地理
歴史
縄文時代早期の八ツ崎貝塚、天子神社貝塚などが発掘されており、両者は「刈谷西部の縄文遺跡」として愛知県指定史跡となっている[1]。『碧海郡誌』によると、かつては小池という地名だったが、やがて小山に改めた[1]。江戸時代には刈谷藩領であり、また池鯉鮒宿の助郷村だった[1]。延享5年(1748年)の戸数は160、人口は816[1]。天保2年(1832年)の戸数は244、人口は1,058[1]。1876年(明治9年)の戸数は254、人口は1,067[1]。
年表
名所・旧跡
- (天子神社) - 小山村の鎮守[1]。天子神社貝塚は「刈谷西部の縄文遺跡」の名称で愛知県指定文化財(史跡)。
- 八幡宮 - 字新田の鎮守[1]。
- 神明宮 - 字中手山の鎮守[1]。
- 松雲院 - 曹洞宗。貞享4年(1687年)に薬師堂から昇格[1]。板倉重宗の法名が寺名の由来[1]。
- 敬専寺 - 真宗大谷派。「綱座天神画像」は愛知県指定文化財[1]。
天子神社
天子神社貝塚
松雲院
敬専寺
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年