大分駅(おおいたえき)は、大分県大分市要町にある、九州旅客鉄道(JR九州)の駅である。
大分駅 | |
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府内中央口(2015年1月) | |
おおいた Ōita | |
所在地 | 大分県大分市要町1番1号 |
所属事業者 | 九州旅客鉄道(JR九州) |
電報略号 | オイ←ヲウ |
駅構造 | 高架駅 |
(ホーム) | 4面8線 |
乗車人員 -統計年度- | 13,724人/日(降車客含まず) -2021年- |
開業年月日 | 1911年(明治44年)11月1日[1][2][3] |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■日豊本線 |
キロ程 | 132.9 km(小倉起点) |
◄西大分 (2.5 km) (3.3 km) 牧*► | |
所属路線 | ■久大本線 |
キロ程 | 141.5 km(久留米起点) |
◄古国府 (2.6 km) | |
所属路線 | ■豊肥本線 |
キロ程 | 0.0 km(大分起点) |
(5.1 km) *滝尾► | |
備考 | (直営駅) みどりの窓口有 |
* この間に下郡信号場有り(当駅から2.2km先)。 |
概要
大分県の県庁所在地である大分市の代表駅である。当駅を経由する全列車が停車する。日豊本線、久大本線、豊肥本線の計3路線が乗り入れており、このうち日豊本線を(所属線)[4]としている。
日豊本線は、起点の小倉駅から当駅までは、日出駅 - 杵築駅間、中山香駅 - 立石駅間を除き複線化されているが、当駅以南は終点の鹿児島駅まで全線単線となる。当駅は、当駅以北で運行される特急「ソニック」と、当駅以南で運行される特急「にちりん」(一部当駅を跨いで運行する列車もある)の接続駅となっている。また基本的に久大本線と豊肥本線の普通列車は当駅折り返しで運転され、日豊本線の普通列車についても当駅折り返しとなる列車が設定されている。
久大本線は当駅を終点としている。豊肥本線は当駅を起点としているが、列車運行上では当駅に到着する列車が下り、当駅を発車する列車が上りとして扱われている。
2012年に線路の高架化工事が完了し、2015年には商業施設の「アミュプラザおおいた」を中核としてホテルや温泉施設(大深度地熱温泉・サウナ)などで構成される駅ビル「JRおおいたシティ」が誕生した[5]。
歴史
鉄道院豊州本線が別府駅から当駅まで延伸したことに伴い、1911年(明治44年)に開業した[1][2][3]。 大分市の市制施行(同年4月1日)からちょうど7ヶ月後のことであった。当初は豊州本線の終着駅として開業したが3年後の1914年(大正3年)に豊州本線が幸崎駅まで延伸したことで中間駅となった[7]。また同日に同じ国鉄の犬飼軽便線が当駅から中判田駅まで開通した[7] ため同線と豊州本線との接続駅ともなった。
1915年(大正4年)10月30日には大湯鉄道が大分市駅から小野屋駅までを開業[7]。同時に、犬飼軽便線(現在の豊肥本線)が中判田駅まで開通[7]。大湯鉄道はその後1922年(大正11年)に国有化され[7] 大湯線となり、大分市駅はこのとき大分駅に統合された。これにより、当駅は国鉄の豊州本線・犬飼線(同年9月に犬飼軽便線から改称)・大湯線の接続駅になった。
この間、1918年(大正6年)には、外堀止まりだった路面電車の豊州電気鉄道線(後の大分交通別大線)が大分駅前まで延伸[2]。1972年(昭和47年)4月5日の廃線まで駅前より発着していた[2]。
1928年(昭和3年)12月2日には玉来駅から宮地駅までの開通により熊本駅から大分駅まで犬飼線なども含めて全通し[7] 豊肥本線に改称された。1932年(昭和7年)12月6日には大隅大川原駅から霧島神宮駅までの開通により小倉駅から大分回りで鹿児島駅までが豊州本線等を含めて全通し日豊本線とされた[8]。そして1934年(昭和9年)11月15日には日田駅から天ヶ瀬駅までの開通により大湯線も含めて久留米駅から大分駅までが全通したため久大線となった[9][10]。久大線は1937年(昭和12年)に久大本線に改称され、大分駅は現在の様に日豊本線・豊肥本線・久大本線の接続駅となった。
