概要
坂井三郎の最初の戦記にあたるものは1953年(昭和28年)に出版協同社より刊行された『坂井三郎空戦記録』である。これとは別の新作としてマーチン・ケイディンなどとの共著で『SAMURAI!』が出版されている。「大空のサムライ」はそれらと別に1972年(昭和47年)7月12日に光人社より初版が刊行された書籍である。
ただし、それぞれの著書にゴーストライターの存在が指摘されている。作家の神立尚紀の取材では、『坂井三郎空戦記録』は福林正之が坂井への取材や独自の取材などをもとに書き、『SAMURAI!!』はフレッド・サイトウによる坂井へのインタビューをもとにマーチン・ケイディンが脚色して書き、『大空のサムライ』は光人社社長の高城肇がアメリカ的な空戦活劇である『SAMURAI!!』を坂井と相談して日本向けに直したことを坂井も認めている[1][2]。マーチン・ケイディンが撃墜数を創作するなど、内容に関しても実際の記録との食い違いやフィクションが多数存在する[3]。
書誌情報
- 坂井三郎空戦記録
- 『坂井三郎空戦記録』(講談社、1992年) (ISBN 4-06-206244-5)
- 『坂井三郎空戦記録』上、下(、1995年)
- 上 (ISBN 4-06-256087-9)、下 (ISBN 4-06-256088-7)
- 『大空のサムライ』上、下(講談社+α文庫、2001年) 『坂井三郎空戦記録』の改題新装版
- 上 死闘の果てに悔いなし (ISBN 4-06-256513-7)、下 還らざる零戦隊 (ISBN 4-06-256514-5)
- 大空のサムライ
- 『大空のサムライ かえらざる零戦隊』(光人社NF文庫、2003年新装版) (ISBN 4-7698-2001-1)
- 『続・大空のサムライ 回想のエースたち』(光人社NF文庫、2003年新装版) (ISBN 4-7698-2004-6)
- 『戦話・大空のサムライ 可能性に挑戦し征服する極意』(光人社NF文庫、2003年新装版) (ISBN 4-7698-2024-0)
- 『大空のサムライ・完結篇 撃墜王との対話』(光人社NF文庫、2003年新装版) (ISBN 4-7698-2392-4) 高城肇との対談
- 写真集
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 大空のサムライ』(光人社、2008年新装改訂版) (ISBN 978-4-7698-1398-9)
- イラスト集
- 佐竹政夫 画\三野正洋 解説『ザ・サムライ イラスト坂井三郎空戦記録』(ワック、2003年) (ISBN 4-89831-047-8)
映画
大空のサムライ | |
---|---|
Zero Pilot | |
監督 | |
脚本 | 須崎勝弥[4] |
製作 | 田中友幸[4] |
出演者 | |
製作会社 | 東宝映画[5][6] |
配給 | 東宝[5][6] |
公開 | 1976年10月2日[5][6][4] |
上映時間 | 102分[5][注釈 1] |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
映画『岸壁の母』を制作した(大観プロダクション)が企画、東宝の製作・配給により、1976年(昭和51年)に映画化され、全国東宝系で公開された。カラー、シネマスコープ(パナビジョン)[6]。
表題は同じだが、内容は出版されている坂井三郎のどの自伝にも基づかないオリジナル作品である[7]。
大観プロダクション(大観宮)は、ねずみ講組織である「天下一家の会」の宗教法人であり、坂井が「天下一家の会」の広告塔的存在だったこともあって、本作品はその資金提供を受けていた。訴訟が相次ぎ、ねずみ講は社会問題化していたが、宗教法人が映画によって広報活動をする流れで映画化されている[8]。映画の冒頭で坂井本人が登場して、戦後は赤十字飛行隊で活躍している旨を名乗っているが、坂井が赤十字飛行隊に在籍したことはないなど、内容に多数のフィクションが存在する。
零戦の操縦シーンでは、坂井が撮影に協力してリアルな再現を行ったとされる[4]。
"Zero Pilot"のタイトルでヨーロッパ圏でも公開された。
現在までにビデオ化(廃盤)、DVD化されている。
キャスト
- 坂井三郎:藤岡弘
- 笹井中尉:志垣太郎
- 本田二飛曹:伊藤敏孝
- 中川一飛曹:平泉征
- 野村一飛曹:島村美輝
- 大野二飛曹:田辺靖雄
- 前田二飛曹:福崎和宏
- 久保二飛曹:麿のぼる
- 辻井二飛曹:下塚誠
