大島 富士子[1](おおしま ふじこ、1957年1月29日 - 2016年4月11日)は、日本のソプラノ歌手。
大島 富士子 | |
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出身地 | 日本 |
学歴 | フェリス女学院短期大学 音楽科(声楽) ウィーン国立音楽大学 声楽科、ピアノ室内楽科 |
ジャンル | クラシック |
職業 | ソプラノ歌手 |
公式サイト | www |
プロフィール
1957年、兵庫県神戸市生まれ。 3歳より桐朋学園子供のための音楽教室で学ぶ[2]。
恵泉女学園高等部を経て、1977年 フェリス女学院短期大学音楽科の声楽を卒業後、ウィーン国立音楽大学声楽科とピアノ室内楽科に入学。1981年、同大学を卒業[3]。
声楽を江口元子、エドウィン・サモジー、ウェイン・グリフィッツ、ツェーガー・ファンダステーネ、ピアノをハンス・カーン、ノーマン・シェトラー等、リートをインゴマー・ライナー、ツェーガー・ファンダステーネおよびダルトン・ボールドウィンに師事。
卒業後は数多くのリーダーアーベントをヨーロッパと日本を中心に開催。1995年から5年間、ホセ・ヴァスケスの率いる「オルフェオン・コンソート」のソプラノ歌手としてバロック音楽のレパートリーを広げ、イタリアやオーストリアで演奏活動をする。チェンバロおよびオルガン奏者のインゴマー・ライナーと共にリーダーアーベントを開催、1990年のシューベルト生誕200年記念コンサートとしてウィーンより日本へハンマークラヴィアを持ち込み、シューベルトによるプログラムで演奏旅行をした。ボンのベートーヴェン祭、リンツのブルックナー祭、ウィーンのイースタークラング祭、イタリアのオーロラ祭やアゾロのイースター祭などに出演。
2009年、ウィーン在住33年後日本へ帰国。同年、シューベルトの歌曲だけで一晩のプログラムを歌い、ボールドウィンより「シューベルト歌手」として認められ、以降 ボールドウィンは伴奏者として大島を支える存在となる。2013年、2度目のシューベルト歌曲の夕べをボールドウィンと開催する。また、オーストリアでは国家公認日本語裁判通訳・翻訳者として、さらには会議通訳者としてヨーロッパ各地で活動した。2014年7月オーストリア・ブルゲンランド州々都自由都市アイゼンシュタット市よりヨーゼフ・ハイドン記念名誉銀メダルを授与される[4]。
著書
- 「正しい楽譜の読み方―バッハからシューベルトまで」現代ギター社、2009年9月[5]
脚注
外部リンク
- 公式ウェブサイト