第二次世界大戦当時、大分市街は再三にわたり空襲を受けた。1945年4月21日には大分駅機関庫が被弾。同年7月16日の大分空襲では中心部の2,358戸が焼失し、大分駅から海が見えたと伝えられる[11]。
戦後は1958年(昭和33年)に駅舎を新設している。この駅舎は、数度にわたる改装を繰り返しながら2012年の高架化まで使用された[12]。駅前には1911年の開業とほぼ同時期に2本のクスノキが植えられ、高さ約20mにまで成長して駅の象徴となっていたが、構内の拡張工事に伴い1964年(昭和39年)に伐採された[13]。
大分駅北口からホームまでは1956年(昭和31年)に地下道が完成していたが[14]、ホームと南口の間は渡線橋で接続されていた[15]。そのため、地下道の南口への延長が計画され[16]、1980年(昭和12年)10月に駅を横断する地下道が完成している。ただし、この地下道はコンコース内にあり、無料で通り抜けはできなかった[17]。
2012年3月17日に高架化が完成し、高架駅となった[18][19][20]。2015年(平成27年)にアミュプラザおおいたを中核とした新駅ビルJRおおいたシティが全面開業した[5]。
旧南口(2006年2月)
旧プラットホーム(2006年11月)
旧北口全景(2008年5月)
旧北口改札口(2009年8月)
南口改札口(2011年4月)
解体前の旧大分駅ビル(2012年4月)
上野の森口(2012年4月)
解体中の旧大分駅プラットホーム(2012年8月)
建設中の大分駅ビル(2014年10月)
年表
- 1911年(明治44年)11月1日:鉄道院(後に日本国有鉄道)豊州本線(現・日豊本線)の駅として、別府 - 大分間の開通時に開業[1][2][3]。
- 1912年(大正元年):大分機関庫設置[21]。
- 1914年(大正3年)4月1日:豊州本線が幸崎駅まで開通[7]。同日、犬飼線(現・豊肥本線)大分駅 - 中判田駅間が開業[22]。
- 1915年(大正4年)10月30日:大湯鉄道の大分市駅が開業し、同鉄道線大分市駅 - 小野屋駅間が開通[7]。
- 1916年(大正5年):二等駅となる[21]。
- 1922年(大正11年)12月1日:大湯鉄道が国有化され[7]、大湯線(後の久大本線)となる。大分市駅を大分駅に統合[23]。
- 1928年(昭和3年)12月2日:犬飼線が宮地駅まで延伸されて宮地線(熊本駅-宮地駅間)と統合、豊肥本線と改称[22]。
- 1937年(昭和12年):一等駅になる[21]。
- 1945年(昭和20年)4月21日:大分空襲により駅本屋構内被災全焼[23]。
- 1950年(昭和25年):南口駅舎完成。南口新設[24]。
- 1951年(昭和26年):北口駅前広場拡張[25]。
- 1956年(昭和31年):北口改札とホームを結ぶ地下道が完成[14]。
- 1958年(昭和33年)4月:北口新駅舎及び駅前広場完成[26]。
- 1961年(昭和36年):0番線を増設[17]。
- 1964年(昭和39年)8月7日:構内の拡張工事に伴い、駅前のクスノキが伐採される[13]。
- 1965年(昭和40年)10月1日:新ホーム(1番のりば)完成。旧0-5番のりばを2-7番のりばに変更。みどりの窓口開設[27]。
- 1966年(昭和41年)9月21日:日豊本線の当駅 - 西大分駅間の複線化が完成[28][23]。
- 1967年(昭和42年)10月1日:日豊本線の新田原駅 - 幸崎駅間の電化が完成[23]。
- 1972年(昭和47年)4月11日:旅行センター開設[17][29]。
- 1975年(昭和50年)10月:駅改良を実施[17]。
