歴史
駅構造
廃線前までは4両編成に対応した1面1線ホームのみの地上駅であった。
交換設備の跡や、ホーム待合席の屋根の形状から、かつては島式の1面2線であったことや、ほかにも貨物用ホームがあったことがうかがえた。
廃止後の寺津駅(2016年)
更地化された駅跡地(2021年)
配線図
← 碧南方面 | → 吉良吉田方面 | |
(凡例) 出典:[6] |
利用状況
駅周辺
バス路線
三河線の碧南 - 吉良吉田間の廃止に伴う代替バスとして、ふれんどバスが運行されている。なお、駅跡地付近にある同路線の停留所は「寺津神社前」、「巨海」である。この他、六万石くるりんバスの「寺津本町」停留所が駅跡地付近に設けられている。
寺津神社前バス停
巨海バス停
隣の駅
その他
北寺津駅
寺津駅は当初0.6km三河楠寄りにあり、1927年(昭和2年)3月25日に廃止時の位置へと移転した[2]。その後、同年7月25日には移転後の寺津駅から三河楠寄り0.5kmの位置に北寺津駅が設置されている[14]。
北寺津駅は1944年(昭和19年)に休止され1969年(昭和44年)4月25日正式に廃止となるが、三河鉄道時代のホームは廃止後もそのまま残されていた[15]。
寺津高架橋
西三河南部地域から衣浦トンネルを通り、中部国際空港への主要アクセス道路となる都市計画道路衣浦岡崎線への踏切設置を避けるため、寺津・三河楠間におよそ21億円の費用をかけて鉄道高架橋が建設され、1998年(平成10年)11月に供用開始となった。しかし、間もなくして名鉄は三河線の区間廃止を表明したため、わずかな期間しか利用されなかったので批判が噴出した。
北寺津駅の遺構[15]
寺津高架橋
県道41号線をオーバークロスしている寺津高架橋(2022年)
脚注
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、45頁。ISBN (978-4107900258)。
- ^ a b 日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補 7号 東海 - 鉄道フォーラム
- ^ 神谷力(編)『三河を走って85年―三河線・挙母線とともに歩んだ郷土の歴史と文化』郷土文化社、2000年、88頁。ISBN (978-4876701292)。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、870頁。
- ^ a b “三河線も一部ワンマンに 名鉄、来月レールバス投入”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (1990年6月23日)
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ a b 平成17年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成12年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成13年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成14年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成15年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 平成16年度刊愛知県統計年鑑 第10章 運輸,通信 鉄道(JRを除く私鉄)駅別乗車人員
- ^ 鉄道省 編 『鉄道停車場一覧 昭和12年10月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)』、川口印刷所出版部、1937年、355頁
- ^ a b 新實守 著「三鉄ものがたり」、徳田耕一 編『名鉄の廃線を歩く』JTB、2001年、151頁。ISBN (978-4533039232)。