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小野川公三郎

小野川 公三郎(おのがわ こうざぶろう、1947年1月1日[2][1] - )は、日本の元俳優。本名は同じ[1][3]

おのがわ こうざぶろう
小野川 公三郎
本名 小野川 公三郎
生年月日 (1947-01-01) 1947年1月1日(76歳)
出身地 日本 兵庫県出石郡出石町(現:兵庫県豊岡市
身長 168 cm[1]
職業俳優
ジャンルテレビドラマ
映画
舞台
配偶者 既婚
事務所 エム・カンパニー( - 1999年
主な作品
テレビドラマ
ケンチとすみれ
トリプルファイター
積木の箱
Gメン'75
映画
『高校生番長 棒立てあそび』
『タリラリラン高校生』
天使の恍惚
スリランカの愛と別れ
(テンプレートを表示)

兵庫県出石郡出石町(現:兵庫県豊岡市)出身[2]兵庫県立出石高等学校卒業[2][3]。蛭川企画[1]、サンライトを経て[4]、エム・カンパニーに所属していた[5]

人物

5人兄妹の三男[2][3]。学生時代は野球部に所属[6]。学校巡芸で来た東京芸術座の芝居に感銘を受け、高校卒業後、東京芸術座附属演劇研究所に入る[6][3]。同期には、小野寺昭岡本富士太がいた[6]。やがて方向性の違いから退団し、1966年三島由紀夫らが主宰する劇団NLTの研究生となる[6][3]

1967年東宝映画『育ちざかり』に出演[7]1968年には、NHKテレビドラマケンチとすみれ』にレギュラー出演した[注釈 1]。当時のプロフィールでは「出演が決まったときは、嬉しさの中に不安があったが、収録がはじまると楽しいドラマなので、すぐに現場と打ち解けることができた」と述べている[3]

劇団活動のかたわら三島由紀夫の紹介で大映と専属契約を結ぶ[2][10]1969年『ヤングパワー・シリーズ 新宿番外地』でデビューし、翌年『高校生番長 棒立てあそび』では主役となる[2]。以後、帯盛迪彦監督作品を中心に『高校生番長』シリーズ(1970年 - 1971年)を支える一人として、篠田三郎、関根恵子(現・高橋惠子)、松坂慶子らとともに活躍[2]。その一方で、三島が辞めるのを機にNLTから六月劇場へ移籍している[11]

1971年末の大映倒産後は主な活躍の場をテレビへと移す[2]1972年、六月劇場からの紹介で円谷プロ特撮ドラマ『トリプルファイター』のレギュラーに抜擢される[12]。レッドファイターに変身する早瀬勇二を演じ、トランポリンでのアクションやカーチェイスなどもこなした[13]1975年には『バーディー大作戦』第53話での演技がプロデューサーの近藤照男に評価され、後番組の『Gメン'75』では常連ゲストとしてさまざまな役柄を演じた[14]

舞台出演も多く、ニコラ・バタイユを演出に招き、加賀まりこの初舞台となった『夏』(アンダーグラウンド蠍座)では少年役を演じている[15]日生劇場で『冬の旅』出演時には、木下恵介の目に留まり映画『スリランカの愛と別れ』に出演することとなった[16]

1996年には、東京芸術座時代からの親友である岡本富士太が教師役で出演していた『中学生日記』を降板することになり、最後に出てほしいとの要望を承諾し出演している[17]

特技は、歌唱[1]1974年に結婚し[2]、一女あり[18]。40代で子供を授かってから、アルバイトをしながら役者を続けていては子育てがまともにできないと考え、俳優業を引退した[8]

出演

テレビドラマ

映画

  • 育ちざかり(1967年、東宝
  • 不良番長(1968年、東映) - ロクオン
  • ヤングパワー・シリーズ 新宿番外地(1969年、大映) - 鉄次
  • ヤングパワー・シリーズ 大学番外地(1970年、大映) - 相馬
  • 高校生番長(1970年、大映) - 並木健太
  • 十代の妊娠(1970年、大映) - 佐々木武志
  • 高校生番長 棒立てあそび(1970年、大映) - 堀田大作 ※主演
  • 高校生番長 深夜放送(1970年、大映) - 長坂元三郎
  • 高校生番長 ズベ公正統派(1970年、大映) - 相馬吾郎
  • 高校生ブルース(1970年、大映) - チョロ
  • タリラリラン高校生(1971年、大映) - 南郷圭 ※主演
  • 樹氷悲歌(1971年、大映) - 町田邦夫
  • 十七歳の成人式(1971年、大映) - 広野四郎
  • 成熟(1971年、大映) - 田辺茂
  • 夜の診察室(1971年、大映) - 石川弘
  • 天使の恍惚(1972年、ATG) - 土曜日
  • スリランカの愛と別れ(1976年、東宝) - 篤和次郎

オリジナルビデオ

舞台

脚注

注釈

  1. ^ 「映画論叢」では、『ケンチとすみれ』に1967年出演とされているが[8]、放送当時のプロフィールおよびテレビ欄では1968年6月18日放送分より出演とされている[3][9]

出典

  1. ^ a b c d e 日本タレント名鑑 '94』VIPタイムズ社、1994年、81頁。 
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本映画人名事典 男優編<上巻>』キネマ旬報社、1996年、371頁。(ISBN 978-4873761886)。 
  3. ^ a b c d e f g 福島民報』1968年5月29日付朝刊、6面。
  4. ^ 『日本タレント名鑑 '96』VIPタイムズ社、1996年、92頁。 
  5. ^ 『日本タレント名鑑 '99』VIPタイムズ社、1999年、99頁。 
  6. ^ a b c d 映画論叢 2018, p. 93
  7. ^ 映画論叢 2018, p. 97
  8. ^ a b 映画論叢 2018, p. 104
  9. ^ 朝日新聞』1968年6月18日付朝刊、9面、ラジオ・テレビ欄。
  10. ^ 映画論叢 2018, p. 96
  11. ^ 映画論叢 2018, p. 100
  12. ^ 「Age's Review トリプルファイター」『ウルトラマンAGE Vol.3』辰巳出版、2001年、75頁。(ISBN 978-4886416612)。 
  13. ^ 映画論叢 2018, p. 107
  14. ^ 映画論叢 2018, p. 109
  15. ^ 映画論叢 2018, p. 98
  16. ^ 映画論叢 2018, p. 108
  17. ^ 映画論叢 2018, p. 105
  18. ^ 映画論叢 2018, p. 112

参考文献

  • 武井崇(聞き手)「小野川公三郎 インタビュー」『映画論叢』 47巻、国書刊行会、2018年。(ISBN 978-4336062642)。 

外部リンク

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