- 1978年(昭和53年):北口駅前広場に大噴水を設置[30]。
- 1979年(昭和54年)11月:駅レンタカー営業開始[31]。
- 1980年(昭和55年)10月:地下道の南口への延伸工事が完成[17]。
- 1982年(昭和57年):北口駅前広場に大友宗麟像設置[23]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:車扱貨物の取扱を廃止[23]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取扱を廃止[23]。
- 1987年(昭和62年)
- 2008年(平成20年)8月24日:豊肥・久大本線部分の高架化が完成し、同線の新ホームが運用を開始[34]。同線地上ホームの旧6番線(5番のりば)、7番線、8番線が運用終了。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)4月30日:新駅ビルの工事開始[37]。
- 2014年(平成26年)
- 2015年(平成27年)
- 2017年(平成29年)
大分駅付近連続立体交差事業
かつての大分駅は地上駅で、大分市中心部の市街地は駅や3本の鉄道路線により南北が完全に分断され、商業施設や公共機関が北側に集中していた。この南北地区格差の解消と、南側の開発促進を狙い、1996年度から連続立体化(高架化)事業が行われた。
2008年(平成20年)9月のチャレンジ!おおいた国体までの高架化の完成を目指していた久大本線及び豊肥本線は[54]、同年8月24日に高架化した[34]。
豊肥本線・久大本線が先行して高架化した後は、日豊本線への直通はできなくなり[55]、久大本線の別府直通の特急列車については、2008年(平成20年)3月改正から大分 - 別府間は臨時扱いとして運行を休止していた[56]。また、夕方に豊肥本線から日豊本線に直通していた普通列車の乗り入れも休止していた。
その後、日豊本線も高架化が進められ、2012年(平成24年)3月17日に全面的に高架化が完成した[57]。同日にダイヤ改正が行われ[19][20][35]、久大本線の特急列車の別府直通が復活した[55]。また、高架化により日豊本線が利用できるホームが増えたため、これまで一部が別府駅始発・終着であった日豊本線の特急が、大分駅始発・終着に統一された[58]。2015年(平成27年)3月14日のダイヤ改正では、豊肥本線・久大本線の普通列車の別府方面への直通も再開した。
高架化された区間は日豊本線3.65 km(豊肥本線1.60kmを含む)及び久大本線1.92kmの計5.57kmで、高架化により日豊本線10箇所及び久大本線3箇所の計13箇所の踏切が撤去された[59]。また、日豊本線を跨いでいた春日陸橋及び大道陸橋も撤去された[59]。
駅構造
日豊本線、久大本線、豊肥本線を合わせて島式ホーム4面8線[60]からなる大規模な高架駅である。
2012年(平成24年)3月17日に全面高架化が完成し[19][20][35]、 それに合わせて市民からの公募を踏まえて駅の北側の出口を府内中央口、駅南側の出口を上野の森口とした[50]。
高架化前は、既存の市街地が駅北側に偏在しており、大多数の利用者は北口(現在の府内中央口)のみを利用していたため、北口を指す場合には単に大分駅と呼び、特に南口(現在の上野の森口)を指す場合には裏駅[27]や駅裏と呼ぶことが多かった[注釈 1]。
2012年(平成24年)3月17日の高架化完成に伴い、高架ホーム下に新駅舎が設けられた。府内中央口(北口)と上野の森口(南口)とは新駅舎内のコンコースで結ばれており、駅の営業時間(4:00-25:30)中は通り抜けが可能である(手押しに限り自転車も通行可)。なお、高架化完了後も駅ビル等の工事が続いたため、府内中央口(北口)側は仮設通路を介しての通行となっていた[61]。
