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大分駅

大分駅(おおいたえき)は、大分県大分市要町にある、九州旅客鉄道(JR九州)のである。

大分駅
府内中央口(2015年1月)
おおいた
Ōita
所在地 大分県大分市要町1番1号
北緯33度14分0.15秒 東経131度36分23.23秒 / 北緯33.2333750度 東経131.6064528度 / 33.2333750; 131.6064528座標: 北緯33度14分0.15秒 東経131度36分23.23秒 / 北緯33.2333750度 東経131.6064528度 / 33.2333750; 131.6064528
所属事業者 九州旅客鉄道(JR九州)
電報略号 オイ←ヲウ
駅構造 高架駅
(ホーム) 4面8線
乗車人員
-統計年度-
13,724人/日(降車客含まず)
-2021年-
開業年月日 1911年明治44年)11月1日[1][2][3]
乗入路線 3 路線
所属路線 日豊本線
キロ程 132.9 km(小倉起点)
西大分 (2.5 km)
(3.3 km) *
所属路線 久大本線
キロ程 141.5 km(久留米起点)
古国府 (2.6 km)
所属路線 豊肥本線
キロ程 0.0 km(大分起点)
(5.1 km) *滝尾
備考 (直営駅)
みどりの窓口
* この間に下郡信号場有り(当駅から2.2km先)。
(テンプレートを表示)

概要

大分県の県庁所在地である大分市の代表駅である。当駅を経由する全列車が停車する。日豊本線久大本線豊肥本線の計3路線が乗り入れており、このうち日豊本線を(所属線)[4]としている。

日豊本線は、起点の小倉駅から当駅までは、日出駅 - 杵築駅間、中山香駅 - 立石駅間を除き複線化されているが、当駅以南は終点の鹿児島駅まで全線単線となる。当駅は、当駅以北で運行される特急「ソニック」と、当駅以南で運行される特急「にちりん」(一部当駅を跨いで運行する列車もある)の接続駅となっている。また基本的に久大本線と豊肥本線の普通列車は当駅折り返しで運転され、日豊本線の普通列車についても当駅折り返しとなる列車が設定されている。

久大本線は当駅を終点としている。豊肥本線は当駅を起点としているが、列車運行上では当駅に到着する列車が下り、当駅を発車する列車が上りとして扱われている。

2012年に線路の高架化工事が完了し、2015年には商業施設の「アミュプラザおおいた」を中核としてホテル温泉施設(大深度地熱温泉サウナ)などで構成される駅ビルJRおおいたシティ」が誕生した[5]

事務管コードは▲920527[6]

歴史

 
大分駅開業記念式典(1911年11月)
 
大正時代の大分駅

鉄道院豊州本線が別府駅から当駅まで延伸したことに伴い、1911年明治44年)に開業した[1][2][3]。 大分市の市制施行(同年4月1日)からちょうど7ヶ月後のことであった。当初は豊州本線の終着駅として開業したが3年後の1914年大正3年)に豊州本線が幸崎駅まで延伸したことで中間駅となった[7]。また同日に同じ国鉄の犬飼軽便線が当駅から中判田駅まで開通した[7] ため同線と豊州本線との接続駅ともなった。

1915年(大正4年)10月30日には大湯鉄道が大分市駅から小野屋駅までを開業[7]。同時に、犬飼軽便線(現在の豊肥本線)が中判田駅まで開通[7]。大湯鉄道はその後1922年(大正11年)に国有化され[7] 大湯線となり、大分市駅はこのとき大分駅に統合された。これにより、当駅は国鉄の豊州本線・犬飼線(同年9月に犬飼軽便線から改称)・大湯線の接続駅になった。

この間、1918年(大正6年)には、外堀止まりだった路面電車の豊州電気鉄道線(後の大分交通別大線)が大分駅前まで延伸[2]1972年昭和47年)4月5日の廃線まで駅前より発着していた[2]

1928年(昭和3年)12月2日には玉来駅から宮地駅までの開通により熊本駅から大分駅まで犬飼線なども含めて全通し[7] 豊肥本線に改称された。1932年(昭和7年)12月6日には大隅大川原駅から霧島神宮駅までの開通により小倉駅から大分回りで鹿児島駅までが豊州本線等を含めて全通し日豊本線とされた[8]。そして1934年(昭和9年)11月15日には日田駅から天ヶ瀬駅までの開通により大湯線も含めて久留米駅から大分駅までが全通したため久大線となった[9][10]。久大線は1937年(昭和12年)に久大本線に改称され、大分駅は現在の様に日豊本線・豊肥本線・久大本線の接続駅となった。

