沿革
- 1901年(明治34年)11月1日 - 三島郡善高村、五千石村、下桐原村、本与板村(一部)が合併して、大河津村が発足。
- 1957年(昭和32年)7月5日 - 村域を三分割し、次のとおり隣接自治体に編入され消滅。
- 大字馬越 → 三島郡与板町
- 大字敦ケ曽根・北曽根・矢田・田尻・野軽井・入軽井・求草・高内・平野新村新田・万善寺・下中条(のちに一部は分水町)・下桐・硲田・有信・五分一・木島・鰐口・竹森・小豆曽根・新長(大河津分水路左岸)・岩方・仁ケ村外新田 → 三島郡寺泊町
- 大字野中才・五千石・大川津・新長(大河津分水路右岸) → 西蒲原郡分水町
1922年に完成した信濃川大河津分水路は村内を通る形となり、結果として村は長らく東西に分断されていた。分割によって分水町に編入された右岸側4集落はこれにより中越地方から下越地方に移っている。
参考文献
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。