改札口はコンコースの中央付近の西側に設けられている。自動改札機が設置されており、2012年12月1日からSUGOCAにも対応している[62]。JR九州(直営)でマルス端末機(みどりの窓口)が設置されている。自動券売機、みどりの窓口、JR九州旅行大分支店は改札口の並びに移転した[62]。なお、高架化前の旧北口改札口は馬蹄形で、この形のものとしては国内で初めて導入されたものであった[要出典]。
改札内にはICカードチャージコーナー、トイレなどがある。ICカードチャージコーナーはのりこし精算機ではなく、チャージ機のみである。併設して公衆電話が設置されている。キヨスクは平成31年3月31日をもって閉店した。
高架下などには、2012年(平成24年)3月17日に、コープおおいたを核店舗とし、41店舗が入居する豊後にわさき市場がオープンした[20][注釈 2]。
2012年3月17日の完全高架化の時、改札口の隣に「えきのカフェ」が営業されていたが、2014年の9月末に営業を終了した。同じ場所に同年11月にシアトルズベストコーヒーがオープンした。また、2019年9月にリニューアルされ、シナボンも併設された。
コンコースでは、休日等にミニトレイン「ぶんぶん号」が運行される[63]。
府内中央口(北口)には1958年に建設された鉄筋コンクリート構造3階建て(一部4階建て)の駅ビル(旧駅舎)があったが、2012年(平成24年)3月17日の完全高架化を以って使用を終了し、解体された[20]。旧駅舎及び地上ホーム跡地には、2015年(平成27年)4月16日に新駅ビルが開業した[45][46][47]。また、2015年(平成27年)3月21日には、約16,000m2の[50]府内中央口(北口)前の駅前広場を全面的に供用開始した[42]。駅前広場には大屋根のあるイベントスペースが設置されている[64][65]。
新駅ビル「JRおおいたシティ」
新駅ビルは2013年(平成25年)4月30日に着工し[37]、2015年(平成27年)4月16日に開業した[45][46][47]。2014年(平成26年)9月30日に、施設全体の名称を「JRおおいたシティ」に、新駅ビルの1-4階部分と豊後にわさき市場、及び、大分駅南立体駐車場にある商業施設は合わせて「アミュプラザおおいた」にすると発表した[66]。
新駅ビルは、敷地面積約20,000m2、延床面積約107,000m2、店舗面積約31,000m2で、鉄骨鉄筋コンクリート構造地上8階・地下1階の低層部と東側の地上21階のタワー部とからなる。温泉施設向けの機械室の面積削減や駐車場の設計変更により、当初計画の地上23階建て、延床面積約120,000m2から全体の規模が若干小さくなった[67]が、店舗面積には変更はない[68]。
このうち1-4階は商業エリアで[69]、1-2階には衣料品や雑貨等の店舗[69]、3階にはハンズ[70]、フードコート[71]、4階にはレストラン街[72]、TOHOシネマズが入居した[70]。 タワー部は、8-18階がホテル「JR九州ホテル ブラッサム大分」、19-21階が天然の温泉施設「シティスパてんくう」が設置されている[73]。 また、開業時には低層部の屋上階である8階には[69][74]、屋上庭園「シティ屋上ひろば」が開設され[75]、2015年(平成27年)4月10日に鉄道神社を移す神事が行われた[76]。
駅前広場
正式名称は周辺の区画整理事業で決定された「北口駅前広場」と「南口駅前広場」である[51]。駅の出入口の名称と異なっていて判り難いとの要望が市民からあったことから、大分市が通称名を定め、2015年(平成27年)5月18日に北口を「府内中央口広場」、南口を「上野の森口広場」とすると発表した[50][51]。
北口駅前広場(府内中央口広場)は、大友宗麟やフランシスコ・ザビエルの像などが置かれ、面積は約16,000m2である[50]。
南口駅前広場(上野の森口広場)は、朝倉文夫作の銅像や噴水などがあり、面積は約7,900m2である[50]。