- 望月一整曹:山本廉
- 半田飛曹長:島田順司
- 斉藤大佐:丹波哲郎
- 大薗中佐:平田昭彦
- 滝一飛曹:地井武男
- 木村二飛曹:根岸一正
- 清水二飛曹:(森川利一)
- 有川参謀:辻萬長
- 志賀:勝部演之
- 庄司:佐藤仁哉
- 本田幸子:大谷直子
- A少佐:鈴木治夫
- B大佐:清水昇
- 要務士:原田君事
- 米軍将校:レスター・ラタイル
スタッフ
- 製作:田中友幸、鈴木慶司
- 監督:丸山誠治
- 脚本:須崎勝弥
- 音楽:津島利章
- 撮影:西垣六郎
- 美術:育野重一
- 録音:田中信行
- 照明:小島真二
- 監督助手:井上英之
- 編集:黒岩義民
- スチール:石月美徳
- 協力撮影:鷲尾馨
- 整音:東宝録音センター
- 効果:東宝効果集団
- 現像:東京現像所
- 製作担当者:森知貴秀、徳増俊郎
特殊技術
- 特技監督:川北紘一
- 撮影:富岡素敬
- 美術:井上泰幸
- 照明:森本正邦
- 合成:松田博
- 監督助手:田渕吉男
- 光学撮影:宮西武史
- 光学作画:石井義雄
- 操演:松本光司
- 特殊効果:渡辺忠昭
- スチール:田中一清
- 製作担当者:広川恭
特撮
特技監督の川北紘一は本作品が映画初監督である[10][11][12][4]。
川北のこだわりにより、航空機のミニチュアはすべて新規造形で、過去の作品からのフィルム流用もない[10][12]とされているが、実際には劇中で珊瑚海海戦の勃発が語られる場面において、実写のニュース映像に混ざって、戦時中に円谷英二が撮影した『雷撃隊出動』(昭和19年製作)でのミニチュアによる海空戦の特撮映像が流用されている。[要出典]
当初、川北は零戦に似た実機を探したが見つけられず、ミニチュアで撮影することにしたものの、実景の空で撮るためラジコンを用いることとした[10][13]。しかし、当時のラジコンの性能では操作不能となって墜落することが多く、用意していたラジコンが次々と損壊していった[10][13]。空中戦では、墜落にあわせて着火や発煙を行う必要があったが、この操作もラジコンで行おうとするとタイミングを合わせるのが難しいため、電気着火をタイマー式にし、設定した時間に合うよう飛行機を動かすという方法をとった[13]。
片脚の故障のため着陸に失敗した零戦の炎上シーンは本編版と特撮班でそれぞれ撮影され、特撮班によるものが採用された[12]。本編班では当初の打ち合わせ通り、胴体着陸となった機体から搭乗員が脱出する場面を撮影していたが、特撮班では機体が転倒し搭乗員も死亡するシークエンスを本編班の許可を得ぬまま撮影したことから問題となった[14]。結局、両方のラッシュを見比べた結果、川北案が採用されることとなった[14]。
クライマックスでは日本で導入されたばかりのフロントプロジェクションが使用されている[14][15][12][注釈 2]。
DVD
脚注
注釈
出典
- ^ 『祖父たちの零戦』p315-325
- ^ 神立尚紀ブログ
- ^ 『祖父たちの零戦』p321
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 日本特撮映画図鑑 1999, p. 104, 「大空のサムライ」
- ^ a b c d e f “映画資料室”. viewer.kintoneapp.com. 2022年2月24日閲覧。
- ^ a b c d e f 東宝特撮映画全史 1983, pp. 549–550, 「東宝特撮映画作品リスト」
- ^ 大空のサムライ[要文献特定詳細情報]
- ^ 『祖父たちの零戦』p339~344
- ^ 東宝特撮映画全史 1983, p. 538, 「主要特撮作品配役リスト」
- ^ a b c d 東宝特撮映画全史 1983, pp. 400–401, 「東宝特撮映画作品史 大空のサムライ」
- ^ ゴジラ大全集 1994, pp. 70–71, 「東宝特撮映画史 ゴジラ誕生 スペクタクルのヒット」
- ^ a b c d 石井博士ほか『日本特撮・幻想映画全集』勁文社、1997年、245頁。ISBN (4766927060)。
- ^ a b c 日本特撮映画図鑑 1999, p. 6, 「interview 川北紘一特技監督」
- ^ a b c 東宝特撮映画全史 1983, pp. 402–403, 「東宝特撮映画作品史 大空のサムライ」
- ^ a b ゴジラ大全集 1994, p. 156, 「図説東宝特撮映画 CHAPT.11 特殊技術撮影-川北組-」