第二次世界大戦当時、大分市街は再三にわたり空襲を受けた。1945年4月21日には大分駅機関庫が被弾。同年7月16日の大分空襲では中心部の2,358戸が焼失し、大分駅から海が見えたと伝えられる[11]

戦後は1958年(昭和33年)に駅舎を新設している。この駅舎は、数度にわたる改装を繰り返しながら2012年の高架化まで使用された[12]。駅前には1911年の開業とほぼ同時期に2本のクスノキが植えられ、高さ約20mにまで成長して駅の象徴となっていたが、構内の拡張工事に伴い1964年(昭和39年)に伐採された[13]

大分駅北口からホームまでは1956年(昭和31年)に地下道が完成していたが[14]、ホームと南口の間は渡線橋で接続されていた[15]。そのため、地下道の南口への延長が計画され[16]1980年(昭和12年)10月に駅を横断する地下道が完成している。ただし、この地下道はコンコース内にあり、無料で通り抜けはできなかった[17]

2012年3月17日に高架化が完成し、高架駅となった[18][19][20]2015年平成27年)にアミュプラザおおいたを中核とした新駅ビルJRおおいたシティが全面開業した[5]

年表

 
大分駅周辺の白黒空中写真(1970年10月撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
 
大分駅周辺の空中写真(2013年8月撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

大分駅付近連続立体交差事業

 
大道陸橋撤去工事で通行止めになった国道210号(2011年4月)
 
立体交差する国道210号線(2014年12月)

かつての大分駅は地上駅で、大分市中心部の市街地は駅や3本の鉄道路線により南北が完全に分断され、商業施設や公共機関が北側に集中していた。この南北地区格差の解消と、南側の開発促進を狙い、1996年度から連続立体化(高架化)事業が行われた。

2008年(平成20年)9月のチャレンジ!おおいた国体までの高架化の完成を目指していた久大本線及び豊肥本線は[54]、同年8月24日に高架化した[34]

豊肥本線・久大本線が先行して高架化した後は、日豊本線への直通はできなくなり[55]、久大本線の別府直通の特急列車については、2008年(平成20年)3月改正から大分 - 別府間は臨時扱いとして運行を休止していた[56]。また、夕方に豊肥本線から日豊本線に直通していた普通列車の乗り入れも休止していた。

その後、日豊本線も高架化が進められ、2012年(平成24年)3月17日に全面的に高架化が完成した[57]。同日にダイヤ改正が行われ[19][20][35]、久大本線の特急列車の別府直通が復活した[55]。また、高架化により日豊本線が利用できるホームが増えたため、これまで一部が別府駅始発・終着であった日豊本線の特急が、大分駅始発・終着に統一された[58]2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正では、豊肥本線・久大本線の普通列車の別府方面への直通も再開した。

高架化された区間は日豊本線3.65 km(豊肥本線1.60kmを含む)及び久大本線1.92kmの計5.57kmで、高架化により日豊本線10箇所及び久大本線3箇所の計13箇所の踏切が撤去された[59]。また、日豊本線を跨いでいた春日陸橋及び大道陸橋も撤去された[59]

駅構造

 
大分駅コンコース
 
大分駅改札口
 
ミニトレイン ぶんぶん号

日豊本線、久大本線、豊肥本線を合わせて島式ホーム4面8線[60]からなる大規模な高架駅である。

2012年(平成24年)3月17日に全面高架化が完成し[19][20][35]、 それに合わせて市民からの公募を踏まえて駅の北側の出口を府内中央口、駅南側の出口を上野の森口とした[50]

高架化前は、既存の市街地が駅北側に偏在しており、大多数の利用者は北口(現在の府内中央口)のみを利用していたため、北口を指す場合には単に大分駅と呼び、特に南口(現在の上野の森口)を指す場合には裏駅[27]駅裏と呼ぶことが多かった[注釈 1]

