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小仏峠

小仏峠(こぼとけとうげ)は、東京都八王子市裏高尾町神奈川県相模原市緑区の間にある多摩川水系と相模川水系とを隔てる分水界標高は548m。八王子側の車道終点付近に113号水準点標石(369.51m)がある。

小仏峠
小仏峠
標高 548 m
所在地 日本
東京都八王子市裏高尾町
神奈川県相模原市緑区千木良
位置 北緯35度38分08秒 東経139度13分00秒 / 北緯35.63556度 東経139.21667度 / 35.63556; 139.21667座標: 北緯35度38分08秒 東経139度13分00秒 / 北緯35.63556度 東経139.21667度 / 35.63556; 139.21667
小仏峠の位置
プロジェクト 山
(テンプレートを表示)

高尾山の北側の山麓を貫き、旧甲州街道東京都道・神奈川県道516号浅川相模湖線)のルートに指定されている。

歴史

1569年永禄12年)に武田信玄関東地方へ遠征した際、別動隊の小山田信茂甲斐国大月から八王子に向かった。これを迎え撃つ滝山城北条氏照は、当時一般的な経路だった奥多摩方面からの侵入を予想して戸倉城などに兵を派遣した。しかし小山田隊は小仏峠を越えてきたため、不意をつかれた北条軍は滝山城に籠城することになった(廿里の戦い)。

その後、小仏峠は甲斐国と武蔵国相模国を結ぶ要路となり、滝山城の機能は新設の八王子城に転換し「八王子」の地名の由来となった。廃城の後は小仏関所が置かれた。特に富士参詣の行者がここを越えることから、富士関とも呼ばれていた。

江戸時代には甲州街道のルートに指定されて交通の要所となり、小仏関所が置かれた。しかし勾配が急で車道化が困難であったため、1888年明治21年)に当時の国道16号(現在の国道20号)は大垂水峠を経由するルートへ変更された。これによって小仏峠を通る通行者は激減した。

一方、地形的にほぼ東西に直線的に貫いていることから、直線的なルートが望まれる中央自動車道JR中央本線は、小仏峠の北側の山を小仏トンネルによって貫いて造られた。

頂上

小仏峠頂上は奥高尾縦走路が南北に方向を変える景信山と城山を結ぶ稜線の鞍部にあたり、小仏宿と小原宿の間で旧甲州街道が東西に交差している。頂上には、明治天皇聖跡碑、三条実美歌碑、茶屋跡などがある[1]

アクセス

高尾山陣馬山など周辺の山々を巡るハイキングコースの要衝となっており、訪れる観光客は多い。

そのため高尾駅北口から通行止区間の付近まで、京王バス南により路線バスも運行されている。

脚注

  1. ^ a b c d 松倉一夫『ネイチャーハイク入門』JTBパブリッシング、14頁。 
  2. ^ 藤田覚「小仏峠の茶屋」『歴史書通信』No.227、歴史書懇話会、2016年、pp.2-4.( - ウェイバックマシン(2017年6月17日アーカイブ分))

関連文献

関連項目

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