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宮坂幸雄

宮坂 幸雄(みやさか ゆきお、1929年11月30日 - )は、将棋棋士。1999年引退。九段(2002年)。塚田正夫名誉十段門下。(棋士番号)は65。東京府(現:東京都)出身。2009年、盤寿

 宮坂幸雄 九段
名前 宮坂幸雄
生年月日 (1929-11-30) 1929年11月30日(93歳)
プロ入り年月日 1955年1月10日(25歳)
引退年月日 1999年3月31日(69歳)
棋士番号 65
出身地 東京府(現:東京都
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 塚田正夫名誉十段
段位 九段
棋士DB 宮坂幸雄
戦績
(一般棋戦)優勝回数 2回
通算成績 556勝678敗(.451)
竜王戦最高クラス 3組
順位戦最高クラス B級1組
2017年8月24日現在
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棋歴

1955年、25歳でプロデビュー。

1956年、東西対抗勝継戦で5人抜き(優勝)。1962年の同棋戦では6人抜き(優勝)。

第17期(1962年度)順位戦C級2組で9勝4敗の1位の成績を収め、33歳にして初昇級。第19期(1964年度)ではC級1組で10勝2敗の1位の成績でB級2組へ昇級。そして、第21期(1966年度)では10勝2敗の2位で、自己最高のB級1組へ昇級。2期目で降級するが、第30期(1975年度)B級2組で9勝1敗で1位となり、B級1組へ復帰。

1969年度、第9期十段戦で三次予選3回戦に進出。

第24回(1976年度)王座戦で、内藤國雄らを破りベスト4進出。準決勝で二上達也に敗れる。それと並行して、第29期棋聖戦で本戦進出。1回戦で二上達也を破るが、2回戦で森雞二に敗れる。

第19期(1978年度)王位戦の予選で芹沢博文、二上達也らを破り、リーグ入り。米長邦雄らに勝って3勝2敗でトップに並ぶが、プレーオフで敗退する。

第18回(1984年度)早指し将棋選手権田中寅彦、内藤國雄に勝って4回戦に進出するが、中原誠に敗れる。

第10期(1997年度)竜王戦5組の昇級者決定戦決勝で、2ヶ月前まで棋聖[1]だった三浦弘行に勝ち、4組へ復帰。

第57期(1998年度)C級2組順位戦で、累積3つ目の(降級点)を喫し、69歳で現役を(引退)。

棋風

矢倉あるいは矢倉模様の将棋が多い居飛車党。

当初は攻守にバランスの取れたタイプであったが、その後、駒組みが完了する前からの斬り合いや、駒損をいとわない踏み込みの棋風に変遷していった。

山田道美関根茂富沢幹雄と研究会を行い、将棋界の研究会の元祖の一人とされる。

チェスプレーヤーとしての業績

宮坂はチェスプレーヤーとしても活動していた。日本チェス協会が活動開始して第1回の日本チャンピオンとなったのが宮坂である。その後も第4回まで連続して日本チャンピオンとなっている[2]。なおチェスプレーヤーとしても活動している(していた)将棋棋士としては他には小野五平坂口允彦大山康晴羽生善治森内俊之青嶋未来らがいる。

昇段履歴

主な成績

通算成績
556勝678敗
優勝
  • 東西対抗勝継戦 2回(1956年、1962年)
優勝合計2回
在籍クラス
表彰
  • 現役勤続40年表彰(1994年11月)

脚注

  1. ^ 三浦は前年に羽生善治七冠から棋聖位を奪い、時の人となっていた。
  2. ^ 渡井美代子 著 『図解早わかりチェス』 日東書院、1995年7月10日、40頁 - 41頁

関連項目

外部リンク

  • 宮坂幸雄|棋士データベース|日本将棋連盟
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