2012年(平成24年)3月17日の高架化完成に伴い、高架ホーム下に新駅舎が設けられた。府内中央口(北口)と上野の森口(南口)とは新駅舎内のコンコースで結ばれており、駅の営業時間(4:00-25:30)中は通り抜けが可能である(手押しに限り自転車も通行可)。なお、高架化完了後も駅ビル等の工事が続いたため、府内中央口(北口)側は仮設通路を介しての通行となっていた[61]

改札口はコンコースの中央付近の西側に設けられている。自動改札機が設置されており、2012年12月1日からSUGOCAにも対応している[62]。JR九州(直営)でマルス端末機みどりの窓口)が設置されている。自動券売機みどりの窓口JR九州旅行大分支店は改札口の並びに移転した[62]なお、高架化前の旧北口改札口は馬蹄形で、この形のものとしては国内で初めて導入されたものであった[要出典]

改札内にはICカードチャージコーナー、トイレなどがある。ICカードチャージコーナーはのりこし精算機ではなく、チャージ機のみである。併設して公衆電話が設置されている。キヨスクは平成31年3月31日をもって閉店した。

高架下などには、2012年(平成24年)3月17日に、コープおおいたを核店舗とし、41店舗が入居する豊後にわさき市場がオープンした[20][注釈 2]

2012年3月17日の完全高架化の時、改札口の隣に「えきのカフェ」が営業されていたが、2014年の9月末に営業を終了した。同じ場所に同年11月にシアトルズベストコーヒーがオープンした。また、2019年9月にリニューアルされ、シナボンも併設された。

コンコースでは、休日等にミニトレイン「ぶんぶん号」が運行される[63]

府内中央口(北口)には1958年に建設された鉄筋コンクリート構造3階建て(一部4階建て)の駅ビル(旧駅舎)があったが、2012年(平成24年)3月17日の完全高架化を以って使用を終了し、解体された[20]。旧駅舎及び地上ホーム跡地には、2015年(平成27年)4月16日に新駅ビルが開業した[45][46][47]。また、2015年(平成27年)3月21日には、約16,000m2[50]府内中央口(北口)前の駅前広場を全面的に供用開始した[42]。駅前広場には大屋根のあるイベントスペースが設置されている[64][65]

新駅ビル「JRおおいたシティ」

 
アミュプラザおおいたのシティ屋上ひろば(2015年5月)

新駅ビルは2013年(平成25年)4月30日に着工し[37]、2015年(平成27年)4月16日に開業した[45][46][47]。2014年(平成26年)9月30日に、施設全体の名称を「JRおおいたシティ」に、新駅ビルの1-4階部分と豊後にわさき市場、及び、大分駅南立体駐車場にある商業施設は合わせて「アミュプラザおおいた」にすると発表した[66]

新駅ビルは、敷地面積約20,000m2、延床面積約107,000m2、店舗面積約31,000m2で、鉄骨鉄筋コンクリート構造地上8階・地下1階の低層部と東側の地上21階のタワー部とからなる。温泉施設向けの機械室の面積削減や駐車場の設計変更により、当初計画の地上23階建て、延床面積約120,000m2から全体の規模が若干小さくなった[67]が、店舗面積には変更はない[68]

このうち1-4階は商業エリアで[69]、1-2階には衣料品や雑貨等の店舗[69]、3階にはハンズ[70]、フードコート[71]、4階にはレストラン街[72]TOHOシネマズが入居した[70]。 タワー部は、8-18階がホテル「JR九州ホテル ブラッサム大分」、19-21階が天然の温泉施設「シティスパてんくう」が設置されている[73]。 また、開業時には低層部の屋上階である8階には[69][74]、屋上庭園「シティ屋上ひろば」が開設され[75]、2015年(平成27年)4月10日に鉄道神社を移す神事が行われた[76]

駅前広場

正式名称は周辺の区画整理事業で決定された「北口駅前広場」と「南口駅前広場」である[51]。駅の出入口の名称と異なっていて判り難いとの要望が市民からあったことから、大分市が通称名を定め、2015年(平成27年)5月18日に北口を「府内中央口広場」、南口を「上野の森口広場」とすると発表した[50][51]

北口駅前広場(府内中央口広場)は、大友宗麟やフランシスコ・ザビエルの像などが置かれ、面積は約16,000m2である[50]

南口駅前広場(上野の森口広場)は、朝倉文夫作の銅像や噴水などがあり、面積は約7,900m2である[50]

鉄道配線図

大分駅の鉄道配線図 (凡例)