来歴・人物
福岡第一高時代は、春に続いて1988年の第70回全国高等学校野球選手権大会に出場し、初戦で2本塁打を放つなどの活躍で同期のエース・前田幸長とともに準優勝を果たす。この大会では同校OBである飛鳥涼が差し入れたバットを使って快打を連発したという[1]。高校通算48本塁打を記録し「九州のバース」の異名をとる。高校の2学年後輩には松元秀一郎がいた。
1988年のプロ野球ドラフト会議で福岡ダイエーホークスから5位指名を受け入団。ドラフトではエースの前田の1位指名後に心待ちにしていたところ、地元の新球団となるダイエーに指名されたことで喜びの涙を見せた。背番号は同年まで主砲の門田博光が付けていた60を引き継ぐなど期待されていた。
1990年と1991年はMLBの1A・サリナス・スパーズに野球留学し、1990年には一軍初出場も果たした。しかし、一軍での出場は1990年の7試合のみで、その後は二軍での生活が続き1994年オフに現役を引退した。
引退後の1996年には、石川敬士率いる新東京プロレスに入団したが、デビューする事もなく早々に退団してしまう。なお退団の際、捨て台詞とも取れる「プロレスの練習はプロ野球のキャンプよりも楽」と発言した旨をプロレス専門誌に掲載されたが[2]、本人はそれを否定している。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
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1990 | ダイエー | 7 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
通算:1年 | 7 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 |
記録
- 初出場:1990年10月1日、対日本ハムファイターズ24回戦(東京ドーム)、7回表に小川史の代打で出場
- 初先発出場:1990年10月14日、対オリックス・ブレーブス26回戦(阪急西宮球場)、6番・一塁手として先発出場
背番号
- 60(1989年 - 1994年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 山之内健一 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)、The Baseball Cube、MLB