来歴
大分県立大分工業高等学校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会に出場。卒業後の1978年に日本サッカーリーグ1部の三菱重工業サッカー部へ入部すると、日本ユース代表に選出され、1979年の1979 FIFAワールドユース選手権日本大会のメンバーに選ばれたが、試合出場機会は与えられなかった。
日本代表としては、川淵三郎監督が若手選手を積極的に採用する方針もあって1981年2月の東南アジア遠征で招集され、同月19日のシンガポール戦で代表デビューを飾った。
しかしながら所属する三菱重工では、同じポジションに当時の日本代表正GKである田口光久が在籍していた為、ポジション獲得には至らず、田口が現役を引退した1984年には背番号1を与えられたが、三菱養和SC出身の園部晃久とのポジション争いに敗れ、ポジションを獲得することは出来なかった。
所属クラブ
個人成績
代表歴
出場大会など
- ワールドユース東京大会
試合数
- 国際Aマッチ 1試合 0得点 (1981)
出典
- ^ 日本サッカー協会
外部リンク
- 山口悟 - National-Football-Teams.com (英語)
- 山口悟 - WorldFootball.net (英語)
- 山口悟 - Transfermarkt.comによる選手データ (英語)
- - FIFA主催大会成績 (英語)