地質学教授に就任。文部省から1898年から1901年まで3年間ドイツとオーストリアへ地理学研究のため留学。J・J・ライン[注釈 2]やA・ペンク[注釈 3]に指導を受ける。当地から当時先端の地理学を学ぶ。帰国後、東京高等師範学校の地理学教授及び東京帝国大学講師に就任する。
1911年、東京帝国大学理科大学教授。1913年、理学博士。1916年には東京帝国大学地質学教室の下に地理学科を設置。1925年、日本地理学会を創設し、初代会長となる。また、同年に創刊された理科年表には、地理部の監修者として名を連ねている。
死去
業績
日本近代地理学の確立
日本の地理学を地学の一分野から単独の学問分野に成長させた。
山崎の最大の功績は、地理学独自の学術団体としての日本地理学会の創設である。
1916年には東京帝国大学地質学教室の下に地理学科を設置した。これは日本では京大に次いで2番目である。地理学に独自の道を築く。この影響により現在でも東京をはじめとした関東の国公立大学の地理学教室は理学部系統に置かれている事が多い。京大を中心とした関西勢が歴史学教室の元に置かれ、文学部系統に置かれているのと対照的である。これにより関東勢は当初は自然地理学の影響が強かったといわれている。
地理学の研究
専門は地形学であり、特に氷河地形、火山地形、変動地形の研究を行った[3]。日本アルプスの白馬山中に氷河の痕跡を発見して日本にも氷河時代があったことを実証した[4]。1902年には論文「氷河果たして本邦に存在せざりしか」 [注釈 4]を発表し、日本の氷河地形研究の礎を築いた[5]。山崎カールの発見や日本の氷河地形研究、日本アルプス研究などで名高い。
関東大震災後、地震の原因を追究し、関東地方の断層地塊と地震との関係をまとめた研究で世界の注目を集めた[4]。
アメリカの地形学者デーヴィスの地形輪廻説を日本に最初に紹介したのは山崎である。1912年に発表されたウェゲナーの大陸移動説は、日本のみならず欧米の研究者の中でも否定的な見解が支配的な中、山崎は率先してこれを評価し日本に導入しようとした重要な人物の一人であった。
以上のように主だった専門は自然地理学だが、人文地理学にも功績がある[5]。1915年のエルズワース・ハンティントンの「文明と気候」を日本に紹介した。
影響
門下生には、地誌学の田中啓爾、地形学の(大関久五郎)・辻村太郎・多田文男・渡辺光、政治地理学の(飯本信之)、経済地理学の(佐藤弘)、集落地理学の(綿貫勇彦)、地図史の秋岡武次郎、気象学の福井英一郎、陸水学の吉村信吉、地質学の石井逸太郎、人文地理学の(佐々木彦一郎)・石田龍次郎らがおり[6]、日本の学術的な地理学の形成に大きな功績を残した人物も多く、彼の地理学に対する影響力は多岐にわたっている。
山﨑家住宅主屋
1917年竣工の邸宅の一部は国登録有形文化財「山﨑家住宅主屋」として文京区小石川5丁目に現存する[7]。和館付きの洋館で、洋館は和洋折衷の様式[7]。ステンドグラスの図案は(広瀬尋常)、製作は(宇野澤辰雄)の宇野澤ステインド硝子工場[7]。
栄典
- 位階
- 1897年(明治30年)11月30日 - 従七位[8]
- 1902年(明治35年)5月20日 - 従六位[9]
- 1917年(大正6年)1月10日 - 従四位[10]
- 1929年(昭和4年)7月26日 - 正三位[11]
- 勲章
著作
- 「大日本地誌」(全10巻 共著)
- 「山崎直方論文集」(山崎直方論文集刊行会編)
脚注
注釈
出典
- ^ 岡田俊裕 2011年
- ^ 岡田俊裕 2011年 166ページ
- ^ 吉川 1971, p. 552.
- ^ a b 20世紀日本人名事典,367日誕生日大事典. “山崎 直方とは”. コトバンク. 2022年7月11日閲覧。
- ^ a b 中村 1988, p. 114.
- ^ 岡田俊裕 2011年 173ページ
- ^ a b c 国登録有形文化財(建造物)山﨑家住宅主屋NPO 文化の多様性を支える技術ネットワーク、2018.11.3
- ^ 『官報』第4326号「叙任及辞令」1897年12月1日。
- ^ 『官報』第5661号「叙任及辞令」1902年5月21日。
- ^ 『官報』第1330号「叙任及辞令」1917年1月11日。
- ^ 『官報』第776号「叙任及辞令」1929年07月31日。
- ^ 『官報』第781号「叙任及辞令」1929年08月06日。